三、「光る流れ星が天を穿つ」
戦士矜持
座禅。姿勢を正して、心を正す。正した姿勢こそが、最も人間が力を発揮する状態だ。
まだ幼かった少年には、よく分からなかった。
「喝――ッ」
姿勢を崩した少年に、容赦ないゲンコ落としが炸裂する。痛いし辛いし嫌なだけ。そんな思い出しかない。確か、ぴったり五歳から七歳までの間だった。それっきり、龍征少年は座禅から遠ざかっていた。
「最良の姿勢こそ、最も自然で、最も楽な姿勢也」
竜玄老人は、よくそう言っていた。そのフレーズは不思議と覚えている。
かつての少年は、禅を組んだ。老人と相対し、視線を交える。
「じいちゃん、やっぱりこの姿勢キツいよ」
「喝。正しくないからこそだ」
これは夢だ、と。朧気ながら理解する。
「けどな、儂は思うんだ。正しくあろうと苦しむ姿こそが、人間の本質なのではなかろうか。苦しんで、悩んで、それでも手放さなかったものは、きっと本物であると」
座禅に苦心する。正しくあろうと苦心する。真に正しければ、そこに苦しみは発しない。だが、そのための過程でかつての少年は苦しんでいた。
「正しい姿勢、か。正しさって何なんだ」
「ほう、儂に答えを問うか」
かつての少年、天道龍征はゆっくりと立ち上がった。喝、と飛んできた拳を両手で受け止める。
「俺は俺の道を往く。それが苦しかろうが、辛かろうが、自分を貫く。正しいかは分からないけど、胸を張ってはいたいんだ」
老人はニカっと笑った。その姿が光に溶けていく。
「じいちゃん、あんたのようにな」
☆
大道司光の面会謝絶が解かれた。室内庭園でリハビリを続けているらしい彼女に、龍征は見舞いのつもりで会いに来た。
「先輩、大丈夫なんスか?」
「うむ。これでも私はリハビリのプロでな」
淡い水色の病衣に、松葉杖片手に光がふんぞり返る。重体だと聞いていたが、想像より元気そうだった。
「しかし天道、お前も無事で本当に良かった。中々丈夫で感心するぞ」
片腕片足をへし折って、内蔵器官に深刻な傷を負い、あばらも数本砕けたはずの女丈夫は腕を組んで頷く。
「……先輩、本当に大丈夫なんスか?」
「内蔵器官は再生を続けているし、折れた骨はもうすぐ完治する。あばらなんて、私の骨髄情報から培養したのを移植したらしいぞ。桜主任の技術力様々だな」
龍征がドン引きしたように空笑いを浮かべる。龍征も何度か入院するような大怪我を負ったこともあるが、流石にレベルが違いすぎる。スタードライブシステムの身体能力向上機能。それは肉体の強靭化と自然回復力の増強に作用しているとはいえ、本人の化け物ぶりがあってこその結果だろう。
「天道、鎧と戦ったようだな。私が不在の間、任せきりにしてしまいすまない」
「いえ、いや、先輩はちゃんと休んで下さいよッ! それに、結局負けちまってますからね……」
大きく伸びて、上を見る。人工の青空だが、清々しい気分になってくる。
「ふむ、それにしては敗北者の目ではない。お前はよくやってくれたよ」
光の手が龍征の頭に乗った。龍征よりかは小さな手が、この上なく大きく、暖かく感じる。龍征はそっぽを向いたように顔を背ける。頬が赤い。
「だが、任せとけ。私もすぐに復帰する」
「いや無理でしょあんたッ!?」
思わず振り返り、目の前に光の顔があった。その顔に、疑いなど一片もありはしまい。彼女は当たり前のように、当たり前の、正しい選択をする。星獣も、鎧も、龍征だけでは防ぎきれない。であれば光が戦線に復帰するのは至極当然な理屈だった。
「でも、そんな身体でッ!?」
「確かに十全ではない。しかし、それは戦わない理由にはならんぞ?」
歴戦の女丈夫が立ち上がる。ここ数日でようやく立って歩けるようになったとは思えない綺麗な姿勢だった。
