一念通天
憧れの先輩との初デートは――タンデムでした。
細いながらも強靭な体幹を誇る腰にしがみつきながら、龍征は風を感じていた。ビクともしない女丈夫に感動すら覚える。
「ふむ、着いたか」
出会った時のようなイカしたブレーキではない。徐々に速度を落としたポンピングブレーキだった。
さっきから、そうだった。バイクに魅了されていた走り屋の影は薄れ、ただの移動手段としてしか見なしていないようだった。
「駐車場に止めてくる。メットはロッカーに入れておいてくれ」
「あの、先輩」
龍征はフルフェイスヘルメットを脱ぎながら。
「先輩のバイク走り、こんな感じでしたっけ? 勘違いだったら申し訳ないスけど」
「言わなかったか? 私の今のマイブームは魚料理だぞ」
真顔のまま光は答えた。
これは日本国が誇る女戦士との『デート』。彼女がどんな人物なのか、それを知るためのイベントだった。龍征は、その何気なく放たれた一言で、何故か、どこか背筋が冷やされるようだった。
☆
着いた先は、光宅からそこそこの距離の自然公園だった。都会の中心地から離れ、自然豊かな、しかし閑散としたテーマパーク。疎らなりにも人はいて、田舎育ちの龍征にはあまり違和感がないくらいだ。
「人気はないが、一時期私のマイブームだったのだ。今も時々来る」
透き通るような海色のライダースーツの下。野球帽にTシャツチノパンな簡素なスタイルが不思議と様になっている。ニカリと笑いかけられて龍征は目を逸らした。『にゃんたまパーク』とデフォルメされたプリントTシャツはダサすぎる。龍征は知る由もないが、あれは一時期のリピーター用の特典だった。
「いや、これだけ人がいるのも俺からすれば物珍しいよ」
「ふむ、そうか。まぁ、今日は二人きりの世界とでも思ってくれればいい」
唐突な口説き文句に、龍征は耳まで真っ赤にする。あの女傑は絶対に無意識にやっている。素直に動揺するのも癪で、龍征は心拍の上下を力尽くで叩き均した。
「俺、あれ乗りたいです。初めてなんスよ」
「ほう、コーヒーカップか。一時期マイブームだったことがある」
コーヒーカップのマイブームとは。龍征は常軌を逸した超高速回転にて、その脅威を思い知る。
☆
「俺、次あれ乗りたいです……」
「ほう、ゴーカートか。一時期マイブームだったことがある」
ゴーカートのマイブームとは。龍征は常軌を逸した運転にて、その脅威を思い知る。
☆
「俺、次あれ……乗りたいです」
「ほう、サイクリングか。一時期マイブームだったことがある」
サイクリングのマイブームとは。龍征は常軌を逸したクライミングにて、その脅威を思い知る。
☆
「俺、次、あれ、乗り、たい、です」
「ほう、ジェットコースターか。一時期マイブームだったことがある」
ジェットコースターのマイブームとは。龍征は常軌を逸したコースにて、その脅威を思い知る。
☆
「おれつぎあれのりたい」
「ほう、鏡の迷路か。一時期マイブームだったことがある」
鏡の迷路のマイブームとは。龍征は常軌を逸した大冒険にて、その脅威を思い知る。
☆
「おれ、うんぼぼ、つぎ」
「ほう、メリーゴーランドか。一時期マイブームだったことがあーる」
メリーゴーランドのマイブームとは。龍征は常軌を逸した
☆
「天道、あれはどうだ?」
「いや、もう、先輩のマイブームは……ッ」
グロッキーにうなだれる龍征は、息絶え絶えに異議を唱える。小首を傾げる光は、観覧車を静かに見上げた。
「観覧車がマイブームだったことはないな」
「マジかッ!?」
女傑、大道司光は非常に凝り性だった。何かブームを見つけると、それをとことん究めようとする。その方向性は徹底的で、時々ハチャメチャで、龍征は振り回されっぱなしだった。
「あまり、一人で乗るものでもないだろう」
「俺、観覧車って初めてなんスよ!」
がらがらの観覧車に、龍征は意気揚々と乗り込む。そのはしゃぎぶりがまさにやんちゃな少年のようで、光は口の端を緩めていた。
「この時間、この天候ならば、そろそろ綺麗な夕焼け空だぞ」
「え、なんで分かるんスか?」
「水蒸気さ。赤い光は波長が長いからな。今日みたいに湿度が高くないとあまり散乱しないんだ」
龍征の頭には難しい。彼が知っているのは、鮮やかな夕焼け空の翌日は晴れるという迷信めいたことだけだ。果たして、観覧車が上がり始めて数分、鮮やかな赤世界が広がった。
「すげえ……ッ!」
「気象学がマイブームだったときがあってな。その知識が残っていたよ。ちなみに、『鮮やかな夕焼け空の翌日は晴れる』という俗説にも根拠はあるらしいぞ」
