深淵兆候
龍征と吉田、二人が目を覚ましたのは車の中だった。傷だらけでベッドに横たわる龍征は、その白い天井にデジャヴを感じていた。しかし、揺れる振動が彼に現実を与える。ここは、緊急車両の中。事態は進行中だった。
「無理に動くな。今のお前は、ただの要救助者だ」
聞き覚えのある声。崎守三尉だった。片目を眼帯に包んだ男は、火傷跡の残る顔で龍征を見た。
「崎守、さん? 状況は、どうなったんスか?」
「敵は撃退した。誇るべき勲章だ」
崎守が龍征の頭に手を置いた。起き上がろうとする動きを制する。
「でも、逃がした。俺は負けたんだ」
それでも、と龍征は無理矢理上体を起こした。全力全開のぶつかり合い。その末に倒れたのであれば、それは今の龍征の限界を浮き彫りにしていた。寝転がっている自分の身を、ひどく恥ずかしいものだと感じた。
「でも、生きている」
「生き恥を晒しているだけだ」
「生きていることに恥などあるかッ!」
鈍い衝撃に、龍征の頭の中で星が躍った。鮮やかなまでのゲンコ落としは、祖父の竜玄を思い出させる。龍征はバカだったから、ゲンコを落とされなければ分からなかった。思い込んだら一直線の情熱を、あの拳はいつだって導いてくれていた。
「生き残れば、負けじゃない。俺たちは死なないため、死なせないために戦っているんだ。だから、生き残れば、それは勝ちだ」
相も変わらず表情を変えず、それでもその目に燃えるような決意を携えて。その熱は確かに龍征に伝播していた。熱い。満ちていく。目尻に涙が滲む。部下と右目を失った男は、その手に何かを掴もうと必死だった。
(俺も、なれるかな……)
そんな、誇り高い男に。
屈強な偉丈夫に。
理不尽を乗り越える、そんな強さを持った男に。
「おいおい、泣くな。男だろう?」
静かに涙を流す少年に、男は珍しく苦笑いを浮かべた。貴重な光景だったが、涙に滲む視界ではうまく捉えられなかった。立派な男になるためにはまだまだ精進が必要らしい。そして響くのは、空気の読めないシャッター音。
「やべ、音鳴っちまった」
ナックル吉田。
ギョロリと龍征が目を剥いた。スマートフォン片手に慌てる少女が、地震雷火事親父がまとめて襲来したかのような有様でビビる。挙動不審に視線がバタフライかます少女は、ビクビク震えながら口を開く。
「い、いやぁ、なんつーか。ほら、お前の貴重な泣き顔、欲しいやん?」
「おい」
殺意を込めた一睨みで少女が竦み上がった。その目は、泣き腫らしたかのように真っ赤で、実際そうだったのだろう。近くのゴミ箱に鼻をかんだティッシュが積み重なっていた。
「いや、待て、そういうギャップも魅力的だぞ?」
テンパりにテンパって意味深長なことを口走る少女に、龍征はぷいと顔を背けた。何もかもがバカらしくなってしまった。そんな茶番を面白そうに(無表情に戻ったが、多分そんな感じだ)眺める崎守三尉。むくれて反応しない少年に焦った少女が彼に詰め寄る。
「ああ、ああやっちまった! なあ、アンタどうしたらいいと思う?」
「仲良いな、君たち」
「いやあお似合いだなんて、照れるぜ」
頬を朱に染めて後頭部をがしがし掻く少女に、崎守三尉は率直に思った。この子はきっと頭が残念なのだろう、と。
☆
車両の後部ドアが開く。真っ先に見えたのは、厳つい大男の顔。隻腕の司令が覗き込むように車両に乗り込んだ。
「天道と民間人は無事か」
「はい。民間人は無傷、天道は軽傷です。ただ、天道は疲労が目立ちます」
「了解。急ぎメディカルチェックを。君も念のために検査を受けてもらう」
司令が逞しい右腕を少女に差し出す。吉田は何を勘違いしたか、若干照れたように自分の手を重ねた。きっと気分はお姫様だ。その間に崎守が龍征が乗せられたベッドを下ろす。待機していた医療スタッフが急ぎ運ぼうとする直前、龍征ががばりと起き上がった。
「天道、何故鎧と戦った。星獣警報は出ていなかった」
「あいつ、俺を狙っていた」
「…………何?」
司令は吉田を崎守に任せて龍征に向き直った。医療スタッフを一度下がらせ、司令は龍征に先を促した。
