規律に従うか、信念を貫くか
救急外来には九条がすでにスタンバイしていた。
裕太が、看護師の一人に問いかけた。
「どんな感じですか」
「はい、家でお兄ちゃんとふざけてたみたいなんです。それで頭をぽかりとやられた直後から突然ふらふらと倒れたみたいです。最初はふざけてると思ったみたいなんですが、問いかけても全然目を覚さなくて。それで救急車を呼んだみたいです」
八反田が到着し、ベッドサイドにいた九条に話しかけた。
「九条先生、CTは撮った?」
「はい、硬膜下、くも膜下腔全体に出血が広がっていて、ミッドラインシフト(出血した血で、脳の組織がぐにゃりと圧迫されている)も起きてます。対光反射も鈍いし、かなり厳しいですね」
「
「はい、重田先生にコンサルトしましたが、もう打つてはないと」
裕太の全身に鳥肌がたった。
(打つ手がないだって? この子はもう死ぬってことか?)
八反田は腕を組み、難しい表情をした。
「
はい、と動き出そうとする九条に、
「ちょっと待ってください」
裕太が止めた。
「本当に何かできることないんですか? ダメで元々でも開頭(頭の骨を開ける)してみるとか」
九条はあからさまに嫌悪感を露わにした。
「あのさ、君何いってんの。
「でもどうせだめなんだろ? ご家族も納得いかないだろ、これじゃ。そもそもなんでそんな簡単に出血するんだよ。基礎疾患(元々持っている病気)もないんだろ、そんな人がこんな突然……」
九条が裕太の前に立ちはだかった。
「あのさ、前から思ってたんだけど、君のその考えがみんなに迷惑かけてんだよ。頼むから邪魔しないでくれる。それから」
九条は眉に力を入れた。
「有栖川部長と仲良しらしいけど、頼むから直談判とかやめてな。こっちは重田医長と話し合って方針決めてんだ。それを飛び越えて部長に話したりするのは重田医長をコケにすることになるんだからな。そんなことしたら小児科と
キッ、とにらんでから、その場を去って行った。
裕太は拳に力を入れていた。
目の前に横たわる3歳の少年。バイキンマンのTシャツを着ていた、下は紺の半ズボン。今朝まで普通に遊んでいたこの子が、こんな短い時間で、人生を終えることが決定させられるのか。
八反田が裕太の様子に気づき近寄ってきた。
「城光寺先生、気持ちはわかるよ。でも九条先生の言っていることももっともだ。我々にできることは限られている。チームで動いていることを忘れないでほしい」
裕太はしばらく床の一点を見つめていた。食いしばった歯がかたかた鳴った。
「おい、裕ちゃん。大丈夫か?」
裕太の脳裏にはろうそくが浮かんでいた。
幼い頃、妹を亡くした裕太は、それが自分のせいだと思い込んでいた。自分の誕生日のろうそくを妹に消させてあげていれば、今頃元気でいたはずだと。
ずっと自分を責めていた。何かできることがあったんじゃないか、どうしたら妹は助かったのか——あてのない責任感がまるで呪いのようにまとわりつき、忘れることはあっても無くなることは決してなかった。
(このままじゃこの子のお兄ちゃんは——)
話によると、お兄ちゃんに頭を叩かれたあと、意識を失ったという。それを聞いたら、きっとお兄ちゃんは一生後悔することになるだろう。待合で待っていた兄が不安そうに母に寄り添っていたのを思い出した。
(急がなきゃ——急がなきゃ過去になってしまう。過去は変えられないけど、未来なら変えられる。自分はそのために医者になったんじゃないのか)
裕太はきりっ、と顔を上げると走りだした。
「おい、裕ちゃん。どこいくんだよ」
走り出した裕太を止められる人はもういなかった。
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