第24話 修羅場
それが少女達の闘争心に火を点けたのは、決して偶然ではないだろう。彼女の浮かべた笑みには、それだけの力があったのだ。店主の助手には嫉妬を、親友の少女には羨望を、有力貴族のご令嬢には警戒を、それぞれに抱かせてしまう程に。ミレイは周りの視線などまるで無視して、かつての相棒に微笑みつづけたのである。
「また、会えた。ヨハン!」
ヨハンは、その言葉に目を細めた。その言葉自体が嫌だったわけではないようだが、彼としてはやはり複雑な心境だったようで、それを素直に喜べなかったようである。
「う、うん、久しぶり。昔よりもずっと綺麗になったね?」
ミレイは、その言葉に赤くなった。彼とまた、会えただけでもうれしいのに。彼は自分の姿を見て、その成長を「美しい」と褒めてくれたのである。これには、流石のミレイも赤くならずにはいられなかった。彼女は自分の頬をほてらせつつ、うれしそうな顔で彼の頬をさわった。
「ヨハンも、昔よりずっと格好良くなった。思わず見ほれてしまう程に」
「そ、そう、かな?」
「うん」
ヨハンは、彼女の目を見つめた。ミレイも、彼の目を見つめかえした。二人は互いの目をしばらく見つめあったが、セーレが(かなり不機嫌な顔だ)それに咳払いすると、照れくさそうな顔で互いの目を逸らしあった。
ヨハンは「今の空気を変えよう」と思ったらしく、周りの人々をぐるりと見わたした。
「み、みなさん、のどは乾いていませんか? 今日は、『僕特製の紅茶を煎れたい』と思うので」
周りの人々はそれに驚いたが、その提案自体を否めようとしなかった。口には出さなかったが、彼らも「今の空気を変えよう」と思っていたらしい。彼らはカノンをきっかけとして、彼の提案につぎつぎとうなずいていった。
「そうね、ちょうど飲みたかったところだし。お願いしようかしら?」
セーレも、その言葉につづいた。
「わ、わたしもお願いします!」
ミレイも、それに負けない。
「私も! 昔は、そういう遊びをしていたものね!」
ハウワーも、気まずげにうなずいた。
「し、失礼かもしれないけど。アタシも」
少女達は互いの言葉が意味するモノを感じとったが、表面上では見えない火花をぶつけあっていただけで、それぞれにいつもの態度を見せていた。
「か、彼の紅茶は、特別だからね? ワタシ達にとっては」
ハウワーの父親は、その言葉に思わず震えあがってしまった。
「こ、これが、あの有名な」
修羅場か、と、彼はいった。
「ヨハン・ロジク。こいつはもしかすると、俺が思う以上に凄い奴なのかもしれない」
ヨハンは、その言葉を聞きとれなかった。全員分の紅茶を煎れることに意識を向けていたからである。彼は全員分の紅茶を煎れおえると、お盆の上にそれらを乗せて、テーブルの上にカップをつぎつぎと置いていった。
「どうぞ?」
少女達は、その言葉に微笑んだ。
「いただきます」
カノンは「クスッ」と笑って、自分の紅茶を飲んだ。
「美味しい。貴方の紅茶は、いつ飲んでも美味しいわ。ワタシの好みも、ちゃんと分かっているし。甘みの中にわずかな辛みがある」
ミレイは、その言葉に目を見開いた。特に「辛み」の部分にはかなり驚いてしまったようで、自分の紅茶を何回も飲みなおしてしまった。紅茶の甘みは何となく分かるが、「辛み(実際、紅茶に辛みがあるのかは不明)」についてはまったくしらなかったからである。彼女は正体不明の少女、カノン・レーンに警戒心を抱きつつも、そこはヨハンの幼馴染らしく、得意げな顔でその言葉にうなずいた。
「ほ、本当! この辛みは、彼の事をしっていないと」
セーレも、その言葉にうなずいた。彼女も彼女で、カノンへの対抗心があったらしい。
「は、はい! 絶対に分かりません! 彼の事を分かっていなければ!」
セーレはカノンの顔を見てからすぐ、ミレイの顔をじっと睨みつけた。
「気づけない味です!」
ハウワーは、その言葉に呆然としてしまった。「みんなには分かる味が、自分には分からない」と、そう内心で思ってしまったからである。彼女はある種の劣等感を覚えつつも、さびしげな顔で自分の紅茶を飲みつづけた。
