おまえだけしか愛せない

風間レイ

第1話

 エミリアはガタガタと揺れる幌馬車から、山の向こうに沈みかけている太陽を眺めていた。

 もうすぐ夕焼けで空が赤く染まるだろう。

 夜になるとこの辺りは、街道にも魔獣が現れる危険な区域になる。


 ここマルテは、魔獣が住む森とダンジョンがあることで有名な土地だ。

そこの魔物が落とすアイテムや装飾品、宝石、素材等を持ち帰る冒険者のおかげで、冒険組合も街も領主のマルテーゼ伯爵も潤っている。

 エミリアも今日は冒険者用の装飾具の宝石そざいを手に入れるために、信頼出来る馴染みの冒険者達と一緒に、ダンジョンの浅い階層に潜ってきた。彼女も浅い階層でなら戦えるくらいには攻撃魔法も使えるが、あくまで素人だ。無理をせず、プロに任せることにしている。

 こうして冒険者を雇って、普段はなかなか接する機会のない彼らと、行き帰りの馬車の中で情報交換しながらダンジョンに行くことを楽しんでもいた。


「今日はなかなかの稼ぎになりそうだし、冒険者ギルドへの報告が終わったら一緒に夕飯どう? 奢るわよ」


 綺麗なミモザ色の髪を乱雑に後ろで結わえ、澄んだ緑色の瞳を丸い伊達眼鏡で隠していようとも、冒険者と同じような胸当てをつけ、ロングスカートにごついブーツ姿でいようとも、実はエミリアは伯爵令嬢だったりする。

 この地の領主、マルテーゼ伯爵の長女だ。

 

「一緒に夕飯食べるのは大歓迎だけど、子供に奢ってもらうってどうよ」

「もう十七歳です」

「え? 貴族で十七歳で婚約者もいないってやばくないの?」


 だが、本人も雇われた冒険者達も身分の違いをまったく気にしていない。

 むしろ、年下だからとエミリアのほうが敬語を使っていた。


「ちょ……アマンダさん、なんで突然そんな心を抉るような話題にするの?!」

「だってねえ、冒険者とダンジョンに潜ったり、一緒にご飯食べてていいのかなって。あなた、錬金術にしか興味ないでしょ」

「いいんです! まだ私は学生ですよ。卒業までに婚約していれば大丈夫なんです!」

「あと一年半か……」

「一年半は、すぐですよね」

「聞こえてますよ!!」


 マルテーゼ伯爵は商才があり、荷物になるからと冒険者が捨ててしまいそうなクズ宝石まで買取り、家具や魔道具を作って販売することで大きな収入を得ており、伯爵の中では三本の指に入るくらいに裕福で冒険者達からも慕われている。

 長女のエミリアも錬金術師としても付与魔道士としても優秀なうえ、見た目も悪くない。ただ美形や綺麗と表現されるよりは、可愛いとか親しみやすいと言われやすい顔なので、本人は平凡な顔だと思っている。


「明日からは、今日手に入れた宝石を商品にしなくちゃいけないんですよ。忙しくて縁談どころじゃないんです」


 その気になれば縁談のひとつやふたつ、すぐに舞い込んできそうなものなのだが、何しろ本人に全くその気がない。

 今は貴族の子供が通う学校が夏休みで、腕試しにダンジョンに挑戦する若者が増える季節なので、防御魔法の付与された装飾品や防具が予想以上に売れて品薄になってしまったのだ。

 今日も何組か、冒険者を雇った貴族の子息をダンジョンで見かけた。

 子供のお守は面倒な依頼だが、報酬の良さで人気のようだ。


「冒険者ギルドやダンジョン管理組合が忙しくなる季節でもあるわね」

「実力がないくせに背伸びして痛い目を見るガキが増える季節だな」

「命を落とす子がいないといいんですが」


 戦士のテオと神官のカスト、そして狩人のアマンダの三人は腕の立つベテランの冒険者だ。ダンジョンの浅い階層は、彼らならソロでも問題ない。おかげでエミリアはこうして今回も無傷で家路につく事が出来た。

