第5話

 部屋に戻り、侍女のリルルに髪をほどいて梳かしてもらいながら、エミリアは侍女達に意見を聞いてみることにした。


「私って、やぼったいのかしら……」

「え? わざとではなかったのですか?」

「え?」

「わかっていて、わざと目立たないようにしているのかと思っていました」

「ええ?!」


 まさか侍女達にもそんな風に思われていたとは。


「みんなもそう思っていたの?!」

「もう少し明るい服がいいんじゃないですかって、お話したこともありますよね?」

「バージェフ侯爵嫡男との縁組がお決まりになったんですもの。今日から少しは華やかにしましょう」

「旦那様になる方はどんな方なんですか?」

「どんなって……殿下の側近で女性に人気のある方よ」

「それじゃあ、お嬢様を磨き上げなくちゃ!」

「私、ドレスを選んでくるわ!」


 どうやら侍女達の変なスイッチを押してしまったらしい。

 今まで家にいる時に着ていたのは、いわゆる作業着だ。冒険者と一緒に出掛ける時の服装とそう変わらない。パンツではなくてスカートになるだけだ。気が向くと薬草を煎じたり、薬を調合するのでそれが楽だったのだ。


「これなんてどうですか?」

「あら素敵」

「もうどこにも出かけないのに?」


 侍女が持ってきたのはヴァニラ色のドレスだ。

 色的には普段のドレスより地味かもしれないが、金糸を使った刺繍と袖や裾のレースが美しい。若いからこそ似合うドレスだ。


「髪はそのままで飾りをつけましょうか。この髪留めを使ってみたかったんです」

「まだ着たことがないドレスがいくつもあるんですよ。お嬢様はいつもくすんだ緑系のドレスばかり選ぶんですから」


 出かけないので髪はおろしたままで部分的に編み込んでいると、父親の執事が顔を出した。


「お嬢様、セスト・バージェフ様がご主人様の元にお見えになっています」

「ええ?!」

「まあ!!」

「お嬢様に会いにいらしたのね!」


 エミリアの驚きの声は、侍女達の黄色い声にかき消された。

 侍女達にしてみれば初めて登場した主人の求婚者だ。しかもその相手は生涯ひとりの相手しか愛せないバージェフ侯爵家の嫡男。テンションが上がってしまうのも仕方がない。


「お話が済み次第、お嬢様ともお会いしたいそうです。テラスにお茶の準備をしてはいかがでしょう」

「そ、そうね。用意してくださる?」

「かしこまりました」


 エミリアの指示に侍女が頭を下げるのを確認して、執事は部屋を出て行った。


「どどどど、どうしよう」

「薄くお化粧もしましょう。ドレスはこのままで大丈夫です」

「たいへんお綺麗ですわ」


 いつの間にか細い鎖に小さな宝石がいくつもついたネックレスやブレスレットまでつけられ、テラスに連れていかれてしまった。侍女達の力の入り具合が普段とまるで違う。


 テラスは噴水のある中庭に面している。

 婚約前の男女が室内にふたりきりというのはまずいので、テラスで話せということなのだろう。少し離れた場所に侍女が控え、部屋の中からも様子が伺える便利な場所ではある。


 マルテーゼ伯爵とは挨拶だけ交わしてすぐにこちらに来たのか、エミリアがテラスに出てまもなく、セストが姿を現した。


「あの方?」

「まあ、素敵」


 侍女達が呟くのはエミリアにも理解出来る。セストは自分にはもったいないくらいに見目のいい男性だ。

 長身の身体は筋肉質で手足が長く、長い前髪から覗く金色の瞳は、生まれた時からその色なのではないかと思えるほどに彼に似合っている。三白眼の切れ長のまなざしは、あいかわらず目つきが悪く睨まれているように感じるが、嬉しそうに弧を描いている口元が、目元の表情を裏切っていた。


 立ち上がったエミリアの元に足早に近づいてきたセストは、そのままの勢いで彼女を抱きしめてしまいそうで、思わず引いた椅子の反対側に避難した。


「婚約を受けてくれるそうだな」

「……はい」


 あまりに嬉しそうな顔をされて、こちらが照れてしまう。


「どうぞ、お座りください、バージェフ様」

「セストと呼んでくれ。そして出来れば、エミリアと呼ぶことを許してほしい」

「そ、そうですね。婚約するんですし」

「よかった。今朝の事は本当に申し訳なかった」

「いえ、私の方こそ……」

「その詫びは先程してもらった。それにもとはと言えば自業自得だ」


 侍女がお茶と焼き菓子を並べて離れてふたりだけになってしまうと、落ち着かなくてそわそわしてしまう。

 セストの姿は目立つので、以前からよく見かけていた。ランドルフやリベリオと一緒にいる様子は女性の憧れの的だということも知っている。その彼が自分を愛して、自分の家のテラスにいるというのが、まだどうにも現実味が湧かないのだ。


