それは見落としかねないわずかな変化

 あの日以来、美沙子は一層喋らなくなった。

 裕太は毎日病室に赴いてはいたが、その姿をただじっと見ているだけで、こちらから話しかけても、うんともすんとも言わず、わずかに首をゆらすだけだった。机の上には今までのようなパソコンや資料の代わりに、食べかけのパンや、カップ麺のゴミが目立つようになった。


「じょーこーじ、じょーこーじ先生、わーかーるー?」


 裕太はひなたの目を見て声をかけ続けた。


「先生いっちゃうよー、いいのー?」


 ひなたは顔を横に動かしていたが、目線はどこか虚ろで定まらない様子だった。意味のある動きとは思えなかった。

 ふう、と一息ついてから、裕太は美沙子に話しかけた。


「お母さん、今ひなたちゃんは栄養を取るために鼻からチューブを入れています。口から食べることができないからです。この期間が続く場合は、胃瘻といって胃に穴を開けてそこから入れてあげる方がひなたちゃんにとっては負担が少ないかもしれません」


 美沙子は椅子に座り、裕太ではないどこかをぼんやり眺めていた。以前の覇気はすっかり失われていた。外は昼間にも関わらず暗くなり始め、窓ガラスを数滴の雨が叩き始めた。


「もういいです」

「え?」

「もう、諦めました」


 ぼそっとまるでマネキンのような口から呟かれた言葉に裕太は面食らった。


「どういうことですか?」

「だからもういいって言ってるんです」


 雨足は急に強くなり、大粒の雨がドンドンと窓ガラスを鳴らし始めた。


「もう、辛いんです。希望を持つの。あの日、いつも通り笑って、しゃべって、歩いてたんです。それがこんなになっちゃって……。ひなは、私のたった一つの宝物だったのに——」


 外で一つ雷が轟いた。それに負けないくらい、大きな声で美沙子はわんわん泣いた。机を叩いた、その振動で乗っていたカップ麺のカップが床に落ち、割箸が散らばった。その光景を見て裕太は一つ唇を噛み締めた。


「会いたい——ひなに、会わせてください。ねえ、悪い夢だったって言ってくださいよ、あなたお医者さんなんでしょ?」


 そのまま美沙子が体重を机にかけようとしたため、机が傾いた。そのまま体ごと倒れそうになった。


「危ない!」


 ベッドの横に立っていた裕太が咄嗟に美沙子を支えようと飛び出した。しかし、白衣の一部がひっかかったのか、途中で動きが止められた。急いでそのひっかかったところを探し、振り解こうと振り向いたその時だった。


「!」


 そのひっかかっていたものを見て裕太は目を疑った。そして目を丸くした。


「じょ……じょーちぇんちぇ」

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