「先輩、俺がやります。もう戦えます。だから「そうか、もう戦えるか。逞しく成長してくれて私は嬉しいぞ」
「先輩ッ! だから、どうしてッ!?」
「お前は、私ではないからだ」
隣に立っているつもりだった。それでも、彼女は遥か先を見据えていた。龍征はひたすら大道司光の背中を追いかけていた。そんな彼女は、遥か先を見据えていたのだ。
「天道、お前は強くなったんだな。心強く、喜ばしい。だが、それで私は歩みを止めんさ。私のやるべきことは、私がやる。そして、可能も不可能も全てこの身で斬り拓く」
絶句する。反応が途絶えて、光が龍征に振り向いた。困ったようにはにかみながら。
「おいおい、そんな顔をするなよ。これは私の戦士としての矜持だ。私が日本を守る、私が先陣を切る、私が戦い抜く。五年前のあの日、自分に誓ったことだ」
私がやる。
だからへこたれない。死ぬわけにはいかない。強く、正しく、美しく。松葉杖をガツンと床に叩きつける姿。その力強さは、手負いであることを感じさせない。
「その身を剣と鍛える。斬り、貫き、輝く。為すべきことを成す。まだまだ修業中の身だがな」
あまりにも遠い。龍征には分かっていた。やると言えば、やる。そういう女だ。まさに実行の鬼。その姿は英雄と呼ぶに相応しい。ふらりとよろめいた光を、龍征が自然と支えていた。
「む、不甲斐ない」
「先輩は、すごいッスよ」
体重を預けたのはほんの一秒未満。すぐに体勢を立て直す。座ればいいのに、立ち続ける。
「そんなに真っ直ぐで、自分を貫いている。そんな姿に……憧れます」
照れ臭そうに呟く龍征に、光は真顔のまま顔を前に向けた。
「……そんな、ものではないぞ。私はいつだって飽きっぽい半端な女だ。だからこそ、なのかもしれない」
「それでも、憧れます」
龍征は、光の顔を盗み見た。まるで崎守三尉のように表情が変わらなかった。ザ・真顔だ。別に彼女は表情に乏しいわけではなかったはずだが。その視線は龍征から逸らされ、遥か遠くを見据えている。
「本当の私を知ると、幻滅するぞ」
「俺なんか何度幻滅されてるか分かりませんよ」
「それもそうか」
あっさり納得されて龍征がずっこける。そこは否定してほしかった。
「ふむ、そうだな」
反射的に手が動いて、そして呆気に取られた。雑に投げ渡されたのは、支えになっていた松葉杖。淡い水色の病衣が翻る。
大道司光が、走っていた。入院患者とは思えない俊敏さだった。床を蹴り、壁を蹴り、縦横無尽に駆け回る。不敵な笑みを浮かべる彼女は、それなりの広さの室内庭園を丸々一周し、龍征に向かってくる。が、コケた。
「先輩……?」
状況についていけない龍征。受け身も取らずに顔面からずっこけた女に、ようやく思考が追い付いた。慌てて助け起こそうと駆け寄る。手を伸ばそうとする龍征の目の前、ガバリと光が仰向けになった。
「ふふ、ふははは、あっははははははッ!! ちっくしょう! 丈夫さには自信があったのだがなぁ! まだまだこんなもんかッ! 情けないぞ光ぃ!!」
甲高い声で、勢いよく笑う。その顔が、心底楽しそうで、まるで無邪気な少女のようで、龍征は見惚れていた。その間抜けな顔面に向かって、光は勢いよく指差した。
「三日だッ!!」
「はいッ!」
あまりの剣幕に、龍征が姿勢を正した。腰の付け根辺りに力が入り、ピシっと芯が入る。まるで筋が通ったように身体がシャキンとした。これが正しい姿勢か、と感心する。のはさておき。
「あと三日でリハビリを完遂して、コンディションを整える」
だから、と一拍置いて。
「デートをするぞ、天道!」
「はいッ!?」
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