ピアサポート
「……はい、じゃあ今日のカンファはこれで」
次の週のカンファレンスが終わろうとしたとき、千賀が、あっ、と声を上げた。
「
あー、あー、あの人ね、と山田が明るい声を上げた。
「看取りたい、って言ってた人でしょ? どうなった?」
「今度ピアサポートをお願いしました」
ピアサポート、とは同様な境遇の人同士の助け合いを言う。ここでは心疾患の子を持つ親にお願いし、その話を聞いてもらうことを意味していた。医師が語れない細やかな気持ちの変化や、悩み、不安とそれをどう乗り越えたかを聞くことができる。しかしこれには話をする側のストレスや負担も大きく、簡単には行えないことが多い。
「おお、それはいい考えだね。いつやるの?」
「明日です。滅多にないケースなんで、研修医を入れます」
九条が手を挙げた。
「自分に入らせてください」
誰よりも早い名乗りだった。しかし、
「いや、今回は水野」
名前を呼ばれた水野は、ふえっ? と息を呑み込んでむせこんだ。
「お前に入ってもらう。嫌だったら入らなくていい」
水野は息を整えた。
「は……はいぃ。ぜひお願いします」
それを見て九条はつまらなそうにため息をついた。なんでこいつが、という視線を突きつけた。
*
10人程度が入れそうな部屋に、美菜とその母親、そして水野と病棟の看護師が既に座っていた。
「さあ、こちらへどうぞ」
千賀に案内され、一人の女性が入室した。丁寧におじぎをしながら入ると、その後勢いよく一人の子どもが入ってきた。
「富士田さんです、今入ってきた陣太郎君は同じく
陣太郎が丸椅子を見つけると、全力でそれを回し始めた。そしてきゃっきゃっと笑っている。酸素の投与もしていなければ、見た目も通常の5歳児と変わらない、言われなければ重い心臓の病を患っていたとは想像もできないくらい元気そうだった。
「富士田さんも最初は色々悩んでおられました。今回は嵯峨山さんを説得したいわけではありません、大事な決断をするために多くの話を聞いてほしい、そう思ってお願いし、快く受けていただきました」
富士田が、こらっ、陣太郎! と怒鳴ると、陣太郎はママー、ゲーム、とせがんだ。富士田が渋々iPadを渡すと、陣太郎がそれを受け取り、慣れた手つきでゲームを始めた。富士田が眉をひそめながら話を始めた。
「すいません、もう元気すぎて手がつけられないんです、この子。今回お話の提案いただいて、是非引き受けさせていただきました。妊娠中の私も、同じようにピアサポートで話をしてもらい、とても助かりましたから」
そう言ってから、富士田は淡々と語り出した。
最初は中絶も考えたんです。診断を受けたのが20週でしたから。でも色々悩んでいるうちに22週を過ぎちゃって。正直私には育てられないと思っていました。日に日に大きくなるお腹を見て、それと同じくらい不安も膨らんでいきました。もし育てられなかったらどうしよう、場合によっては一緒に死ぬしかない、そんなことすら過るほど不安でいっぱいでした。そして出産の日、帝王切開でこの子が生まれたんです。そしてこの子の産声を聞いて、私は驚きました。だって、うるさいほどに元気に泣いていたんです。一体この子のどこに心臓の病気があるの、って思うくらい。まるで「僕はどんなことがあっても絶対に生きるぞ」って叫んでるように聞こえました。その瞬間、私がこの子を堕ろそう、とか、育てられないかもしれない、なんて悩んでいた全ての迷いが吹き飛びました。それからも手術や、体調不良で入院を繰り返したりと色々大変なこともありましたが、一度たりとも不安を抱えたことはありませんでした。今ではむしろ元気過ぎて、困っています。ちょっと調子悪いくらいがちょうどいいんですけど。
そう言って富士田が苦笑いしながら、陣太郎を見た。陣太郎は夢中になって、iPadのアプリで遊んでいる。
私、ダウン症の方のブログを読んだことがあるんです。それが今でも印象に残っていて、この子を育てる時何度も励まされました。その話をしてもいいですか?
こんな例え話です。
あなたは友達と海外旅行にスイスへ向かいました。スイスのガイドブックを買い、こんなところに遊びに行って、こんなことをやって、買ってと準備をしてきました。ところが手違いがあって、他の友達はスイスに行きましたが、あなただけオランダに着いてしまいました。あなたはがっかりするでしょう。あれほど行きたかったスイスに行けなくなってしまったのですから。でもオランダにはスイスにないたくさんの良いところがあります。素敵な景色があります、出会いもあります。もし今すぐスイスに行けないということがわかっているなら、オランダを楽しんでみませんか、って。
私、この子が病気になって、色々な人と話す機会がありました。同じ病気を抱える人、助けてくれた看護師さん、お医者さん、療育の先生。もしこの子が病気じゃなかったらこの全ての人たちのことを知らないで過ごしていたのかと思うと、逆に今ではぞっとします。世の中にこんなに大変な生活を強いられている人がたくさんいて、それを一生懸命支えている人がいて、それらを全く知らないで生きてきたんだなって。だから今ではむしろこの運命に感謝するようになっています。
私が一生懸命この子を生きさせようとしても、ダメな時はきっとダメ、逆に見捨ててもこの子が生きる時はきっと生きる。だったら、もう深いことは考えずに、目の前のことだけ考えて一生懸命進めばいい、なるようになる、なるようにしかならない、今はそう考えています。
水野はちらっと、美菜を見た。
美菜は富士田の話を、うつむきながらじっと聞いていた。その表情の奥が今どうなっているのか、伺おうにも伺い知れる様子は全く無かった。
それから3ヶ月の月日が経った。
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