種明かし

「症例は以上になります」


 週一回のカンファレンスが一通り終わり、その他何かありますか、と司会の和気が全体に問いかけた。すると山田がお腹をぽんと叩いた。


「そうそう、みんなに言わなきゃいけないことがある。今朝、脳神経外科のうげの重田医長が来てね……」

「そのことですが山田部長」


 九条が鋭い口調で遮った。


「先週の頭部外傷の症例、重田医長と話し合っていたにもかかわらず、有栖川部長に直談判した者がいます。このような行為は許されないと思います」

「そうねそうね、それでね……」

「山田先生、僕もちょっと今回は限度を超えていると判断しています」


 八反田が援護射撃に入った。

 裕太はそこにいながら、うつむき黙っていた。


「そう、そうなんだよ。それで……」

「正直、彼とは一緒にやっていけません。私か、彼か、どちらかを辞めさせてください、そうじゃないと——」


 山田は両手を上下に動かし、まあまあ、と大袈裟にジェスチャーした。


「そのことなんだけど、ちょっとだけ喋らせて。いい?」


 山田はゆっくりとあたりを見回した。


「和気先生、画面に柊俊介君開いて」


 あ、はいと答えてから、和気はカルテを開いた。その画像が前の大型スクリーンに反映された。


「さっき重田医長から言われたのは、病理の結果が返ってきたって」


 病理? 一同の頭に「?」マークが浮かんだ。病理というのは手術などで人間の組織、肝臓や、腎臓、その他皮膚などを切り取り、顕微鏡で細かく見ることをいう。肉眼ではわからない細胞の違いから、その臓器に隠された重要な特徴を見つけ出すこともできる。今回は脳の血管の一部を病理、という部署に提出し、その特徴が分かったということだった。


「君たちも疑問に思ったと思う。なんで有栖川先生のような方が緊急手術を決断したか。我々の目から見ても、あの子はもう助からないことは分かっていた。それなのに、だ。わかる人はいるかい?」


 九条は訝しげな表情を浮かべながら、「そりゃ、彼が……」とつぶやいた。


「うん、あのね。やっぱりあの短時間であれだけの出血はやはりおかしい、そう思ったらしいんだ。それであの手術の目的はあの子の命を救うことではなくて……」


 皆が画面に映し出される、病理の結果に釘付けになった。


「あの子が、なぜ死ななければならなかったのか。それをはっきりさせることだったんだ」


 和気が病理の結果を見て目を丸くした。


「山田先生、これって……」


 山田は大きく頷くと、お腹がたぷん、と鳴った。


「『脳動脈奇形』あの子は生まれつき、非常に弱い血管を持っていたんだ。だから遅かれ早かれ、なんらかの衝撃で同様な事は起きていた。もちろん生前にそれが見つかればよかったんだけど、なかなか見つけられるものではない。手術をしてもしなくても、あの子にとっての結果はきっと変わらなかっただろう。でも大きく変わることがある。それは残された人たちだ」


 皆が魔法にかかったように山田の声に聞き入っていた。山田も一点を見つめながら続けた。


「もしあそこで何もしなかったら、お兄さんは一生自分を恨んだだろうね、自分が弟を殺したんだと。でも違った。悲しいことだけど、いずれこれは起きてしまう運命だったんだ。それが分かっただけでも、残された人たちは悲しみを受け入れることができる。神の手ゴッドハンドとはなにも患者さんだけを救うわけではない、時には患者家族の気持ちも救うこともあるんだね、それでこそ神の手ゴッドハンドと崇められるんだね。お、ちょっとかっこいいこと言ったかな」


 ふぁっ、ふぁっ、ふぁっと言いながら、よーし、今日はおしまい! お疲れ様でしたー、とお腹を叩くと立ち上がった。それを合図にみな立ち上がり、部屋を片付け始めた。

 九条、八反田のやめるやめない話はいつの間にかうやむやになっていた。


 水野が嬉しそうな表情で駆けつけ「ねえ、ちょっと」と言いながら、裕太を屋上テラスまで引っ張って行った。

 ようやく屋上テラスに辿り着くと、周りに誰もいないことを確認してから、水野が満面の笑みを浮かべた。


「城光寺先生! やったね! 城光寺先生は、お兄ちゃんの気持ちを救ったんだよ」


 裕太はどんな表情をしたらいいのかわからなかった。


「いや、やってくれたのは有栖川先生だから……」

「——いや、だって城光寺先生が言ってくれなかったら有栖川先生も知らなかったでしょ? カッコ良すぎるよ、城光寺先生!」

 水野が目をうるうるさせながら、叫んでいた。


(これでよかったのかな)


 自分の過去は変えられない。妹、希の命はもちろん、そのことを責め続けている自分も変えられない。しかし、今後起きるかもしれない同じ悲劇は救えるかもしれない。それを積み重ねて、少しでも悲しみを抱える人を減らしたい、そういう意味では自分のやったことは意味のあったことなのかもしれない。


「おい、水野。違うぞ、それは」


 振り返ると、千賀が立っていた。

 突然の指すような低い声に、水野はびくっとなった。


「こいつは全然出来てない」


 裕太は眉をひそめた。


「家族を救えたって? こいつはなんも分かってないまま、有栖川先生に泣きついただけじゃねーか。ビギナーズラックもいいとこだ。これで間違った方向に転んでたらただじゃすまなかったところだ」


 千賀が裕太の前に立ち塞がった。


「そもそもお前らがもっと勉強して、疾患のことをよく知っていたら、あんな九条なんかにごちゃごちゃ言われなくても、自信持って言えただろうが。お前らが無能だから余計ないざこざが起きて、もめるんだろうよ」


 裕太はひとつ、軽い息を吐いた。それから千賀を見た、強い目だった。


「はい、がんばります。いつもありがとうございます」


 深々と頭を下げた。それから勢いよく頭を上げた。


「千賀先生、聞いてください。今初めて言います、自分がなんで医者になろうと思ったか」


 突然の告白に水野は戸惑い、千賀は裕太のその言葉の先を待った。

 裕太の目は真剣そのものだった。

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