第2話
新学期初日、エミリアはフォレストグリーンのシンプルなドレス姿で王都のタウンハウスを出た。
学園では首元までしっかり隠れたドレスを着るように決められている。
夏の間は透かし模様やレースなどおしゃれをすることも許されているが、魔道具で馬車も部屋も涼しいので、しっかり着込んでいる生徒が多く、パニエでふんわりと膨らんだドレスも禁止なので、多めにひだを取った裾の刺繍の美しいドレスを選んだ。
「ラウル、本当に一緒に行かないの?」
「行かないって言ってるだろ。先に行くから」
普段は二歳年下の弟と一緒の馬車で学園に通っているのだが、今日は隣のタウンハウスに住む同級生のエレナと登校する約束になっている。十五歳の男の子からすれば、片方は姉とはいえ年上の女の子達と同じ馬車に三人だけというのは居心地が悪いのだろう。
彼を乗せた馬車が出て行ってすぐ、ギルランタ伯爵家の馬車が玄関の前に横づけされた。
「おはようございます」
「おはようございます。やっぱりラウル様はおひとりで学園へ?」
エミリアに負けないくらい地味な小豆色のドレスを着たエレナは、親友であり幼馴染だ。
「そうなの。一緒に行こうって誘ったのに」
向かい合う席に座るとすぐに馬車が動き出した。
小さな頃から家族ぐるみのお付き合いなので、ギルランタ伯爵家の馬車には何度も乗っている。ラウルが入学するまでは、ほぼ毎日一緒に学園に行っていたくらいだ。
「休み中はずっと領地に行っていたのでしょう?」
「ええ。ダンジョンにも行ったのよ」
「あなたは無茶ばかり。危ないことはしないでよ?」
エレナは銀色の髪が美しい可愛らしい女性だ。マイペースなエミリアを心配してくれるしっかり者でもある。
「わかっているけど……婚約して相手の方が駄目だと言ったら行けなくなってしまうでしょ? だったら今回が最後かもしれないし」
「え? 婚約の話があるの?!」
「ないわ」
「なんだあ。驚かさないで」
貴族の女性のほとんどが十五歳で成人後、学園や夜会で相手を探し、十八か十九で結婚する。二十歳になっても独身だと売れ残り扱いだ。
男性の場合は、二十三歳くらいまでは独身の人もいるが、それ以上遅くなると何か問題があるのではないかと思われる。
十七歳の彼女達にとっては、これからの一年半は重要な時期だ。
ふたりとも伯爵令嬢で可愛らしい女性だが、学園に同じような立場の女性はたくさんいる。家柄がいいか、綺麗な女性から婚約者が決まっていくのは仕方のないことだった。
「うちにも縁談の話は来ているみたいなの。選べるうちに決めた方がいいとお父様に言われたわ」
「でも、出来れば素敵な方と恋をしたいじゃない?」
「素敵な方ってロザト様のこと?」
「べつに具体的に誰って話じゃないわよ」
何回も繰り返されている会話だ。たわいのない恋の話。
本気の恋愛ではなく、見目麗しい男性に憧れているだけだとわかっていても、そういう男性との素敵な恋を想像するのが楽しいのだ。
「のんびりしているとロザト様も婚約しちゃうわよ」
「お話したことないし、私のことなんて気付いてもいないわよ」
「でも今日だって、もしかしたら会えるかもって思ったから、その素敵なドレスを着て来たんでしょ?」
エミリアの憧れているリーノ・ロザトは、一年上の学年の王国騎士団長の息子だ。背が高く、鍛え抜かれたがっしりとした体格の赤毛の青年で、礼儀正しく男らしい性格だと聞いてはいるが、直接話をしたことはない。遠くから見つめているだけだ。
「無理だとわかっているのよ」
「そうなの? 声をかけてみればいいのに。マルテーゼ伯爵家はお金持ちだし、陛下にも信頼されているんですもの。いい縁談だと思うのよ」
「お父様から声をかけてもらうのは嫌なの。このままだといずれはお父様が選んできた方と婚約するんでしょうけど、私は錬金術の仕事を続けたいから、出来れば私を理解してくれる方と、徐々に親しくなって恋仲になれたら素敵だなって」
伯爵令嬢なのに付与魔法の研究をしたり、薬草を栽培したり、錬金術を仕事にしている変わり者と、恋愛しようと思ってくれる男性なんていないのではないかとエミリアは思っている。流行りのドレスもスイーツも知らず、茶会で交友関係を広げるのも苦手だ。煌びやかな舞踏会や夜会が嫌いなわけではない。ただ自分は場違いではないかと思うのだ。
