適合実験

 悲鳴と怒号と咆哮が混ざる。

 龍征はここがどこだかよく分かっていなかった。光との顔合わせを済ませた龍征は市ヶ谷駐屯地を一通り案内され、黒塗りのベンツに連れ去られた。日本の国防を担う、その中枢。光はどうやらそれを見せたかっただけみたいだった。

 謎の施設は、車に揺られた時間から、東京中心地より遠く離れた場所のようだ。特異災害対策本部、その本拠地らしい。混乱の最中にある龍征を出迎えたのは、妙に逞しい体躯のオカマだった。技術主任の桜花道である。


「うふん、光ちゃんとは挨拶が済んだのねん♪ 龍征ちゃんはしばらくここに住んでもらうわぁ☆」


 ちゃん付けはやめろ、とは言えない雰囲気。真っ白の通路が形容しがたい圧迫感を押しつけてくる。だが、与えられた居室は普通だった。慣れないベッドに苦心しながらも(二回落ちた)、備え付けられた筋トレルームと娯楽施設で時間を潰す。そうして悶々とした日々をぴったり一週間。タンクトップのオカマが龍征の部屋に訪れた。

 適合実験の開始。

 龍征はその合図を待ち望んでいたが、現実は地獄への滑落だった。投薬、肉体酷使、精神圧迫。桜主任による容赦が無い適合実験。龍征はただのモルモットと化していた。だが、口答えなど許されない。それほどのスパルタ教育だった。ヘバれば怒号が飛び、倒れれば冷水をぶちまけられ、弱音を吐けば剛拳がねじ伏せた。

 今日も龍征の悲鳴と怒号と咆哮が響き渡る。


「うむ。頑張っているな、天道」


 実験室の窓を覗きながら、光は満足げに笑った。自分の適合実験を思い出したのか、どこか懐かしんでいるようだった。隣でシーカー副主任が蒼白な顔でガタガタ震えている。


「理論値は適正、このカリキュラムで適合値は示されるはずよん♪」

「……オカ、マ…………てめ……、ぶっっ殺す…………いつか、絶対」


 いやん、と桜主任が涼しい顔で身をくねらせる。光は豪快に笑った。襟首を掴まれて引きずられる龍征は思う。こいつら、とんでもない奴らだ。


「安心しろ、天道。桜主任の組んだカリキュラムならば命の危険はない。ただただ歩め、それで至る」


 有り難い先輩からの御言葉に、龍征は意識を手放した。適合実験が始まってから早三日。実験終了まで失神しなかったのは今日が初めてだった。小柄とは決して言えない龍征を軽々肩に担ぎ、桜主任がウインクを飛ばす。


「彼、丈夫ね。身体能力だけなら光ちゃんを超えちゃうかも」

「おお、本当かッ!?」


 そこで目を輝かせて喜ぶのが、大道司光という女だった。


「……でも、適合値は芳しくないわ。こればっかりは本人の適正があるからなんとも……ま、なんとかしてみせるけど」

「流石は桜主任、頼もしい」

「んん♪ ほら、シーカー、今日のデータを基にドライブ3の再調整よ」


 あらほらさっさ、と副主任が走り出す。龍征を居室まで持っていこうとする桜主任に、光は並んだ。


「やはり、ドライブ2は未だ……」

「そうね……」


 主任の声は暗い。五年前の失態を、光は悔いていた。光の装うドライブ1の後継機となるべく作られたスタードライブ装置。それは本部から市ヶ谷への輸送の際、星獣強襲によるごたごたの中、強奪されてしまっていた。その時の護衛担当が、まだ未熟だった頃の光だったのだ。


「未だ足取りは掴めず、動きもなし。でも、ドライブ3の開発は順調、適合候補者も確保、悪くない流れよ」


 しかし、という言葉は飲み込む。甘えるな、という桜の厳しい視線に気付いたからだ。口ではどうとでも言える。それを行動で示してこその本物だ。後悔は、成果でねじ伏せる。そのための力が、今の光にはあった。


(だが、と強いて言わせて貰えばだが……あの時の星獣、どこか目的意識を持って、組織だって行動していたような…………)





