第26話 失いたくない人(後編)
「町の広場だよ。私はそこで……会ったのは数年前だけど、彼女と初めて会った。彼女は、とても驚いていたよ。自分がどうして、私に話しかけられたのか? その理由がまったく分からなかったんだからね。不安な顔で、自分の周りを見わたすしかない。私は、その態度を『かわいい』と思った。私に媚びを売るわけでもなければ、逆に怖がるわけでもない。ただ純粋に戸惑っているだけ。その態度が本当にうれしかった」
ミレイは、自分の言葉に暗くなった。従業員がテーブルの上にケーキを運んできた時も、ヨハンが従業員に「ありがとうございます」といわなければ、自分の口をまた開く事さえできなかったのである。彼女は自分のケーキを何口か食べると、気持ちの方をなんとか落ちつけて、ヨハンに親友との出会いをまた話しはじめた。
「私は、名もしらない少女に好感を抱いた。『この子はたぶん、他の子達とは違う』ってね。直感で、そう思ったの。事実、彼女はそういう女の子だった。相手に対する敬意はもちろん忘れないけど、『だから』といって相手の言葉にただ従うだけじゃない。相手の言葉があまりに理不尽だった時は、当然のように怒る。『それは、違うんじゃない』という。彼女は破廉恥な事、特に曲がった事が大嫌いな子だった。私はまた、彼女に好感を覚えてしまった。『この子とは、なにがあっても友達になりたい!』ってね、そう強く思ったの。私は彼女の前に立って、その名前を訊こうとした」
ミレイはまた、自分のケーキを食べた。今度は先程よりも明るい顔で、そのケーキを食べたのである。
「彼女は、私の質問に戸惑った。私の方も、彼女に自分の名前をいっていなかたらね。戸惑うのも無理はない。彼女は私の顔をしばらく眺めていたけれど……流石に耐えられなくなったのか、私の名前を訊いてきた。『貴方は一体、誰ですか?』ってね、私の目をおそるおそる見てきた。私は、その視線に微笑んだ。彼女の名前を訊くのも大事だったけど、まずはその緊張を解こうとして。彼女の緊張が
「そしたら?」
「とても驚かれたよ? 『マヌア家のお嬢様がどうして?』って感じに。あの時の顔は、今でも思いだすな。それくらいにかわいい顔だった。私は、彼女に自分が話しかけた理由を話した。『貴方と友達になりたいから』って、そう彼女にいったの。多くの子どもが遊ぶ、公園の中でね。私はなんのためらいもなく、彼女に自分の本心を打ちあけた」
ヨハンは、その言葉に微笑んだ。彼女のそういう部分はやはり、昔から変わらないらしい。
「ミレイらしいね」
「そう?」
「うん、こう思ったら突っ走る部分は特に。僕は、そういう部分も好きだった」
ミレイは、その言葉に赤くなった。その言葉は、あまりに不意打ちすぎる。
「ヨ、ヨハンも、そういうところはまったく変わっていない」
「どこが?」
「そ、そういうところ! 妙に鈍すぎる性格が!」
ヨハンは、その言葉に首をかしげた。どうやら、彼にその自覚はないらしい。
「僕って、そんなに鈍いかな?」
「に、鈍いよ! そうじゃなかったら」
ミレイは、その続きを飲みこんだ。それをいってしまったら、自分の恋敵を増やす事になる。基本は打算の嫌いな彼女だったが、そこは年頃の少女らしく、本能の打算に従ってしまった。彼女は自分の気持ちを落ちつけようと、あわてて自分の紅茶を飲みほした。
「は、話を戻すと!」
「う、うん」
「彼女は最初こそは戸惑っていたけど、最後には自分の名前を教えてくれた。『アタシの名前は、ハウワー・ダナリといいます』ってね? 震える声で教えてくれたの。私は、その名前に温かくなった。気持ちの方もなぜか、いっぱいになった。まるで壊れていた物が直っていくみたいに、心の隙間が埋まっていくみたいに。とても救われた気持ちになったの。彼女はたぶん、私の救い主に違いない。私の心を救ってくれる、そんなかけがえのない存在。私は自分の愚痴から入って、彼女との距離をなんとか縮めようとした」
「ふうん。たとえば?」
「家の不満をいったり、貴族の偏見を怒ったり。それ以外にも」
「僕の事は、いわなかったんだね?」
「……うん」
いえなかった、と、ミレイはいった。
「貴方は、私にとって特別な人だったから。それに」
「まあ、うん。そこか先は、いわなくていいよ? たぶん、『いいづらい事だ』と思うからね?」
「ありがとう。私は彼女に貴方の事を隠して、自分の事を話しつづけた。彼女は、その話を聞きつづけた。最初は、どこかに遠慮があったようだけど。彼女の方も、私に心を開きはじめたのか? 公園の空が暗くなりはじめた頃には、私への敬語をすっかりやめていた。そこから迎えの馬車に歩いていく時も、私に『バイバイ、ミレイ!』といってくれた。彼女は馬車の中に乗って、私の前からいなくなった。私は、その
「それから、彼女との交友がはじまったんだね?」
「うん。彼女は次の日も、その公園にきてね? 私も用事の関係で、その公園に寄ったから。楽しくおしゃべりしちゃった」
「そっか」