「あの鎧、俺を拐うんだって。俺に、というかドライブ3か、狙いをつけていたみたいだぜ」
「本当か?」
「本人がその口で言ったんだ」
司令が右手を口元に持っていき、思案する。
「……何かおかしいか? 先に敵の主力をぶっ潰すってのはわかんだろ」
「ドライブ3装着前の君をか?」
頷く龍征に、司令は深く息を吐いた。龍征にはその行動の意味が分からなかったが、問い質す暇は与えられなかった。ニコニコと現れたオカマが飛び込んできた。司令が片手を上げ、医療スタッフが龍征を運び出す。
「あらん、龍征ちゃん行っちゃった♪」
「桜、お前だな。天道に緊急コードを与えたのは」
技術主任の顔からすっと表情が消えた。
「いつもお前は甘いんだ、大道司。天道龍征は貴重な献体だ。みすみす逃すなんてどうかしているぞ」
「彼は、民間人だ。危険にさらすわけにはいかない」
「鎧を退けたあの力、分かるだろッ! この短期間でここまでの急成長を遂げた。ここまでの適合率を見せた。その意味が分かるだろうッ!」
桜は声を荒くして紙の束を叩きつける。ドライブ3の適合実験のデータ。まさに精妙巧緻といったデータ群がまとめられ、その結果は簡潔明瞭に示されていた。
「実験は成功だ。先の戦いでドライブ3の破片が天道龍征の肉体に食い込んで、同化した。あの鎧に食らいつく戦闘力、お前は何も感じなかったのか? これは適合者ではなく、もはや融合者の段階……あの光ちゃんを超えうる存在になりうるっての☆」
急にしなを作ってオカマが上目使いを浮かべた。どちらにせよ、ドライブ1を纏う大道司光はしばらく再起不能だ。星獣の襲来があれば龍征が戦うしかない。それが理解できない司令ではないはずだ。だから、首を縦に振らざるをえない。
しかし。
「桜、仕事だ」
答えは予想と丸っきり違っていた。
「鎧は天道龍征がドライブ3の適合者であることを知りえなかったはずだ。五年前と同じ、敵に情報が渡っている」
「……内通者、か」
「趣味の研究を好き勝手やらせてやったんだ。そろそろ本分を果たせ」
「了解」
司令が踵を返す。夜明けの光が瞬いた。その光を全身に浴びながら、身をくねらすオカマが両手で顔を覆う。
「んもう、いっつも気乗りしないお仕事よねん♪」
スパイの炙り出し。子どもたちに戦わせるだけではない。大人にも、大人の戦いがあるのだ。
「じゃあ、やるか。虫けらどもめ、あんまり特戦上がりを舐めんなよん♪」
☆
頭の中で桃色の靄がかかる。全身が痺れるようにずきずき痛んだ。顔を掻き毟って、ぐるぐる転がり、悶えながらキングサイズのベッドから落下する。
「無様……うん、そうだね。僕はこんなにも無様さ」
手が震える。視界が歪む。それでも必死に両手を伸ばしてベッドの上に這い上がった。天蓋に広がる星空の景色。作り物の紛い物と知りながら、それでも手を伸ばした。
楽な仕事だと、タカを括っていた。一度あっさりと下した相手など、敵ではないはずだった。しかし、少年は信じられないほど力をつけ、追い縋ってきた。
きっと、彼には何かあるのだ。
だから、捕らえるように指示されたのだ。
「今度こそ負けないよ、メア」
握力を失った右手からポロリと何かが溢れた。小さな手には若干収まりが悪い、そんなオカリナのような笛。星獣の笛。ドライブゲンマに干渉して、星獣を操ることができる叡知の結晶。
「ドライブ2、星獣の笛……こんなものはただの道具だ」
両手を広げ、上に伸ばす。小刻みな痙攣は止まらず、それでも天に、あの星空に向かって。
「僕だ、僕こそが、スタードライバーズを倒す。メアに相応しい男になるために」
ガラス玉がささやいた。儚い声が、煌めくプリズムが、あどけない少年の顔を映した。
「だから……ずっと僕だけのためにささやいてくれ、メア」
ガラス玉が黒く染まった。鈴の音が聞こえる。黒い光が少年を抱き込んだ。まるで微睡みのような。それは抗いがたい夜の誘惑。
ナイトメア、が。
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