人差し指を立てながら、光がウインクした。目をキラキラさせてそれを見る龍征は、まるで嬉しさに尻尾を揺らす犬のようだった。光の口の端がさらに緩む。
「しっかし先輩、本当に多趣味多芸なんスね。完璧超人みたいです」
バイクに料理に格闘技に学問、それに諸々の娯楽まで。今日一日でたくさんの姿を知れた気がする。若干目を逸らせた光が、緩んだ口を結ぶ。小首を傾げる龍征。観覧車はちょうど天辺に辿り着いた。
「……まあ、私は大抵のことは出来るからな。だが、だからこそ中途半端な女なのだ」
一番上まで来た観覧車は、あとは下るだけ。龍征は思わぬ告白に目を丸くした。
「どうにも飽きっぽくてなぁ。ある程度こなしてしまうと、すぐに別のものに興味が移ってしまう。私にはこれぞというものはないんだ」
「先輩」
「こんなもんだよ、私は」
何でもこなす。そんな天才肌。天才は飽きっぽい。しかし、それは。
「そんな、悪いことなんですか?」
「悪い……いや、違うな。羨ましいのだ、これぞというものだけに全霊を打ち込める姿が。どうにも眩しくてな」
西日が厳しい。責め立てるような夕陽を、光は手で遮った。
「俺は、まだまだ道半ばです」
「知っている。しかし、その半ばというのは至っていないという意味ではないぞ。お前のは、歩み続けているということだ」
同じように聞こえて、光にとっては決定的な違いがあったのだろう。龍征は考える。バカでも、考えることは出来る。何も成し遂げられないとしても、何かを成そうとすることは出来る。
「でも、俺は格好良いと思いました」
使命に殉ずるその姿を。その身を剣と鍛える、凛としたたたずまいを。
「戦士の矜持、剣の生き様はどうしたんですか」
「なに、あれは使命だからやるだけだ。違う話だよ。やるべきことはやる。それは当たり前のことだ。だがな。もし、私が完全無欠に全てを守れるヒーローにでもなれたのなら、それこそこの矜持にも興味をなくしてしまうのかもしれない。それが……こわくてな」
遠くの夕焼けを見ながら。遠すぎる。あまりにも遠くを見ながら。漠然とした不安に折られるほど脆い剣ではないだろう。しかし、その刃に曇る影は誤魔化せない。光には分かっていた。
「でも、先輩はあんなに強くて。やるべきことをやるって、誰にでも簡単に出来るもんじゃない」
龍征の言葉に、光は小さく首を振った。困ったような表情を浮かべながら。
「私には、出来る。それだけだ。飽きっぽい半端者。私は、そういう奴なんだ」
だから、と一拍置いて。
「そんな、輝かしい視線を向けないでくれ。私はこういう奴なんだとガッカリしてくれ。憧れを受け止めるほど、厚みのある人間ではない」
「俺、そんな目で見てたッスか……」
光が頷いた。この『デート』は、彼女がどんな人間なのかを知らしめるもの。無垢な憧れに、現実の剣を突きつけるもの。光は腕を組んで背もたれに寄りかかる。真上を見上げ、目を閉じた。
「無論、天道の見本となるように精進を重ねるさ。先輩の務めだ。だがな、私を完成形と見なすな。お前はお前の道を貫け」
やるべきことだから、やる。使命に殉ずるその姿。
「先輩」
びくり、と光の肩が跳ねた。あの強靭な女戦士にも恐ろしく感じることがあったのだ。当たり前だが、それでもセンセーショナルなことだった。
「俺、バカだから分かんないス」
がくり、と光が肩を落とした。
「でも、感じることはある。俺はバカだけど、これぞと思ったことは譲らないようにしてるんですよ。自分を貫くことが信条だ」
何でも出来る天才肌でなくとも、何かをしようとすることは出来る。光が持っていないもの、これぞというたった一つのもの。
「信念、か。私には使命感がある。責任感がある。そして、見定めた正義を実行する才能がある。だがな、私にはきっと信念はないのだ」
「そんなこと」
『ない』の言葉を、光は機先を制して手で遮った。しかし、その手を抜けた言葉は。
「どうでもいい。俺は、あんたに憧れた。先輩の背中を追いたいと思ったんだ。追うんだ。追い付いて、隣に立ちたいんだ。先輩の背中には、そう思わせる、本物があった」
上げた手が、ゆっくりと落ちていく。真顔のまま、光は静かに立ち上がった。ちょうど、観覧車も一周する時間だった。軽やかな足取りで降りていく光は、向こう側で龍征に手を差し出した。
「来い、天道。次の場所で最後だ」
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