嵯峨山 美菜のウラの顔

「あ、もしもし嵯峨山さん?」

「水野君? どうだった? 説得してくれた?」


 水野は昼食後から何も喉を通らず、たまっていた胃酸が喉まで込み上げているのを感じていた。


「うん、話してみた。それで——」

「それで?」


 期待に胸を膨らませている声色がうかがえた。水野は軽く息を吐いた。


「嵯峨山さん、大変かもしれないけど、やっぱり子どもは助けようよ。今、だいぶ医療が進んでて、多くの人が元気に育っていけるようになったんだ、支援の制度も充実してて、医療費はかからないし、特別児童扶養手当っていうのがあって、お金が支給される制度もある。何かあれば僕も手伝うし、だから……」

「あ、そう」


 美菜の声が変わった。


「つまり、無理ってことね」


 水野の胸元が、きゅ、っと閉まった。


「ま、水野君に頼んだ私が間違ってたわ。だって水野君、まだ若いもんね、そんな権力も無いだろうし、どうせ無理かもって思ってたし」


 いーよ、自分でなんとかするから、じゃーね、と言って美菜は電話を切った。水野はしばらくスマホを握ったまま動けなかった。昔の映像が蘇った。

 クラスでいじめられ、机で泣いている美菜、そこに自分が近寄り、声を掛ける。


『嵯峨山さん……大丈夫?』


 場所は小学校の教室だった。しかし、赤紫の、まるで陽炎のようなもやもやが部屋全体にたちこめている。周りに男子が数人いるが、皆一時停止を押された動画のように止まり、顔がぼやけて見えなくなっていた。

 水野が美菜の顔を覗き込んだ。そして肩に手を置く。そのままゆっくりと顔が上げられた。


『!?』


 そこにあるべき顔は小学生の美菜ではなく、大人になった、そして目の吊り上がった鬼のような形相の美菜だった。


『どうせ水野君には、私は助けられないよ。だって、水野君なんだから——』


 はっ、としてスマホを放ると、水野は我に帰った。

 やっぱりだめだったか。

 強くなりたい、大事な人を守りたい、その思いでここまでやってきたのに、そしてやっと医師になったのに。結局あの頃と何も変わらなかった。自分は弱いままで、誰も助けられない、なーんも変わってなかったんだ。

 水野の心はすっかりぺちゃんこになって潰れてしまっていた。

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