謝罪
院長室。
小菅院長の前で、裕太と千賀が並んでいた。
「申し訳ありませんでした」
頭を下げた裕太を、千賀がさらに押し込んだ。その手には髪の毛の感触がなかった。裕太が頭を坊主にしたからだ。
「なにもそこまでしなくても。今時はやらないよ、頭を丸めるなんて」
院長は高級リクライニングチェアもたれかかりながら、見下ろした。
「こいつもこれだけ反省しているんで、どうか私の顔に免じてお許しください」
千賀も頭を下げた。それを横目で見ようと裕太が視線を逸らそうとした瞬間、さらに千賀は裕太の頭を押し込んだ。
「いいんだよ、君……えーと城光寺先生? だったね。動揺してたんだろ? しょうがないよな、あれだけのことがあったんだから。それに千賀先生も暴力はいかんよ、今時色々うるさいからね」
はい、以後気をつけます、と述べると顔を上げた。
裕太も顔を上げた。そして息を大きく吸い込むと、
「以後気をつけます!」
と大きな声を上げた。
「はいはい、わかったから。それはいいとして、君たちは?」
裕太の横に並んでいた伊井と水野は、気をつけをして立っていた。
裕太同様、2人とも頭を丸めていた。
「はい! 同期として、反省すべきと思いまして」
伊井は自信に満ちた表情で「気をつけ」をしていた。
小菅は伊井と水野の坊主頭を怪訝な表情で見つめた。
「いきなり坊主が3人も現れたら患者さんびっくりするだろう、何か悪いことでもあったのかもしれないと勘ぐられたらどうするんだよ」
へ? と伊井は脱力した。
院長室を後にし、ドアをゆっくりと閉めると、がちゃり、という音が鳴った。
それを確認してから、千賀が裕太の尻を軽く蹴った。
「ったくよぉ」
一言呟いてから、去っていった。その背中に裕太が大きな声を張り上げた。
「ありがとうございました!」
千賀がそれに答えることはなかった。
「裕ちゃん、よかったな。特にお咎めもなさそうで」
「まあな」
坊主3人はふう、と肩の力を抜いた。
「それよりさぁ」
水野が蚊の鳴くような声を上げた。
「ぼくたちの坊主……必要だったかなぁ」
昨日、裕太が頭を丸めて謝罪に行くと聞いた伊井は、水野を呼び寄せた。
『あのな水野っち。クレーム処理ってのは早さと度合いが大切だ。相手が思っているより早く、そして多く謝罪する。明日来ると思ってたら、今日の夜、10万円払って欲しいと思っている相手には50万。1人坊主と思っているところに3人坊主がきたら、院長もさすがに許そうかってなるだろう。裕ちゃんの大事なときだ、俺らも一肌ぬごう』
水野は全く乗り気では無かったが、裕太のためと思い提案に乗ったのだ。
「まあ意味があったか無かったかというと……」
裕太は考えるふりをした。
「あんまり、なかったかな。むしろ印象悪かったよな」
「おい、裕ちゃん。それはないぜ、俺なんかせっかくストパーかけたの台無しになったんだぞ? どうしてくれるんだよ」
「うそうそ、サンキューな。今度めしおごるわ」
「おう、頼むぜ。店は決めてある、ビーフオーナーズって高級肉レストランの最上階、最低でも1人1コース1万以上はするから、覚悟しといてな」
お前、ふざけんなよ、と言い返す裕太を見ながら、水野がロビーのベンチに腰をかけた。
「それにしてもさぁ、千賀先生が殴るとはねぇ。驚いたよ、千賀先生も熱くなるんだなぁって」
伊井が人差し指を顔の前に立てると、チッ、チッと音を立てた。
「水野っち、違うよそれは。千賀先生は全てお見通しだった、予定通り。決して感情的になったわけじゃない」
水野が眉に皺を寄せた。
「わざと城光寺先生を殴ったってこと?」
裕太も訝しい表情を向けた。
「そ。あの状況で裕ちゃんを救うには、あのタイミングで、千賀先生が、あーするしかなかったんだ」
「あーするしかなかった? どーゆーことだ」
「考えてもみろよ、どうしたって裕ちゃん詰みだよ、あの状況。でも千賀先生が熱くなったふりをして、あの状況を逃がしてくれた。しかも殴られたとなれば、それなりに裕ちゃんも痛手を負っている、いわゆるペナルティな。殴った千賀先生もVIPだから辞めさせる訳にもいかない、そうなると院長も裕ちゃんを許さざるを得ない。俺とか水野っちが殴ってもみんな揃ってやめさせられるだけだからな」
ふうん、と裕太は口をへの字にした。
「そっかぁ、千賀先生はあの短時間でそこまで考えていたのかぁ」
「ああ、天才の考えることは俺らの常軌を逸しているよ。すごい人だよ、あの人は、まったく」
ふうん、と頷く裕太の前を九条が通り過ぎた。
「あ、九条先生」
裕太の声かけに九条は足を止めた。
「色々迷惑かけて悪かったね」
九条は3人を見ずに答えた。
「辞めても良かったんだぜ?」
3人から笑顔が一瞬で消えた。
「今なんて?」
「俺にとっては免許なんてあってもなくてもどーでもいい、欲しい人が持ってりゃそれでいいんだ。でも死んだら終わりだ。桐生氏は自ら死んだんだ、そんな人を憐れむ必要はない」
「……あのさ、それはいくらなんでも——」
「君だって、納得が行かないならやめれば良かったんだ。何も無理してこんなところに居続ける必要はない。医師免許がありゃ、どこでもやっていけるだろ。頼むから、変な気を起こしてこっちにまで迷惑かけないでくれよな」
歩き出す九条を見て、裕太の頭の中にあった糸がぶちっとちぎれる音がした。
「おい……お前今なんて」
まあまあ、と伊井と水野が裕太をなだめ、視界から九条が見えなくなる位置まで連れて行った。連れて行かれながら、伊井が裕太の頭をすりすりすると「やめろ、人の頭おもちゃみたいに」と裕太がどなった。
「だって、裕ちゃんの頭気持ちいいんだもん」
うわっ、キモ、といいながら裕太は伊井をにらみつけた。
「そうだねぇ、伊井先生のあたま、ざらざらしてるよねぇ」
坊主談議を重ねる3人に、外からは春の暖かい日差しが差し込んでいた。
気づけば3人がこの病院に勤め始めてから一年が経とうとしていた。三寒四温がまだ五寒二温くらいのこの時期。裕太にとっての最後の試練が近づいてきていたことにまだ誰も気づいていなかった。
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