「エレナは? 誰かいいなと思う人はいないの?」
「……ここだけの話よ?」
「うんうん」
「同じクラスのリベリオ・ルイーニ様」
「え? あの冷たそうな無表情男?」
「ひどい。とても頭のいい素敵な方よ」
素敵。あの銀縁眼鏡を光らせて、どんな時も表情を変えず、近づくなオーラを溢れさせている男が。
エミリアには理解出来なかった。好みの違いと言われればそれまでだが、まさかここまで親友と意見が異なるとは。
リベリオは侯爵家の次男だ。本を読みながら長い前髪を邪魔そうにかきあげているのを目撃して、だったら切ればいいのにと思った記憶がある。栗毛の艶やかな髪だった。瞳が薄い灰色のせいで余計に冷たく見えるのだ。
「え? 栗毛? 灰色」
ようやく思い出した。
あの日、怪我人の頭を支え、必ず助かるから頑張れとずっと励ましていたあの青年。どこかで見たことがあると思ったはずだ。
「もしかしてルイーニ様は殿下の側近?」
「そうね」
「うわーーーーん」
あそこにいたのはエミリアだと、これはばれているかもしれない。
「どうしたのよ、突然」
「うん……実は……」
夏休みに馴染みの冒険者とダンジョンに行った帰りに、ランドルフを助けたこと。その場にセストとリベリオがいたこと。死にかけていた騎士を救ったことを話した。
「ポーションを使ったの?」
「もちろん」
「まさか特級?!」
「……高級。殿下に連絡先を聞かれたわ」
「ちゃんとマルテーゼ伯爵に報告したわよね」
「したわよ。まあ緊急時だし、貸しが出来たからいいと言われたわ」
「あなた本当に不安だわ」
「でも、あの場ではみんな私を冒険者だと思っていたわよ」
「普通の冒険者が高級ポーションなんて持っているの?」
「いません」
キャー、殿下に会えたの?! という反応を待っていたのだが、聡明な親友は、この国の有名人の話よりエミリアの身の安全を心配する人だった。
「ルイーニ様、メガネをかけていなかったから気付かなかったわ」
「え? 伊達眼鏡なの?」
「みたいね。綺麗な顔をしていらしたのね。意外」
「意外じゃないわよ。あなた本当に恋人を作る気あるの?」
正直、錬金術が楽しくて、自分が恋愛する状況も結婚もまったく現実味がない。
日常の中で接する家族以外の男性は、仕事関係の大人か同級生だけだ。子供扱いされるか、パッとしない女の子としてスルーされるか。恋愛対象として見てくれる人がいなかったので、どうも恋愛は他人事に感じてしまう。
じゃあ自分から誰かを好きになったことはあるのかというと、それもない。好きになろうと努力して好きになれるのなら、さっさと父親に相手を見繕ってもらえばいいのだ。
リーノにしても、本気で憧れているのか、友達との恋愛話に乗り遅れたくなくて憧れている気になっているだけなのか微妙なところだった。
「私に恋は無理かも」
「わからないわよ。一瞬で恋に落ちるような出会いが待っているかもよ」
そんな話をしている間に馬車は学校に到着した。
学校の横に、馬車を停める広いスペースがあり、順番に屋根のある車寄せに馬車を停めて降りるのだ。
ラウルはすでに校舎に行ってしまったらしい。馬車が見当たらなかった。
エレナとふたりで馬車から降り、御者をしてくれた執事に礼を言って校舎に向かう。朝のこの時間は登校する生徒でただでさえ混雑しているのに、前方で黄色い声が聞こえ、何事かと視線を向けると足を止めて固まっている集団がいた。
「なにかしら?」
「さあ?」
通行の邪魔だから、群れるなら違う場所でやってくれればいいのにと思いながら人の流れに乗り、彼らの横を通り過ぎようとしたところで、
「マルテーゼ」
突然呼び止められた。
この声には聞き覚えがある。エレナもわかっているようで丸く開いた口を両手で覆ってエミリアを見ている。
こんな大勢の人がいる中で、注目を浴びたくない。聞こえなかった振りで歩き去ってしまおう。エレナの腕を掴んで歩く速度を速めた。
「おいこら、待て。マルテーゼ。エミリアって呼んだほうがいいか?」
周りに群がっていた生徒を邪魔だと追い払い、有無を言わさぬ声が近づいてくる。
ここまではっきりと呼び止められては無視出来ない。周囲から突き刺さるような視線を受けながら、エミリアは引き攣った笑顔で振り返った。
