団欒御膳
三日後。
左腕に装着した黒くてゴツい腕時計が日光を反射する。いつものくたびれた学ランに赤シャツルックではない。タイトなジーンズに緩めのイカしたTシャツ。その上に赤みがかった落ち着いたデザインのシャツを羽織る。たくさん服を売っている大都会の宝物庫、と龍征が勝手に称する『ファッションセンスしもむら』で揃えたコーディネートだった。
ダサすぎず、チャラすぎず。大道司光が好みそうな服装を研究してきたつもりだった。実は男龍征、女子とのデートにはそれなりの経験値があった。ド田舎の狭いコミュニティー故か、女の子にはそれなりにモテていたのである。中学生の頃だ。しかし、どの子も情熱を燃やすまでには至らなかった。ふんわりと交際が終わること三人、グレてからは女遊びからは卒業した龍征である。
女の子もとい女性の扱い方はそれなりに心得ているつもりだった。とはいえ、相手はあの変わり種もとい女丈夫である。出たとこ勝負の大勝負には違いない。
(五分前)
足がガクガク震えるのを無心で抑えつける。目の前のプレートには『大道司』と記されている。達筆な行書体だ。ありふれたマンションの
(三分前)
腕時計に視線を落とす。黒のゴツいG-SOCK。防水機能の電波時計、龍征のお気に入りだった。気合いの入っている証である。
デートは、初めてではない。しかも今日のプランは光考案のものだ。龍征が何かを案じる必要などないのだ。
しかも、別に男女交際をしている訳でも、好意を抱いている訳でもない。先輩としてこの上なく尊敬しているが、それは男女のなんやかんやでは決してないのだ。
(一分前)
深呼吸しながら、血走った目で秒針を見つめる。ドアノブを掴む。認めよう。龍征は、自分が今緊張していることを自覚した。
(できる男はon time! 時間丁度は練度の高さの証!)
カッと見開かれる双眸、固まる覚悟。威勢だけは負けるものかと、勢いよくドアを開く。
「ごめんくださぁい!」
パンイチの光が、廊下から驚いた顔でこちらを見ていた。
「………………あれ?」
龍征の思考が止まった。ただ、惚けたまま、その均斉の取れた半裸姿を目に焼き付けていた。
もし、万が一、彼女と恋仲になることがあれば。
きっと恋に落ちたのはこの瞬間だと断言できるほどに。
「閉めろ」
言われるがまま、龍征は後ろ手でドアを閉める。遅れて顔を真っ赤に染め上げる龍征に、光はやや頬を膨らませた。
「何故、中に入る」
「あ、いえ、うお……?」
「…………まぁいい」
光は首に引っさげたバスタオルを身体に巻きつける。真顔のまま。慌てたように顔を伏せる龍征が、声を上擦らせる。
「あ、ぃゃ、スンマセン……待ち合わせ時間だから…………」
「ん」
光は真顔のまま指を差す。玄関のシューズボックスの上、置き時計。その長針はぴったり待ち合わせ時間を示していた。しかし、短針が示す数字は一つ少ない。
「そんな、バカなッ!?」
電波時計である。
時刻がズレるはずがない。よく見ると、龍征の腕時計も光の置き時計と同じ時刻を示していた。バカは龍征だった。光が小さく溜め息を吐いた。
(呆れられたッ!?)
「折角来たのだ。上がるといい」
謎のショックで打ちひしがれる龍征。へなへなと座り込んだ後輩に、光は訝しげに手を伸ばす。上げた顔が真っ赤に染まった。
「ぁの、先輩、その格好で……屈まれると」
「なんだ。見かけによらず意外にウブだな」
(心外だッ! けど言い返せねぇ!)