「あの……」

「ん?」


 視線が気になる。

 ここに来てからずうっと、セストはエミリアを見つめたままだ。紅茶を飲む間も、侍女と話す間も、ずっと視線を感じている。

 何か話したいことでもあるのかと振り返ると、金色の瞳をとろかして微笑むのだ。


「私のどこが気に入ったのでしょうか。たしか、あの日別れる時は、まだ瞳の色は青かったですよね」

「うーん、そうだな……」


 照れ臭いのか鼻の頭を掻きながら、セストはようやく視線をそらした。


「あの状況で慌てないで冷静に対処出来るところや、怪我人への接し方も普通の令嬢とは違っていたが……きみは俺をちっとも怖がらなかっただろう?」

「はい?」

「たいていの令嬢は、あんなふうに平気で俺に近付いたりしない。話している時も視線が泳いでいたり、肩に力が入っていたり、手が震えている時もある」


 それはセストのファンで、話が出来て舞い上がっているのではないかと思うエミリアだが、彼の目つきが怖いのは確かなので黙っていた。


「でもきみは、普通に会話して文句まで言ってきた。それが新鮮で、帰りの馬車の中で思い出していたら胸が温かくなって、その少し後だ。リベリオが俺の瞳の色が変わっていることに気付いた」


 思い出し笑いではなく、思い出し恋愛だったようだ。

 

「でもあの時の冒険者の姿の私と、今の私はだいぶ違いますよね」

「そうだな。髪をおろしているとゴージャスだな」


 ゴージャス? 地味だと言われ続けてきた自分がゴージャス?

 エミリアは本気でセストの視力が心配になった。


「ドレス姿も悪くない。学園で着ていたドレスもシックでよかったが、そのドレスも可愛い。似合っている」


 強面で愛想がなく目つきが怖いと言われるセストが、すらすらと女性を褒める言葉を並べている今の姿を見たら、ランドルフとリベリオは我が目を疑ったかもしれない。


「あ、ありがとう……ござい……ます」


 幸いなことにここにはエミリアしかおらず、その彼女は熱い眼差しで見つめられ、掠れた声で囁かれ、どう反応していいかわからずに手で顔を隠して俯いてしまっている。


「どうした?」

「そんな風に褒められたことがないので、ちょっと待ってください」

「そうなのか? きみの周りの男はわかってないな」


 セストと話を聞いていると、エミリアは自分が絶世の美女になったような気分になった。あばたもえくぼという言葉もあるが、褒められて嬉しくないわけがない。

 せめて隣に並んだ時に、セストに恥をかかせないくらいには綺麗になりたいと思った。


「明日、両親達が王宮で婚約の誓約書を用意してくるそうだ。それにサインをして陛下の許可を得れば婚約が成立する」

「はい」

「俺はランディの側近をしているので、自由になる時間はそう多くない。出来ればきみと一緒にサインをしたいのだが、いつなら都合がいいだろうか」


 ふたりで、誓約書に、サイン。

 現実味のなかった婚約が、一気に具体的な話になってきた。

 父親が動いているのを見聞きしていたのに、あまりに展開が早すぎて、エミリアの心がついていけていなかったのだ。

 それでも暗い気持ちにならずにいられるのは、セストが本気で自分を愛してくれていると信じられるおかげだろう。


「俺としては四日後なら時間があるのだが」

「四日後……はい。薬草の植え替えをしようと思っていたので、その日であれば家にいます」

「薬草を自分で育てているのか?」

「はい。特に特級や高級ポーションの素材は、自分で育てないと滅多に手に入らないんです」

「そうか。俺も手伝えるだろうか」

「土いじりですよ?」

「やってみたい」


 令嬢が土いじりをしても嫌な顔をするどころか、一緒に手伝ってくれるという。

 もしかして、理解力のある最高のパートナーと出会えたのかもしれない。

エミリアは朝の衝撃が嘘のように、セストの金色の瞳を明るい気持ちで見つめることが出来た。




◇◇◇◆◇◇◇




 翌日、エミリアはエレナとラウルの三人で同じ馬車に乗って学園に向かった。


「じゃあバージェフ様とお話し出来たのね」

「心配かけてごめんなさい。父とも相談して婚約を受けることになったの」

「おめでとう!」


 エミリアとエレナが手を取り合って喜んでいる横で、ラウルは少し離れて座り眉を寄せて窓の外を見ていた。


「本当に平気なんだろうな」

「何が?」

「昨日の帰りの騒ぎを見ただろう? 今日だって姉上の顔を一目見てやろうと近付いてくる暇人がきっといるぞ。嫌味を言いに来る女だっているに決まっている」

「確かに心配ね。バージェフ様は何かおっしゃっていた?」

「警護をつけると」


 学園についてすぐ、セストの話していた意味がわかった。

 マルテーゼ伯爵家の馬車が停まると、昨日セストに護衛を命じられていたジーナと、ひときわ背が高くごつい生徒が駆け寄ってきたのだ。


「おはようございます。マルテーゼ嬢」

「あの、同級生ですし敬語はなしでエミリアと呼んでほしいのだけど」

「わかったわ」

「俺はエラルド。一学年上だ。バージェフ家で修業をしている。よろしくたのむ」


 なんの修業をしているかはわからないが、護衛を任せて安心だと思うくらいには体がごつい。ふたりが一緒に来てくれるというのは心強かった。


「あなたがバージェフ様の婚約者ってどういうことなの?」


 ラウルと別れて廊下を歩く間、視線は感じたが声をかけてくる者はいなかった。きつい口調で声をかけられたのは教室に入ってからだ。ジーナとエレナと三人で席につこうとしていた時に、ふたりの令嬢に行く手を塞がれたのだ。