「殿下、おはようございます」
さすがは王太子。朝から目が覚めるような美しさだ。きっと何人ものメイドがピカピカに磨いているのだろう。それに比べると、自分の地味さに泣けてくる。
「おはよう。貴族だったんだな。捜すのに苦労したぞ」
「御用がおありでしたら、連絡先の店に伝えてくだされば……」
「直接話すのは伯爵の許可がいると言われた」
特級ポーションまで作る錬金術師だ。直接客とのやり取りをさせないのは当たり前だ。
「仕事の話でしたら、また改めて」
「いや違う。用があるのは私ではない。本人か確認したかっただけだ」
「……さようですか」
ならばもう立ち去ってもいいのだろうか。エレナとちらっと眼を見交わし歩き出そうとして、
「そういえば、あの時の冒険者と連絡をつけようとしたんだが、ギルドに顔を出していないらしい」
まだ話は続いていたようだ。
「うちと長期契約を結びましたので、当分ギルドには行かないと思います」
「なんだ。先手を打たれたか。まあいい。行っていいぞ」
「失礼します」
どうやら許可が出ないと立ち去ってはいけなかったらしい。
生まれてきてから今まで、こんなに注目を浴びたことはないだろう。なぜランドルフはあんなに親しげなのか、そもそも彼女は誰なんだと、すっかり話題の中心だ。
「冒険者だと思われていたんじゃないの?」
「いつの間にか調べられたのかも……。そんなにテオ達を雇いたかったのかしら」
「……違うと思う」
エレナが足を止めたことに、二歩ほど前に進んでから気付いて振り返り、彼女が人の波から外れた外廊下に視線を向けていることに気付いた。
「どうしたの?」
彼女の視線を追った先に、長身の若者が立っていた。
つい先日、話したばかりの相手だ。この学園の有名人でランドルフの側近。呪われていると噂の侯爵家の嫡男だ。その彼が、じっとエミリアを見ている。
あの日と同じ日光が当たると青く見える黒髪。三白眼の目つきの悪い眼差し。瞳の色は青で……そこまで思い出して、彼の変化に気付いて青くなった。
「瞳の色が……金色」
エミリアの代わりにエレナが呟いてくれた。どうやらエミリアの勘違いではないらしい。
先祖が精霊に口説かれたのに断ったから恨まれた。
先祖が女遊びをしすぎて恨まれた。
先祖が愛し合った女性を捨てて恨まれた。
噂はいろいろあるが、たいてい先祖がやらかしている。
その恨みを受けたせいか、バージェフ侯爵家の人間は本気で誰かに惚れると瞳の色が金色に変わり、一生その相手しか愛せなくなるのだ。
セストの父も姉も祖父も叔父も叔母も、みんな噂好きの貴族が話題にするようなドラマを繰り広げてきた。
両思いになれば、なんの問題もない。一生浮気をしない伴侶が手に入るのだ。誰もが彼らと恋仲になろうとする。
だが相手が平民だったら? 婚約者がいたら? 結婚していたら?
待っているのは泥沼の悲劇だ。
何代か前には、愛した女性に振り返ってもらえず、思い余って殺害してしまった者もいる。相手が死んだ時だけ目の色が元に戻り、また新しい恋愛が出来るからだ。
「エミリア、まさか……」
エレナの声が遠くに聞こえる。
ありえない。考えすぎだ。自分なんかを好きになるわけがない。そう心の中で繰り返しても、セストはエミリアから目を逸らさず、あろうことかこちらに近付いてくる。
「きょ、教室に行かないと」
「え、ええ……」
視線を逸らすことが出来ず、セストを見つめたまま早口に呟く。でもこわくて足が動かせない。
「やっとみつけた」
うぐっと、変な音が喉から漏れそうになった。
いつも睨みつけるように相手を見る三白眼が優し気に細められ、金色の瞳が熱で溶けた蜂蜜のような甘さでエミリアを見つめたのだ。
「エミリア」
名を呼ぶ声も反則だ。微かに掠れた低い声に、思わず足の力が抜けそうになった。
落ち着かないといけない。とんでもないことが起こっている。流されるわけにいかない。
「おはようございます。バージェフ様。もう教室に……」
「エミリア」
「……はい」
「結婚してくれ」
すべてすっ飛ばした突然のプロポーズに、気付けばエミリアはセストをぶっ飛ばしていた。
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