第4話

 あの日リベリオは、大怪我を負って血まみれの騎士を見ても動転せず、冷静にポーションを飲ませた冒険者としてのエミリアに、最初は好印象を持っていた。貴族の令嬢とは違って血を見て倒れたりはしない。しかも高価なポーションを作れる錬金術師だ。

 あの若さでそれだけの技量を持つためには、多くの努力が必要だっただろう。それだけの技量を持っていれば、かなりの地位や収入があるはずだ。でも彼女はいっさい偉ぶらず、擦り傷程度の傷も嫌な顔ひとつしないでポーションを使って治していた。


 だからこそセストの瞳の色が変わっていることに気付いた時には驚いた。

ふたりが会話しているのを知ってはいたが、ほんの数分だったはずだ。

友人になってから今まで、セストが女性に興味を持ったところなど見たことがない。それがほんの数分で本気の恋に落ちるとは信じられなかった。


 恋愛経験が乏しく、ランドルフの側近をしているためにすり寄ってくる御令嬢達にうんざりしていたリベリオは、女性に対してシビアだ。教室で眼鏡をかけ、誰も近寄らせないように冷ややかな顔をしているのも、女性陣に纏わりつかれた経験があるからだ。


 だから疑ってしまった。

特級のポーションを作れるほどの錬金術師だ。恋に落とす薬だって作れるかもしれない。

 彼女の正体が伯爵令嬢だと聞いて、その疑惑は更に大きくなった。バージェフ侯爵家の呪いを、伯爵令嬢なら知っていたはずだと。


 「まさか乗り気でないとは……」


 エミリアを馬車に乗せて戻ったセストと、ランドルフと一緒に王宮に向かったリベリオは、応接室のソファーに座っていた。

 馬車の中で、教室でのエミリアの様子を聞いたランドルフは頭を抱えてしまっているが、リベリオも同罪だ。勝手な思い込みでエミリアに嫌味を言い、この縁談を喜ぶだろうと決めつけていた。

 

 エレナに怒られて、ようやく無意識のうちに自分達は特別な立場だとうぬぼれていたと気付けた。命を救ってくれたエミリアに礼も言わずに失礼な態度を取ってしまうなど、とんでもない話だ。

 セストも大衆の面前でプロポーズするという馬鹿な真似をしたとはいえ、エミリアに護衛をつけて馬車まで送る対応はさすがだった。真剣に愛する人を守ろうとするセストと比べ、ランドルフもリベリオも騒ぎを大きくして、大事な友人の足を引っ張ってしまった。


「すまん、セスト」

「やめてくれ。王太子がこんなことで頭を下げるな」


 つい先ほどまで、ここでバージェフ侯爵とマルテーゼ伯爵とで両家の縁談について相談していたのだが、エミリアが王宮には顔を出さないで屋敷に帰ったと聞き、マルテーゼ伯爵は話を保留にして帰宅してしまっていた。


「娘が首を縦に振らない限り、この縁談は無理だぞ」


 息子達の様子を見ていたバージェフ侯爵は疲れた様子でソファーに寄り掛かり、額を手で押さえている。

 黒髪を後ろになでつけた品のいい容貌と細身の体形から、文官系の側近と思われがちな侯爵だが、剣の腕も魔法の腕も一流だ。国王の懐刀として常に傍らに控えている様子を、セストは未来の自分の姿と重ねて、幼少の頃から誇らしく見ていたものだ。


「無理? 伯爵側が断るというのか?!」


 ランドルフが驚くのも無理はない。こちらは侯爵家嫡男で王太子の側近だ。娘がどう思おうと、貴族の結婚はほとんどが政略結婚なのだから、伯爵家側が断る要素がない。


「殿下はアダルジーザの魔女を御存じですか?」

「三百年生きたと言われる付与魔道士だろう? 彼女の作った武器防具がいくつか宝物庫に保管されている」

「彼女が晩年、マルテーゼ伯爵領で暮らしていたことは?」

「おいおい、まさか」

「エミリア嬢が生まれた時、夫人が体調を崩して治療を求めたことで、マルテーゼ伯爵家とアダルジーザは親しくなったそうです。エミリア嬢はアダルジーザを本当の祖母のように慕って、伯爵夫妻が王都にいる間はアダルジーザの家で生活していたそうです。彼女にとっては錬金術も付与魔法の修業も遊びだったそうですよ」

