木漏れ日はやがて大きな光へ
ひなたは裕太を見ていた。そして手で裕太の白衣を掴んでいたのだった。
そして——
「お母さん、聞きましたか? 今の」
美沙子もひなたの元に駆け寄った。
「ひなちゃん? ひなちゃん。もう一度言って!」
ひなたは顔を美沙子の方へ向けた。そしてじっと見てから、そのまま目を閉じた。掴んでいた手はいつの間にか緩んでいた。
「見た、今確かにこっち見た!」
「見ましたよ、はっきりと視線をお母さんに向けてましたよ」
すごいすごい、ひなたちゃんすごい! そうはしゃぐ二人をよそに、ひなたはただ目を閉じたままだった。
「ひなたちゃん、頑張ったね! ひなたちゃんも頑張っているんだよね、僕らも諦めないで、頑張るからね!」
どれだけ声をかけても揺らしても、その日ひなたが目を開けることはなかった。
光があった。それは微かな変化でしかなかったが、副都心を取り巻く巨大な低気圧にも負けないくらい、明るく希望に満ち溢れたものだった。
何か大きなものがゆっくりと動き始める、そんな手応えを裕太は確かに感じていた。
それからの回復は目覚ましかった。
問いかけに頷くようになり、徐々に目線を合わせるようになった。起き上がったり、体を動かすリハビリも順調に進んだ。
「はーい、ベロだしてー」
裕太は言語聴覚士によるリハビリを横で見ていた。言語聴覚士は主に口の動きのリハビリを得意とする専門職で、Speech TherapistからSTと呼ばれる。ひなたは座位で、言われた通りに口を開け、ベロを出そうとした。
「そうそう、上手。じゃあこれ噛んでみるよ」
一連の流れを食い入るように裕太は見ていた。
「先生、どうですか? ひなたちゃん、食べられそうですか?」
噛む、飲み込むといった食べる機能がしっかりしていない状態でご飯を食べさせると
「大丈夫そうですよ、飲み込みも良さそうですし。とろみのあるものから試してみましょうか」
「はい、お願いします」
体のリハビリも進み、理学療法士に支えられながらではあるが立ち上がり、歩行練習をできるまでになった。その姿を遠くから微笑みながら裕太は眺めていた。
(子どもの回復力って本当にすごいな、正直もう治らないと諦めていたのに)
その回復力に驚かされる一方、障害の進行する速度が速かったのも事実である。
心臓は10分止まったまま放置されると、脳がやられて死に至る。1分経つごとに死に至る確率が1割増える。下手くそでもいい、心停止してしまった心臓をどれだけ早く気づいて押せるかがその人の今後を大きく左右する。
あの時千賀は裕太に心臓マッサージの手を止めるなと言った。裕太にはその意味がはっきりとは分からなかったが、今ならわかる。あの数秒間心臓マッサージを止めただけでひなたの脳細胞は凄まじい勢いで死んでいき、回復する確率が急降下していたはずだった。あの数秒のおかげで今のひなたがある。そしてあの揺れていた状況で
(やっぱりあの人はすごいな)
ぼんやりとそんなことを考えていると、ひなたが裕太に気づいた。すると理学療法士の野田を振り切って、裕太の方に向かってきた。歩くのもままならないひなたが転びそうになるのを野田が支えながら、ゆっくりとゆっくりと裕太の方へ近づいてきた。そして満面の笑顔で、裕太の胸に飛び込んだ。
「ひなたちゃん! どうしたの?」
ひなたが顔を上げると、にっこり笑っていた。
「じょ、ちぇんちぇ、ちゅきぃー」
ん? という顔をしていると、後ろから美沙子がやってきた。
「
え? と言ってから、裕太は照れて頬が真っ赤になった。そのまましゃがみ、ひなたと目線を合わせた。
「そーなの、ありがとね。リハビリ頑張ってね」
大きく頷くと、再び野田に支えられながら歩き始めた。
その様子を裕太と美沙子の二人は眺めていた。裕太がちらっと美沙子の横顔に目をやった。屈託のない笑顔だった。それをみて、裕太も少し笑った。
ある晴れた日。
様々な問題が解決しつつある矢部親子の病室に裕太は向かった。とある重大なことを告げるためだった。
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