「私達は互いの家を教えあって……最初はそれぞれの家で小さなお茶会を開いていたけれど、社交界の席で新しい友達、『アリス』って娘なんだけどね? その娘と知りあってからは、彼女の家でお茶会を開くようになった。そのお茶会には、私達以外の女の子達も入っていた。彼女達は、私達の事をこころよく迎えてくれた。アリス自体が良い子だからね。そのお茶会に加わっていた女の子達も、基本的には良い子ばかりだった。でも」
「彼女達にもやっぱり、偏見はあった?」
「うん。その偏見はたぶん、正しい貞操なんだろうけど。その貞操が、ハウワーの事を苦しめてしまった。『女の子が、そんな店にいくのは破廉恥だ』って。自分達の輪から彼女を追いだしてしまった」
「アリスって子は、その偏見にうなずいていたの?」
「たぶん、うなずいていない。彼女の根っこはたぶん、私と同じだから。『複雑な思いだった』と思う。ハウワーの気持ちも分かるけれど、追いだした方の気持ちも分かるみたいな。どっちに対しても味方できない。文字通りのモヤモヤ状態。アリスは」
「苦しいね」
「うん」
「でも、それが現実だ。『正』と『邪』を決める世界では、その中間は選べない。自分では、その中間をどんなに貫こうと思っても。それを求められる時が、必ずやってくる。『お前は、どっちの側につくんだ?』ってね、何度も問いかけられるんだ。大抵の人は、その拷問に耐えられない。だから、楽な答えを選ぶ。大多数の人が『正』とする、多数派の意見を選ぶ。今回の場合も」
「アリスは、そんな子じゃない! 周りの意見に振りまわされるような子じゃ!」
「今はそうかもしれないけど、これから先はどうなるか分からない。彼女は、君のあとを追いかけられなかったんだろう?」
「そ、それは」
うん、と、ミレイはいった。
「私の覚えている限りでは」
「なら、そういう事だよ。その子も、人間だ。周りの子達となにもかわらない、普通の女の子。普通の女の子が、社会の偏見に立ちむかうのは難しい。ましてや、その孤独に耐える事も。人間は、君が思うよりも強くないんだ」
「だから、他人を求める? 自分の事を分かってくれるような」
「それが人間の
ヨハンは、自分の紅茶を飲んだ。彼の紅茶は、冷めていた。彼女との会話に意識がいっていたせいか、自分の紅茶が冷めていた事に気づけなかったらしい。
「本当の孤独は辛いよ? アレは、この世の地獄だ。地獄の先にある大地獄。この世には、孤独を愛する人もいるらしいけど。そんなのは、孤独モドキを楽しんでいるだけだ。なりたい時にだけ一人になれる、都合のいい孤独モドキを。そういう人達は、本当の孤独を舐めている」
「確かにそうかもしれないね? 私も貴方と離ればなれになった時は、本当に死ぬ程にさびしかったから。その時の気持ちは、今でも忘れない。アレは、ヨハンのいう通りに地獄だった。なにを食べても美味しくない、なにを観てもつまらない。自分の心から感動がすっぽり抜けたみたいな感じだった。自分がどうして生きているのかも分からない。虚無と孤独が交互にやってくる毎日。友達とのお茶会も、どこか本気で楽しめなかった。お茶会自体は、とても楽しいのにね? 心の奥がいつも、モヤモヤしているの」
「それを和らげてくれていたのが、ダナリだった?」
ミレイは、その言葉に笑った。彼と親友はどうやら、既にそういう関係らしい。
「ハウワーの事、『ダナリ』って呼んでいるんだ?」
「うん、まあ。ダナリが『そうして欲しい』といっていたから。『ヨハンは、あの子の特権だから』って」
「ヨハンは、私の特権か」
今は、その特権も怪しいけど、と、ミレイはいった。
「いろんな女の子が出てきたせいで」
「なに?」
「なんでもない。ただ、不安に思っただけ」
「そ、そう?」
「うん、だから心配しないで?」
「分かった」
ヨハンは「クスッ」と笑って、会話の話題を戻した。
「そんなダナリの存在は、ミレイにとって凄く大きかったんだね? 今の話を聞いてみても、彼女は君に必要な存在だった。ある意味では、『僕以上』といっていい程の。彼女は君の隣に立つ事で、君をずっと支えつづけていたんだ」
ミレイは、その言葉に俯いた。その言葉に思わず泣きかけてしまったからである。
「彼女の家に初めていった時、その空気に胸を打たれてしまった。彼女の家には、すべてがあったから。私の家では決して、手に入らない。文字通りのすべてが。私は、そのすべてに憧れた。自分の人生を選ぶ意味はもちろん、その好きな人と結ばれる自由にも。私には、そんな自由はない。今の自分を捨てられる力も。私は、ただ」
「僕の代わりを捜していただけ、かもしれない」
「そうかもね? だから、こんなにも」
「ミレイ?」
「私は、最低な人間だね」
ヨハンはその言葉に首を振って、彼女の頬をそっとさわった。
「そんな事はない。君のそれはたぶん、普通の感情だよ?」
ミレイは、その言葉に目を見開いた。彼の言葉はやはり、いつ聞いても優しい。それが無性にうれしかった。
「ヨハン」
「ん?」
「ありがとう」
「いや」
ヨハンは「クスッ」と笑って、彼女の頬から手をのけた。
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