「その質問にエミリアが答える必要はないわ。あなたには全く関係のない話でしょう」


 彼女達を前にしてもジーナは腰に手を当てて堂々としている。後ろで守られているエミリアは、ジーナが心配で自分が前に出たいのだが、おそらくそれだと護衛の仕事の邪魔になるのだろう。


「あなた、なんなのよ!」

「うちは代々バージェフ侯爵家に仕える子爵家の者です。私はセスト様の部下で、婚約者であるエミリア様の護衛を命じられています。エミリア様に対する失礼な言動は、全てバージェフ侯爵家に対する侮辱だと受け取らせていただきます」

「なっ……あなたは文句がないの?! こんな子がバージェフ様の婚約者なんて!」


 こんな子扱いをされても、怒りは湧いてこない。むしろ同感だったりする。

文句を言うだけあって、彼女達は美人だしドレスも豪華だ。それに比べたら、自分はあか抜けない地味な容姿だと自覚していた。


「なんで文句が?」


 だがジーナの考えは違うようだ。


「セスト様の瞳の色が変わった以上、この方以外に婚約者はありえません」

「何かの間違いじゃ……」

「うるせーし、しつけーよ」


 声をあげたのは近くの席に座っていた金髪の男子生徒だった。


「彼女の価値がわからないやつは、バージェフ侯爵家の縁組に口を出す権利のないやつなんだよ」

「なんですって?!」

「なんの騒ぎだ。朝からうるさい」


 相変わらずの不機嫌そうな顔で、リベリオが姿を現した。

 喚いた女性陣が、彼の姿を見つけた途端に髪を整え、服の皴を直す仕草をしながら微笑んだのだから、美形で王太子の側近というのはそれだけ特別なんだろう。だが、リベリオの眉間の皴は一層深くなった。


「おう、リベリオ。あの女達がエミリア嬢に文句つけていたぜ」

「大丈夫です。私からセスト様に報告し、あちらの保護者の方に侯爵家から苦情を入れます」

 

 ジーナの言葉を聞いて、女生徒達は青くなった。


「なにも親に言うようなことじゃ……」

「いいえ、言うようなことです。つまりそちらの家は侯爵家の縁組に異論があるということですよね? まさか、あなた一人の意見をこんな場所でわめいていたわけじゃないですよね。そんなもの、誰も聞きたいと思っていません」


 ジーナの、すらすらと出てくる冷ややかな言葉にエミリアは感動していた。彼女ではあんなふうに言い返せないだろう。家に帰って会話を思い出して、ああ言えばよかったこう言えばよかったと後悔したことが、今までに何度もあったのだ。


「たしかに、何人か見せしめがいた方がいいかもしれないな。この話を殿下にすれば、彼から親の方に苦情を言ってくれるかもしれない」

「それはいいですね」


 ジーナとリベリオのコンビを敵に回してはいけないと、今の一幕でクラス中の生徒が理解したようだ。喚いていた女性達は青い顔で席にへたり込み、昨日は敵意の籠った視線をエミリアに向けていた生徒も、今日は視線を合わせないように俯いてしまっていた。


「あの、ありがとうございます」


 途中、エミリアを庇う発言をしてくれた男子生徒に声をかけると、彼は笑顔を見せながら手を顔の前でひらひらと横に振った。


「礼を言うのはこっちなんだよ。兄貴の怪我を治してくれたんだろう?」


 他の人には聞こえないように声を潜めて言われて、エミリアは首を傾げた。


「どの方でしょう?」

「殿下が襲われた時に護衛していたんだ。足をちょっと怪我しただけだったらしいんだけど、あんたにポーションを塗ってもらったら古傷まで治って、前のように戦えると喜んでいたんだ」

「その話、詳しく聞きましょうか」


 ふたりでひそひそと話していたつもりだったが、しっかりと背後からリベリオが聞いていたらしい。


「あなた、なんのポーションを使ったんです?」


 古傷まで治せるのは高級ポーション以上。

 あの時は、そろそろ使わないと効き目が落ちる特級ポーションがあったから、古傷に軽く振りかけてみたのだ。


「……エミリア」


 エミリアの事情を知っているエレナも、半目で呆れている。

 しっかり者の彼女にとって、エミリアは世話のかかる妹のような存在だ。

 自分の重要性がまるでわかっていない。


「まあそう怒るなって。俺はジャン。なんかあったら手を貸すよ」


 今までエレナ以外の同級生とほとんど会話したことがなかったエミリアに、どんどん知り合いが増えていく。

 その分敵も増えそうだが、それでもセストとの出会いをよかったと思えるようになっていた。

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