 

 だがまだ安心するのは早い。帰るまでが冒険だ。

 現に今も、アマンダが片手をあげて皆の動きを止め、上空に視線を向けながら意識を研ぎ澄ました。


「そこをちょっと行った場所で戦闘が起きてる」

「魔物ですか」

「人間同士。盗賊に商人が襲われているのかも」

「どうする?」


 リーダーのテオがエミリアに意見を求めたのは、彼女が依頼主だからだ。彼女の護衛依頼を受けている状態で、自ら危険に突っ込むわけにはいけない。


「助けに行くに決まっているじゃない」


 テオが予想していたとおり、エミリアは装飾品型の魔道具を発動させながら馬車から飛び出した。


「馬鹿、先に行くな」

「まずは物陰から様子を見るわよ」

「わかってるって」


 街道脇の草原で戦闘は起きていた。どうやら貴族の馬車を盗賊が襲っているようだ。

 襲っている方はしばらく風呂に入っていなさそうな、薄汚れた肌と髪の人相の悪い男達で、服装も傷だらけで古びた物だ。

 一方、襲われている方には、エミリアと同じ年くらいの青年もいるようだ。

金のかかっていそうな服装で、何人かは騎士の制服を纏っていた。


「げ! やばい、助けないと」

「どうした?」

「あの馬車、王家の紋章がついている」

「まじかよ!」


 気をそらすために、衝撃によって炎の魔法が発生する使い捨ての魔道具を彼らのすぐ横に投げつける。地面にぶつかったそれは、ドカンという大きな音と共に炎を燃え上がらせた。


「うわーーー、なんだ」


 それと同時にアマンダが矢を放ち、盗賊をひとり倒すと、彼らは慌てて戦うのをやめ距離を取って身構えた。


「どこのどいつだ!」

「くそう邪魔しやがって」


 かまわずに弓を放ち、魔道具を投げつける。

 ズゴーンドカーンと轟音が鳴り響き、煙が辺りを包む。その間も弓が的確に狙いを定めて飛んでくるので、盗賊達はパニックだ。

すっかり統制が取れず慌てふためいているところに、テオが剣を手に飛び込んだ。

 こうなると、あっという間に形勢逆転だ。


「ちくしょう、引くぞ」

「逃がすか」


 押されていた貴族側は助けを得て勢いを増し、盗賊達の方が逃げ腰になっている。

 あとはまかせればいいかと、エミリアはカストと共に馬車に向かった。


「怪我人はいませんか?」

「こっちだ!」


 馬車の陰に血まみれの騎士が横たわり、彼の頭を青年が抱えていた。


「回復魔法が使えるのか?」


 もうひとり、彼らの傍に立っていた青年を見て、エミリアは頭を抱えたくなった。学園で何度かすれ違ったことがある。ランドルフ・ラ・マールカ。マールカ王国の王太子がいた。

 さらさらの金色の髪に透き通った青い瞳。美形は非常時にも美形だった。さすが王族だ。


「使えます。……ああ、これはひどいな」


 怪我を負っているのは近衛騎士団の制服を着た男性だ。おそらくランドルフの護衛だろう。腹をざっくりとえぐられ、正直、見ているだけで気の弱い御令嬢なら気絶してしまいそうな惨状だ。かなり上位の回復魔法でないと完治しないだろう。


