部長案件

「おお、新人先生たち。調子はどうかな?」


 部長室の机の上で、山田は小さな観葉植物に手のひらサイズの小さなじょうろで水をあげていた。


「まあ座りたまえ」


 部長室は応接室を兼ねていて、来客が座れるよう立派な革張りのソファが置いてあった。


「失礼します」


 3人がソファに座ると、山田はティーバッグで淹れたカモミールティを持って、同じくソファに座った。

 裕太は、伊井が何かを言い出すのを待っていた。しかし、


「君たちみたいに若いのはいいね、私も色々思い出すよ。昔はね、CTなんてなかったから、びくびくしながら大丈夫ですよ、なんていいながら大丈夫じゃなかったりして! あれは怖かったな〜」


 伊井は視線を落とし、全く口を開く様子がなかった。


(あれ? 伊井のやつ、全然話し始める様子ないじゃないか)


「……ところで、用事っていうのは?」


 裕太と水野は伊井を見たが、伊井はじっと下を向いたままだった。


(こいつ、全然頼りにならないじゃねーか)


 裕太が思い切って口を開いた。


「山田先生、相談があります」


 裕太が今までの事情を話した。外来で困っていてもなかなか相談に乗ってもらえず、答えは今から調べろと言われる。その間患者さんを待たせて、困らせてしまっていること。桐生先生は相談したら、それはこうだ、とかこうした方がいいなどと教えてくれて、助かっているということ。


「……この前なんか、水野先生が……」

「そうだね、そうだね」


 山田は遮るように答えた。


「わかってる、わかってる。これはね、ずっと前からそーなの。そういうもんなの。でもね、千賀先生が間違ってて、桐生先生が正しいとは限らないよ」


 山田はあまり人の話を長く聞くのは好きじゃないのかもしれない、裕太はそんな印象を受けた。


「千賀先生がもし君たちの相談をじっくり聞いてたら、その間千賀先生の患者さんを待たせることになるよね、それに本来ならその程度の質問はしなくていいよう、事前にもっと勉強してもらいたい。君たちがしっかり勉強していれば相談コンサルトもスムーズになるし、むしろしなくてもよくなるかもしれない。そうすればもっと外来患者さんは待つ時間が減るよね」


 てっきり味方になってくれると思っていた3人は、想像とは違った答えに口をぽかんとさせた。


「それと、今の君たちは目の前のことしか見えていない。今は患者さんを待たせるかもしれない、調べなきゃいけないこともあるかもしれない。でもそういう苦い経験をして、君たちは学んでいくんだ。答えをすぐもらっているようでは成長しないよ。一見効率が悪いように見えるかもしれないが、長い目で見たら、千賀先生の方が君たちに役に立っているかもしれない、ね?」


 その、ね? に3人とも全く同感できなかったが、話はそれ以上進まなかった。

 帰りの廊下で伊井がつぶやいた。


「山田先生、思ったより腰抜けだな。千賀先生というネームバリューを守ろうとしてる。そしてことを荒げないよう下っ端をなだめすかしてるようだ」


 所詮は管理職だな、付け加えた。

 こいつ、いないところでは強気なんだよな、と裕太は思った。


「そ、そうかなぁ、僕は山田先生の話も一理あるかなと思った。僕らがもっと勉強して知識があれば、患者さんはもっと幸せになるし。それにいつまでも桐生先生みたいな優しい先生に頼ってばかりいられないし……」


 裕太はふと九条のことを思い出していた。

 初めての相手に失礼な態度をとる、医者の前に人としてできていない人物と蔑んでいた。しかし、いくら一生懸命対応しても、知識不足で患者さんを困らせてしまっている自分もそこにいた。


「水野っち、俺らまだ3年目だぜ? だったらせめて今だけはしっかり教えてほしいし、なんなら外来でよくある疾患とか陥りやすい落とし穴ピットフォールとかの勉強会してくれりゃあいいのに。初期研修した病院ではそういうのよくやってくれてたよ」


 あーあ、来る病院間違えたかな、そんな声を上げながら伊井は医局にある自分の机へと帰って行った。


「僕、明日からどうしよう……とりあえず今からでも勉強しなきゃ」


 そう言いながら図書室へ向かおうとする水野に裕太は、


「水野先生、昼ごはんは?」


 水野が振り返ると顔が青ざめていた。


「もう喉を通らないよ、悪いけど捨てておいてもらえるかな」


 そう言って、小走りで図書室へ向かった。


 現実逃避し、他人のせいにする伊井。一生懸命取り組み過ぎて潰れそうになる水野。自分はどうすべきか、その方向性をまだ裕太は見出せないでいた。

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