「付与魔法も使えるのか!?」

「御存知ありませんでしたか」


 錬金術師というだけでも国に対しての重要度が、普通の御令嬢とは全く違うというのに、アダルジーザの弟子で付与魔道士という肩書がつくと、本来なら最重要人物のひとりになるはずだ。

 今はまだごく一部の人にしか存在を知られていないからいいとしても、本人の自覚がなさすぎる。


「セスト、この縁組は彼女にとってもプラスになるはずだ。彼女の力がおおやけになった時、我々なら身を守る事が出来る。もちろん我々にとっても、彼女のポーションや付与魔法は大きな魅力だ。しっかりモノにして来い」

「……努力はします」


 息子の不甲斐ない返事に、侯爵は眉間に皺を寄せて目を細めた。


「彼女をモノに出来なかったら、一生独り身だぞ。せっかく素晴らしい相手に惚れたんだ。我が一族のためにも気合を入れろ」


 惚れた相手が親に反対されるような女性でなかったのは、喜ぶべきだろう。だが、一族の期待がかかるほどの相手だというのも考え物だ。


「そもそも、なんであんなやぼったい女に惚れたんだ」


 侯爵が退室して三人だけになってすぐ、今更なことをランドルフが言い出した。


「殿下、彼女の顔をちゃんと見ました?」

「見たぞ。目の前で会話したからな」

「意外と美人ですよ。髪型と服装で損をしているタイプです」

「……リベリオ?」

「殺気を向けるな。手を出す気はない」


 リベリオは同じ教室に通っていたエミリアの存在を知らなかった。よく見れば美人でも、すれ違うだけの相手をよく見たりはしない。

今回改めて彼女と相対して、最初に思ったのはなんでこんなにやぼったいのだろうかという疑問だ。

 だが侯爵の話を聞いてわかった。磨けば光りそうな素材なのにそうしないのは、目立つわけにはいかない理由があったからだった。


「エレナ嬢はこのことを知っているんだろうな……」

「先程エミリアと一緒にいた令嬢か」

「アダルジーザの弟子にあの態度は……怒られて当然です。セストの印象を悪くしてしまっていたら、すまん」

「もういいから謝らないでくれ」


 すっかり落ち込んでいるランドルフとリベリオに笑顔を向け、セストは立ち上がった。


「俺はこれからマルテーゼ伯爵の屋敷に行ってくる。きちんと話をしなくては」

「そうだな、それがいい」

「ちょっと待ってくれ」


 立ち上がろうとしたセストを止めて、リベリオは迷いながらも口を開いた。


「話すべきかどうか迷ったんだが……エレナ嬢が言うには、片思いまではいかなくとも、彼女には憧れていた相手がいたようだ」


 セストがエミリアを送っていったのを見送り、荷物を取りに教室に向かった時に、エレナに聞いた話だから間違いないだろう。


「彼女が乗り気でないのはそのせいかもしれない」

「相手は誰なんだ?」

「それは教えてもらえなかった。エミリアは相手と話したことがないそうだ」


 ランドルフはなんとも言えない顔でため息をついた。そういう憧れの気持ちを向けられる立場としては、あまり喜ばしい話ではない。


「結局相手のことを何も知らないで、勝手な自分の想像で恋しているだけだろう?」

「耳が痛いな」


 セストが苦笑して呟く。

 相手の名前も境遇も知らず、ほんの何分か言葉を交わしただけで恋に落ちた彼だ。エミリアの憧れを笑うことは出来ない。


「おまえは憧れじゃなくて惚れているんだろう」

「その違いはなんだ?」

「恋愛関係に発展させる気は彼女にはなかったようだ。遠くから眺めていられれば良かったらしい」


 エレナの説明を聞いたリベリオにも納得出来なかったのに、ランドルフとセストに理解は出来ないだろう。

 

「なら、あまり気にすることはあるまい」

「今まで憧れる対象しかいなかったから、突然プロポーズされて戸惑っているのではないかとエレナは言っていた。ただ仕事のこともあって目立たないようにしてきたエミリアにしてみれば、今朝の出来事は迷惑だったそうだ」