「ポーションありますか?」

「え? あ、馬車に置いてきた」

「私が回復で時間を稼ぎますから、その間に用意してください」


 カストが魔力を使い切るほどの回復魔法でダメなら、上級ポーション以上がいる。内臓がいくつか完全に破壊されているようだ。心臓が無傷なのは奇跡だろう。


「わかった」


 慌てて駆けだそうとしたエミリアを、横から伸びてきた腕が止めた。

 驚いてそちらに目を向けると、黒髪の青年が頬に出来た傷から流れる血を、手の甲で乱暴に拭いながらこちらを睨んでいた。


「俺が行ってくる。どんな鞄だ」

「黒い革の鞄よ。馬車の一番後ろ側に置いてある。馬車はあっち」

「よし」


 代わりに行くと申し出ただけはある。駆け出した彼は、かなり足が速い。

 エミリアは彼のことも知っていた。バージェフ侯爵嫡男のセストだ。

 少し癖のある黒髪と青色の瞳の彼は、イケメンではあるが目つきが悪く愛想がないせいで、ランドルフのようにキャーキャーと女性に囲まれるタイプではなく、隠れファンが多い。

 代々国王の護衛を兼ねた側近を務めるバージェフ家は、いろんな意味で有名で、セストの動向も注目の的になっていた。


(なんでうちの領地にいるのよ)


 彼らもダンジョンに挑んでみたかったのだろうか。だとしたら回復役を連れていないのは無謀すぎる。


「これか?」

「はやっ」


 取ってきた鞄をにゅっと目の前に差し出され、エミリアは驚いて仰け反りながらも、急いで鞄を受け取り怪我人の元に戻った。


「どのランク?」


 手慣れた仕草で鞄を開く。

 中にはずらりと小瓶に入れられたポーション類が並べられている。他にも予備の魔道具や薬草、非常食までぎっちりと詰まっていた。


「欠損はありませんが、内臓がかなりやられています」

「高級をかけて、内臓がある程度修復したら上級を飲ませましょう」

「私はそれでかまいませんが……」


 カストはちらりとランドルフを見上げた。

 ポーションには、一級、二級、上級、高級、特級の五種類がある。

特級は心臓さえ動いていれば、どんな状態からだろうと無傷の状態にまで戻せる反則級のポーションだ。作れる錬金術師が国に片手の数ほどしかいないため、まず目にする機会さえない。

 実はエミリアは作れてしまうのだが、それは家族とごく一部の人間以外には隠している。高価なポーションが作れると知られれば、狙われる危険があるためだ。

 それに作れたとしても、材料を集めるのが困難なため、今は手元に二本しか残っていない。


 今、使おうとしている高級でさえ、欠損以外の全てが治せる奇跡の薬だ。

 その分高い。最低でも大金貨五枚は欲しいところだ。

 因みに平民の四人家族なら、大金貨一枚で一年くらいは楽に生活出来る。


「いくらかかっても構わん」


 近衛騎士団の中でもランドルフの護衛を任される者は、それなりの身分の貴族の子息だろう。ならば遠慮する必要はないだろうと、エミリアは高級ポーションの蓋を開け、傷口全体にかかるようにバシャバシャとふりかけた。


「ぐっ……ううっ……」

「痛いのは治ってきているからよ」

「これは……すごいな」


 見る見る傷が塞がる光景に、みんなが唖然とする中、エミリアは上級ポーションの蓋を開け、怪我人の口に押し込んだ。


「飲んで。半分くらいでいいわ。吐いたら駄目よ」


 頭を支えていた青年にも手伝ってもらいながらポーションを飲ませ、残りはまた傷口に振りかけた。

 なんとなくこの青年にも見覚えがある気がするが、名前が出てこない。前髪を顎まで伸ばして真ん中で分け、柔らかい栗毛を後ろで結わいている。薄い灰色の瞳をしたなかなかに整った顔をした青年だ。


「これでいいわ。半刻ほどで完治すると思う」


 鞄を手によっこいしょと立ち上がる。ずっとしゃがんでいたために膝の裏側や脹脛が少し痛い。

 

