第三章:救いたくても救えなかった命と、看取りたくても看取れない命

カンファレンス

 カンファレンスとは簡単に言うとミーティングのことだ。事務的な話し合いをすることもあれば、週一回開催して入院している患者のプレゼンテーションをすることもあり、どちらかと言えば後者のことを指す。このカンファレンスは重要な意味を持っている。なぜなら医師はほとんど一人で治療方針を決定するため、定期的にこういう場を設けることにより、その診療が間違ってないか、他にもっといい治療法はないか、などを複数の医師の目で確認することで患者さんの治療レベルの向上につながる。

 と言えば聞こえは良いが、他にも大事な目的がある。若手医師に患者のプレゼンテーションをさせ、その内容を強面の上級医師がボコボコにして鍛えていくという、ある意味医師の闘技場コロシアムみたいな場所でもあった。


「……はいぃ、それでぇ肺炎と診断し入院としました。抗生物質抗菌薬はスルバシリンを選択し……」


 水野が震えながらプレゼンテーションをしていた。


「なんで?」


 突然かけられた千賀の追い詰めるような問いかけに、水野は、え? と答えるしかなかった。


「だから、なんでスルバシリンなんだよ。言って」

「え、いや……あのぅ、肺炎には大体スルバシリンかなと」

「お前それでも医者か? どこの教科書にそんなこと書いてあんだよ。抗生物質抗菌薬の使い方もわかんねえなら、患者持つ資格ねーんだよ!」


 水野はノックアウトされ、すごすごと元々座っていた位置に戻った。

 次は九条の担当患者だった。堂々たる風格で立ち上がると、スマート且つ自信に満ち溢れた声色でプレゼンテーションを始めた。


「……このことから肺炎と診断し、抗生物質抗菌薬はビクシリンを選択しました。原因菌は肺炎球菌かBLPARブルパーをターゲットにしています」


 誰も九条に鋭い質問をする者はいなかった。それで正しい、という暗黙のサインだった。

 伊井が裕太に耳打ちした。


「さすが九条先生だな、誰もつけ入る隙がない」


 それを聞いて、裕太はつまらなそうに、椅子に体を預けた。


「……また、酸素飽和度(体の酸素の量)SpO2(エスピーオーツー)が89%と低下していましたが、この子は4mm大の心室中隔欠損VSD(ブイエスディー)があるため、酸素投与は行いませんでした」


 この話にも誰も何も言わない。和気や山田部長もにこにことうんうん頷いていた。すかさず伊井が裕太に耳打ちする。


「あれ、心室中隔欠損VSD(ブイエスディー)って酸素投与しちゃいけないんだっけ?」


 心室中隔欠損V S Dとは心臓の壁に穴が空いている生まれつきの疾患である。酸素を投与することで、症状が悪化することがある、と言われてみればそんなこともあったな、と裕太もかすかに覚えてはいた。しかし、自分も同じような症例を担当しても、そのことを思いつくことはなかっただろう。

 他の医師も特に質問はなく、黙っているところから、それでいい、よく気づいた、というサインを送っていると思われた。


「なんで?」


 千賀の低い声が響いた。四角い顔に浮かぶ、鋭い目はぴたりとも動かなかった。


「はい、酸素投与によって、肺血管が拡張して高肺血流ハイフローになるからです」


 千賀はただ理由を知っているか確認しただけ、その場にいた誰もがそう思った。伊井だけは、ハイフロ? 風呂? などと裕太に耳打ちしていた。しかし千賀の声は低く、厳しいままだった。


「違うだろ。それは必要以上の高濃度酸素を投与したときのことだろ? 今回みたいに肺炎で低酸素になっている状態で酸素投与したって、高肺血流ハイフローなんかにならないだろーがよ。なんでもかんでも心室中隔欠損VSDだからって酸素投与しないとかゆう短絡的な考えはやめろ、もっと頭使えよ」


 今までうんうん頷いていた、先輩医師達の首が固まった。肺炎にどんな抗生物質抗菌薬使うかくらいはそこそこの経験を積んだ医師であればみんなわかる。しかしこの程度の専門分野の話になってくると、専門以外の医師では判断するのが難しくなってくる。


「はい、わかりました。呼吸状態を見ながら調整します」


 すかさず伊井が裕太に擦り寄った。


「今回の勝負、千賀先生の勝ちだな。さすがに小児循環器の分野になるとまだまだ九条先生も太刀打ちできないみたいだな」


 そう楽しそうに言う伊井を、裕太は聞き流すとそのまま立ち上がった。次は裕太の番だった。


「外来患者で気になる子がいたので、ご教授よろしくおねがいします。5歳女児、左胸のしこりを主訴に来院されました。血液検査、エコー、CTでは特に異常を認めず……」


 以前和気に相談した患者だった。気になる患者をこのカンファレンスで提示することにより、多くの医師の考えや、意見を求めることができる。今後に活かすためにも、裕太はこの患者のプレゼンテーションを申し出た。


「……以上です。何かご意見ある先生いらっしゃったらお願いします」

「血液検査で何見たいんですか?」


 裕太は上級医師が座る後ろの方から声が上がると思ったら、意外にも近い場所から声が上がったため驚いた。九条だった。


「ええ、炎症反応や、IL-2Rだったり、悪性リンパ腫なども考えましたので」

「熱ないんですよね、リンパがそんなとこにあることあるんですか、聞いたことないですけど」


 その言い方に裕太は心の奥底が、ぼわっ、と燃え上がる感覚を覚えた。


「無いことはないと思うんですけど」

「いや、無いでしょう。それにCTなんか撮って何をみたいんですか」


 立て続けに九条の連続パンチをくらい、裕太はダウンしそうになったがなんとか持ち堪えた。


「確率は低いと思いますが、乳がんなども考えないといけないので」

「乳がん? 5歳ですよね、無いと思いますけど」

「いや、でも絶対に無いとは言えないですよね。見逃して命に関わるものは除外した方がいいと思います」


 この症例は和気に相談していたこともあって、裕太は幾分強気に返すことができた。九条はそれを聞いて少し間を開けた。それからトーンを変えずに言った。


「SEERの2013年から2017年の報告では、14歳未満の乳がんは0です。それに、ガン腫瘍は急ぐことはないので、すぐCT撮る必要はないし、むしろ被爆(放射線を浴びること)で新たなガンを作ってると思いますけど」


 裕太は完全に閉口した。結局医者の話し合いでは、論文と言われる国内外の確立されたデータが一番重要視されている。ここを持ち出されると、それ以上の理論武装を用意していない限り、完全に負ける。裕太は医師全員の目の前で、出来損ないの烙印を押されているようだった。見かねた山田部長が腹をぽんと叩いてから、


「まあ城光寺先生。やっぱ検査するときは考えてしないとね。なんでもかんでも検査すればいいってもんじゃあないよ。患者さんの負担が増えるからね。次からは一緒につく上級医に相談してからがいいよ、特にCTみたいに被曝があるものはぽんぽんしない方がいいからね」


 と少し厳しい口調で言った。

 裕太はそらきた、とばかりに、


「和気先生に相談しました」


 と吐いた。

 皆の視線が一気に和気に集まる。他人事で済まそうとしていた和気は、はっと顔を上げた。それから、小さくため息をついた。


「いえ、私はCT撮影しろとは言ってません。そういうものを考えながら必要な検査をしなさいとは言いましたが」

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