 一ヶ月が経った。

 鋭い打撃が風を切る。スパン、スパン、と小気味が良い音が鳴った。息を弾ませる龍征のスパーリングを務めるのは、技術主任の桜花道。やはりただ者ではないオカマだった。


「ちっっくしょう!! 全然届かないなぁ……」


 五分一セット。荒い息を吐く龍征と対照的に、桜主任の息は穏やかだ。だが、その額にはうっすら汗が滲み、屈強な鳩胸は上下に揺らいでいた。


「スタードライブの身体能力向上機能があるとは言え……結構なお手前ねん♪」


 意外に厳しいオカマが素直に褒めた。龍征が弾かれたように直立不動の姿勢をとる。その顔は、満ち足りたような笑顔だ。


「はいッ!」

(あらん、ただの生意気なクソガキと思っていたけど……こういうとこは可愛いのねん♪ 光ちゃんの気持ちも分からなくもない――――じゅるり)


 実際、龍征の格闘センスは卓抜していた。元来の筋力、度重なる喧嘩の経験値、ぎらついた熱意。戦士としての才能はある。頭の回転は言うほど悪くない。感覚派に特化しているだけで、勉学に全く向いていないわけでもない。

 足りないのは、才能だった。

 数字は嘘をつかない。適合実験を開始してからの龍征の適合値は、はっきり言って低かった。辛うじてドライブシステムを装着できる程度。正直、実戦に耐えうるかどうかは怪しい。が、彼の喧嘩のセンスは見事にそれを補っていた。不可能性と可能性、矛盾した二つの要素を孕んだ少年。


「適合から、何も劇的な事件は起きないわねん★ やっぱり退屈でしょ?」


 そうでもない、と龍征は零した。


「まず、アンタに勝つ、という目標ができた」


 ぶるりとオカマの肉体が震えた。当てられる闘志に、不敵な笑みが浮かんだ。ぱっくりと割れた口の端。そこから何かを発しようとし、そしてきつく閉ざされた。天道少年の目が、真っ直ぐこちらに向かっていた。屈託のない笑顔。桜主任は、口元を綻ばせた。


「まだまだ早い」

「ちぇ~」


 だが、その成長には目を見張るものがあった。今まで田舎町のケンカで肉体を鍛えていたらしいが、桜主任のコーチングでその経験が一つの戦い方にまで昇華されていた。これならば、スタードライブシステムを度外視しても、低い適合値でも戦力になるかもしれない。訓練上がりの龍征の背中を見て、オカマが舌舐めずりした。


「桜さんといい、先輩といい、ヤバい奴がごろごろいるなぁ……」


 オカマの熱烈な視線に気付かない振りをして、龍征が独り言を漏らす。星獣との戦いにおいて、この特異災害対策本部はまさに最前線となる。指折りの猛者どもが集まるのは当然だった。


「全くだ」


 独り言に反応されて龍征が気まずそうに振り返った。


「よぉ、元気そうだな」

「……いたんですね、崎守さん」


 顔の半分を包帯で覆っている崎守三尉が手を上げた。相変わらず表情を変えない男だった。そのせいで何を考えているのかイマイチ分からないところがあるが、この一ヶ月何だかんだ龍征に対して甲斐甲斐しく世話を焼いていた。


「はい、元気ですよ」


 龍征がにやりと拳を掲げる。そうか、と三尉が若干目尻を下げる。


「訓練、続いてるんだな」

「なんだよ、嫌そうだな?」


 崎守三尉は、スタードライブシステムに反対している。そのことに、龍征は薄々感づいていた。表情は乏しいが、分かりやすい男ではある。鈍い龍征にすら悟られるほどに。


「悪い。お前が頑張っていることはよくよく承知しているつもりなんだが……」


 気まずそうに頬を掻く。彼は、一連の事件で部下と、自らの片目を失っていた。自分だけが生き残ってしまった負い目。それは、龍征にも共感する部分がある。だからこそ、少年は力を手にする決意を表明したのだ。

 だが、それより先には思いが巡らない。部下を死なせてしまった小隊長の気持ちなど。一体どんな思いで特異災害対策本部への転属を希望したのか。想像が至らない。


「天道、キツいようならリタイアは恥ではないぞ。国防は俺たちの使命だ」

「そりゃねえぜ。俺がばっちり星獣をぶっ飛ばしてやる。だから安心して下さいよ!」


 民間人を戦場に立たせることがどれだけの恥か。それに。ドライブ1の、かつての少女に。どんな辛酸を舐めさせたのか忘れられるはずもない。


「だが――――……」


 紡ぐ言葉は続かない。

 煽るような音色が響き渡ったから。この、特徴的なサイレンは。ついに来てしまった災厄の合図。


「星獣、警報……?」

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