「……俺が声をかけたのは失敗だったな。だが、セストの婚約者になったら目立たないようにするのはもう無理だぞ」

「責任は俺にある」


 彼女の人生を大きく変えてしまったくせに、彼女が憧れの相手と結ばれるのも許容出来ない。

 申し訳なさと後ろめたさを感じながらも、彼女に会える喜びも感じながらセストはマルテーゼ伯爵家に向かった。



◇◇◇◆◇◇◇



「バージェフ侯爵家の嫡男に惚れさせるとは、さすが我が娘! でかした!」


 てっきり暗い顔で出迎えられると思っていたのに、エミリアとラルフを居間で待っていた父親は満面の笑顔だった。


「陛下も王妃様もお喜びだ。……だがおまえとしては本意ではないのかな?」

「そんなことはありません。驚いただけです……」

「本当に?」

「他の生徒のいる前で突然に結婚してくれと言われて、どうしていいかわからなくて、ぶっ飛ばしてしまいました」

「は?」

「え?」


 ラウルもその話を聞くのは初めてだったので、親子揃って目を丸くしてエミリアを見つめた後、ラウルは頭を抱え、父親は腹を抱えて笑い出した。


「こいつはいい。あの坊主をぶっ飛ばしただと? こいつは愉快だ」

「父上、笑い事ではないでしょう」

「惚れているのは向こうなんだ。かまうもんか。嫌というなら今のうちだぞ。バージェフ家の呪いについては陛下も心を痛めていたのだ。そこにこの縁組。そう簡単には断れないぞ」


 憧れている相手がいるなどと、この場で言うほどエミリアも子供ではない。ここまで話が大きくなってしまったら、貴族に生まれた以上、家のために婚姻を結ぶ覚悟は出来ている。


「あの……仕事の方はどうなるのでしょうか」

「ああ、それは心配しなくていい。今まで通りやらせてほしいと話して許可は得ている。むしろ警護で怪我をする者もいるバージェフ側としては、おまえにポーションや魔道具で協力してほしいと思っているようだ」

「仕事が……出来る?」

「ダンジョンもセストが同行するならいけるかもしれん」

「まあ」


 そこが一番の心配事だったために、今まで乗り気ではなかったのが嘘のように、エミリアの心は明るくなった。


「バージェフ侯爵家は陛下の護衛兼側近。おまえも会ったことがあるだろう?」


 国王陛下と王妃様にお会いした時に、影のように控えていた男性を思い出した。静かな佇まいでありながら目つきの鋭い人だった。あれがセストの父君なのだろう。


「だからおまえのこともわかっている。あの坊主の婚約者になれば目立ってしまうから、おまえの能力が公になってもいいように護衛をつけてくださるそうだ」

「学園にいる間は、セスト様が護衛をつけてくださいました」

「ほお、さすがだな。だからもう、そんな地味なドレスを着なくてもいいんだぞ。これからは王宮に行く機会も増えるだろう。もっと華やかな若い娘らしい服装をするといい」

「……地味?」


 何を言われているかわからず、エミリアは自分のドレスを見下ろした。


「父上、姉上は目立たないようにこの服を選んでいるのではなくて、これが自分に似合っていると思っているんですよ」

「なに?!」


 とてもひどいことを父親と弟に言われている気がする。

 もしかしてリーノに会えるかもしれないからと選んだドレスが、地味で目立たないと言われるのはかなりの衝撃だ。でもエレナは素敵だと言ってくれたのに。


「姉上、エレナ様も正直なところあまり趣味がいいとは言えませんよ。せっかく素材はいいのに、ふたりして好んでやぼったい服装をしていてもったいないですよ」

「やぼったい……」

「そうか。五年前に妻を亡くして以来、夜会も茶会もとんと無縁になってしまったせいだな」


 普通はそういう場所で新しい流行を知り、自分に似合うように取り入れていくものなのだが、エミリアは研究に明け暮れていて、成人してからも舞踏会や夜会に滅多に顔を出していない。

 そのため新しく作ったドレスより、町で適当に見繕った冒険者風の服の数の方が多い。動きやすい服は薬草栽培の土いじりにも、実験をするにも便利なのだ。


「これはまずいな。バージェフ家に恥をかかせるわけにはいかない」

「恥……」


 朝からいろんな衝撃に晒されたエミリアは、魂が口から抜けたような状態で、ふらふらと自室に帰った。


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