「他に怪我をしている方はいますか? あと二回くらいは回復魔法が……」

「カスト、魔法はとっといて。街に着くまでにまだ何があるかわからないわ。怪我人は私の方に来て」

「待て。先に渡しておこう」


 ランドルフが透かし模様の入った紙を差し出したので、何も考えないで受け取ったエミリアは、重さに驚いて紙をめくった。


「え? うえっ? こんなに?!」


 そこにあったのは白金貨三枚。白金貨一枚は大金貨百枚分の価値だ。


「いくらなんでも多すぎです」

「そのポーションはおまえのなのだろう? ためらわずに高級ポーションを使えるやつとは知り合いになっておきたい。冒険者ギルドに言えば連絡はつくのか?」


 さすが王太子と言いたいところだが、同じ学園の後輩だとは気付いていないらしい。貰えるならば貰っておこうと白金貨をポケットにしまい、代わりにマルテーゼ伯爵家が経営している魔道具屋の連絡先の書かれたカードを差し出した。


「こちらの方が連絡がつきやすいです」

「ほう、マルテーゼ伯爵の店か。先程使っていた魔道具もおまえのだったのか」

「では怪我人の手当てをしてきます」


 一礼して背を向けて離れる。

 無意識に肩に力が入っていたらしい。ほっと息を吐き、鞄を地面に置いて開き岩に座って手当を始めた。

 幸いなことに深手を負ったのは彼ひとりだったようだ。

 盗賊達は最初に彼をふたりがかりで襲い、御者を襲い、そこから本格的な戦闘になったそうだ。


「はい、いいわよ」

「ありがとう。ニックを助けてもらった上に手当まで」

「どういたしまして」


 皆、怪我の手当てより、仲間を救ってくれた礼を言いたくて並んでいたようだ。そんなに何回もお礼を言われると照れ臭いが、ポーションを作れるように頑張った努力が報われた気がして嬉しかった。


「かすり傷だがいいか?」


 最後に並んでいたのはセストだ。

 鋭利な刃物で切られた頬の傷は、意外に深いのかまだ血が滲んでいる。


「もちろん」

「傷が残るから手当てしてもらえと、ランディがうるさい」


 ランドルフに言われてここに来たらしい。不満なのか突っ立ったままの患者に合わせるため、エミリアは綺麗な布にポーションを染み込ませ、立ち上がって近づき、傷に布を押し付けるようにしてポーションをつけていった。


「これは短剣の傷?」

「投げナイフだ」

「けっこう深いじゃない」


 身長差があるからやりにくい。目の高さがセストの胸までしかないので、だいぶ上を向かないと傷が見えないのだ。


「……近いぞ」

「そう思うなら少ししゃがんでよ」


 文句を言いながら視線を傷口からずらし、本当に抱き着きそうなほどに近くにいたことに気付いて慌てて後ろに下がった。


「しゃがめばいいのか?」

「もういいわよ。ケチって一級にしなければよかったわね。直るのにちょっと時間がかかるの」

「かまわない」

「これで少し傷口を押さえてて」


 睨んでいるように見えるのは、三白眼のせいのようだ。話してみれば普通に答えが返ってくるし、慌てたエミリアがおかしかったのか口元が緩んでいる。


「あとはおまじないをしてあげましょう」

「おまじない?」


 学園ではすれ違うだけの相手だ。ずっと怖い人だと思っていた。それが意外に話しやすくて、少し調子に乗っていたのかもしれない。


「痛いの痛いの飛んでいけ~」

「なんだそれ」

「おまじないだってば」

「変な奴だな」


 笑顔のセストはきつい目元が和らいで、びっくりするほどやさしそうに見えた。

 




 全員の手当てを終えて彼らとは別れて馬車に戻り、助けてもらったお礼だと大金貨の入った革の袋をテオがもらっていたことを知った時には、ランドルフの馬車は走り去った後だった。


「大金貨八十枚はあるんだが」

「嘘でしょう。もうポーション代は貰っているわよ」

「まあ、王太子殿下の命を救ったんですから、安いくらいでしょう」

「たしかにね」


 思わぬ収入に戸惑いながら、彼らも街に向かって馬車を走らせた。

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