あくまで自力で龍征が立ち上がる。目に映るのは、片手で押さえるバスタオルがはだける姿。まず顔を背け、それから後ろを向いて仁王立ちする。
「まず、着替えて、下さい。先輩の準備が済んだら、改めてお邪魔します」
「ふむ。こんな筋肉のついた貧相な身体でも照れるものなのだな」
(そんな彫像みたいな肉体美におっぱいも膨らんでみろ……襲いかかるぞ)
頭の中では強気になり、辛うじて冷静さを取り戻す。小走りに奥に引っ込む足音を聞き、無駄に張った虚勢をほぐしていく。
残ったのは、圧倒的な後悔。
「やっち、まったぁぁあ~~ぁ……」
どうして、こんな無駄に偉そうに仁王立ちなどしているのか。そんなご立派な立場なのか。近年稀にみる「やっちまった感」を抱いて、足を震わせながら泣きそうになる。
(ん…………なんだこれ)
415号室のドアに、ワッペン型のマグネットが貼られていた。猫ちゃんだ。デフォルメされた猫ちゃんマグネットだ。
「え、先輩」「応」
思わぬ返事に龍征は飛び上がった。完全なる気配と足音の消し方。そんな忍者みたいな挙動で光が背後にいた。着替えが早いのか、龍征が惚けた時間が長かったか。さらにその格好に龍征が驚く。
「先輩……それ」
「部屋着でスマンな。こっちが手早くてな」
和服。いや、それはイメージ通りだ。
光が着ていたのは、上下淡い青色の甚平だった。女性に甚平はあまり見ない。だが、背筋がピンと伸び、凛としたたたずまいの光には、それが自然に見えていた。祭りの場で団扇でも扇ぎながら立つだけで、目を奪われるような絵になるに違いない。
「ああ、甚平は珍しいか。動きやすいぞ?」
「メッチャ似合ってます!」
「うむ、重畳。喜ばしいぞ」
花が咲いたかのような笑顔。もしかしたらこの甚平を大層気に入っていたのかもしれない。
(ただ、胸元が緩いのはちょっと……)
さっきの今で、龍征は完全にノーガード状態だった。目が泳ぐ。そして、光ほどの達人だ。気付かぬはずもない。
しかし光、意外にもこれをスルー。
連れて来られたのは、妙に所帯じみたダイニングキッチンだった。使い込まれている一方、掃除が行き届いているのか清潔感が光る。
「なに、さっきの失態は気にするな。鍵を閉めていなかったのは不用心だったし、何より私もはしたなかった。許せ」
「いや、えと……俺の方こそごめんなさい、です」
堂々たる謝罪に、龍征はたじたじだった。そもそも彼女は悪くないのに。
「うむ。では水に流して、始めるか。朝食をご馳走する手筈だったな!」
そうなのだ。龍征は言われたとおりに朝食を抜いてきている。どころか、楽しみにし過ぎて昨夜の晩飯も控えめだ。割烹着姿(!?)で動く光を眺めて一息つくと、空腹感が主張し始めた。
「悪いな。下処理は終わっているのだが、少し待たせる」
「いえいえ、とんでもないですッ!?」
「む、ちょっと蒸らしすぎたか」
(あ、ウチと同じ片手鍋で米炊いてる)
ちょっと嬉しい親近感。
よく見ると、魚料理のようだった。メインはブリの照り焼き。ご飯と味噌汁と、ほうれん草のおひたし。謎のステップ(まるで忍者のようだ)で手際も良い。割烹着を翻し、最後は電子レンジで何かを温める。
「朝から揚げ物だが、男子たるもの喜ばしいものだろう?」
「はい、好物です!」
言ったはいいが、これが何の揚げ物なのか龍征には分からなかった。見た目は魚のようだが。
「今は魚料理がマイブームでな。ブリの照り焼きとチカの唐揚げだ。味はついているからそのままいけるぞ」
「チカ?」
「北海道では有名らしい。食せば分かる」
「はい!」
妙に自慢気だ。光には立場上、人に手料理を振る舞える機会は限られていた。ここまで凝ったものを作るのだ、誰かに食べてもらいたいのだろう。そう思うと、目の前の女丈夫に、可愛げを感じられた。
「いただきます!」
おいしい。味が染みている。手作りの味だ。ガツガツと口に運ぶ龍征に、光は満足そうに頷く。
が、それも数分。徐々にその眉間にシワが寄り、口がへの字に曲がる。
「おい天道、なんだその食べ方は」
「はい?」
「箸の持ち方だ。なっとらん」
「げ……じいちゃんみたいなことを」
「むむ、指導下さる先人を邪険にするではないッ」
右手で箸を構えて光が猛る。龍征のようなふにゃふにゃしたよく分からない持ち方ではなく、ピシッと格好良い持ち方だった。
「……俺、ずっとこれ苦手なんスよ」
「なら今直そう。ジャスト・ナウ」
光が摺り足の高速移動で龍征の背後に回る。あまりにも忍者じみた機動力に、龍征も反応仕切れなかった。後ろから覆い被さるように捕まえられる。
(え、うわ抱きつかれ……あれ、当たら、てる、の……?)
割烹着を外した、さっきの胸元緩めの甚平姿。脳内オーバーヒートでバックドラフトな龍征を余所に、光が後ろから龍征の右手を握る。そして、指を揉みほぐすように動かした。
「ほれ、こうだ。うむ、中指をこうして、そうそう、そうだ」
(こんな指導なら大歓迎だ……ッ!)
顔を赤らめながら本音を噛み殺す。光も楽しそうだった。騒がしくも、楽しい朝食風景。
光のいう『デート』とやらは、まだ始まったばかりだった。
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