神の手が神の手たるその所以

 15番手術室。有栖川率いいる脳神経外科チームの準備が整った。

「患者さんは柊 俊介君、3歳。家でお兄ちゃんに叩かれた事による頭部外傷。

執刀は有栖川」

「助手、重田」

「第二助手、坂瀬川」


 看護師がアレルギーはないことなどを確認したあと、有栖川の声が響いた。


「それでは開頭血腫除去術はじめまーす、よろしく」


 はいっ、よろしくお願いします! 威勢の良い声とともに手術が始まった。15番手術室は教育用に、上から見学できるようになっていた。そこから実習中の医学生がたくさんいた。


「あの人があの有名な有栖川先生か」

「あの先生がこんな簡単な手術をするのってレアらしいぜ。なんでまた?」


 通常脳神経外科の手術は、数段階に別れている。頭の皮膚を切開して、骨に穴を開ける人、次の人はさらに内部に穴を開け、次の人がさらに内部へ。後になるほど経験年数が高い、つまりベテランが受け持つことになっている。そして最後に一番大事な部分を受け持つのがその手術の最高責任者、大学であれば教授、その他であれば部長クラスということになる。つまり有栖川レベルの医師がこのような頭の骨を開けて、血の塊を取り出すだけの手術をするなんて通常はありえない。なぜこのようなことになったのか、スタッフ含めほとんどが理解できないでいた。


「あぁ、やっぱりひどいね。残念だけど助からない」


 有栖川の声がマスク越しに響いた。

 当初の目的を果たすと、有栖川率いる手術チームは手術を終える手筈を進めていった。



 死亡診断は夜の9時だった。エンゼルケアと呼ばれるご遺体をきれいにする処置を終え、お見送りの時間となった。通常病院には霊安室が用意されており、その近くの裏口からご遺体は霊柩車に乗せられる。

 子どもの場合、抱っこできるくらい小さいので、自家用車で連れて帰ることも多い。

 裏口に小児科医と看護師数名が並んだ。

 亡くなった俊介君がお母さんに抱っこされ、スタッフと対峙した。涙をすすりながら、深々と頭を下げると、スタッフ一同も頭を下げた。兄はずっと泣いていた、なだめられながら皆が車に乗ると、ゆっくり動き出した。

 その様子を病院スタッフ一同は頭を下げながら見送る。高齢の方であれば珍しくない「お見送り」も子どもとなると、スタッフの精神的ダメージは大きい。しばらく経って、頭をあげると、みなそれぞれの持ち場へ去り始めた。

 裕太も帰ろうとしたその時、


「おい、どういうことだよ」


 九条が凄まじい剣幕で裕太を睨んでいた。裕太は表情ひとつ変えずに答えた。


「どうって、何が」

「とぼけんなよ。なんで有栖川先生がオペなんかしてんだよ」

「——さあ、俺にはなんのことだが」


 九条が裕太の胸ぐらをつかんだ。


「お前あれだけやめろって言ったのに勝手なことしやがったな。これで重田先生のメンツ丸潰れじゃねーか。お前は一生懸命やって英雄気取りかもしれねーけど、助かりようもない子どもの頭に穴開けて、しかもあの有栖川先生の手をわずらわさせて、結局助からなくて——これ全部お前の自己満足だろーが」


 裕太は冷めた表情で、胸ぐらをはたいた。それからスクラブと白衣を整えた。


「城光寺先生、僕からも言ったよね。そういうことはしないでって」


 八反田も九条の横に並んだ。


「これで間違いなく、小児科と脳神経外科のうげの関係は悪くなる。このせいで、今後救えたはずの命が救えなくなるかもしれない。そこまで考えて行動だったのかい?」


 八反田の目がいつになく鋭く、声はひんやりと冷たかった。


「城光寺先生の行動はとても許されるものではない、僕はもう君のことの面倒を見切れない」


 そう言い捨てると、八反田は去って行った。

 九条も冷たい視線を残したまま、いなくなった。


 一人、夜の闇に残された裕太はその場に立ち尽くしていた。


(俺のやったことは間違いだったんだろうか)


 あの時、裕太は有栖川の元へ駆け込んだ。こういう子がいる、なんとかならないかと。有栖川は、うんうんいいながら、『分かった、色々面倒なこともあるだろうから、私が偶然通りかかったことにしよう。それでいいね? あとの事は任せなさい』その後どういう経緯があったのか、裕太は知らされなかったが、突如有栖川による執刀が決まり、緊急手術が行われた。しかし救命はできず、今に至る。


(もうここにはいられないんかな、別の病院探すか……)


 吹き付ける生暖かい風が、木の葉を飛ばす。新しい季節の始まりは、裕太にとってはほんのり切ない、終わりの予感も含んでいた。

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