「美味しい……」
ヨハンは、その言葉に目を細めた。
「ダナリ」
彼女の親がいるので、今は礼儀から「さん」を付けた。
「これからどうする? 今後の事も含めて」
ハウワーは、その言葉に目を見開いた。その言葉で、気持ちが一気に沈んでしまったからである。
「え、ええとぉ。ど、どうすればいいのかな? 自分でも、よく分からない。これから一体、どうすればいいのか? それがまったく分からないんだ。今まで付きあってきた友達ともたぶん……いや、絶対に付きあえなくなるだろうし。そう思うと」
ミレイは、その言葉をさえぎった。そこから先は、聞きたくないらしい。
「私がいる! 周りの子が、みんな離れていっても。私だけは、ハウワーの味方でありつづけるから!」
セーレは、その言葉をあざ笑った。その言葉があまりに甘かったからである。
「そんな事、できるわけがありません!」
「なんですって! もう一回いってみなさい!」
「何回だっていってやります! あなたには、絶対にできません。ヨハンさんの事だって、どうにもできなかったんですから! たった一人の幼馴染すらも守れない人が、唯一の親友を守れる筈がありません。あなたは、また」
「な、なに?」
「いえ、なんでも。ただ」
「ただ?」
「人が人を守るのは、『あなたが思う以上に大変な事だ』と思います。あなたは、自分の人生を犠牲にできますか? 社会の偏見や差別から、彼女の事をずっと守れますか? わたしにはたぶん、できません。どんなに頑張っても、相手に自分の食べ物を分けるのがせいぜいです。それ以上の事は、なにもできません。わたしはただ、それだけの人間です。あなたは、できますか? 自分のなにかを削って、相手になにかを与える事が? 自分の守りたいモノを」
「う、うるさい! 私だって、本当は自分の大事な人を守りたかった! でも」
ヨハンは、その言葉に眉を寄せた。どうやら、その言葉に込められた思いを感じとったらしい。
「ミレイ……」
「でも、私は救えなかった。周りの力に押しながされて、目の前の光景をただ眺める事しかできなかった。母の目を盗んで、ヨハンを捜す事もできたのに。私は今の今まで、ヨハンの事を想いながら」
「どんなに想っていても、やらなかったら同じですよ! 毎日、毎日、自分の不幸をなげくだけで」
「分かっている! 分かっているから、今度は失いたくない。私のすべてを賭けても。今度だけは」
カノンは、その言葉に目を細めた。今まで二人の会話を眺めていた彼女だったが、その言葉にはやはり引っかかる部分があったようである。
「いい作戦は、あるの?」
ミレイは、その質問に眉を寄せた。
「いい作戦?」
「そう、今の状況をひっくり返すような作戦。文字通りの
ヨハンも、その言葉にうなずいた。
「たぶん、社交界のネタにされるだろう。『悪しき性の乱れ』とかいってね? 好き勝手に盛りあがる筈だ。それがたとえ、本人がいるかもしれない場であっても。平気でそれを話してしまう。彼女達は、他人へのはずかしめに」
ヨハンは真剣な顔で、ミレイの顔を見かえした。
「自分の不満を吐きだす事が多いから」
ミレイは、その言葉に思わず叫んでしまった。その言葉があまりに悔しかったらしい。
「そ、それじゃ! 私にできる事なんて」
「なにかもしれない。ないかもしれないけど、それでも諦めちゃダメだ。自分の心が折れない限りはね? 僕はそうやって、自分の人生を生きてきた」
ヨハンは自分の元幼馴染に微笑んだが、店の時計にふと目をやると、真面目な顔でその時間を見つめはじめた。
「こう、こんな時間か。みなさん、すいません。午後のお客様がいらっしゃるので、ここは」
カノンは、その言葉にうなずいた。
「分かったわ」
ハウワーも、その言葉につづいた。
「ご、ごめん、ロジク。予定があるのに迷惑をかけて」
セーレも、それにつづいた。
「なにか手伝える事はありますか?」
三人は真剣な顔で、彼の顔を見つめた。
ヨハンは、その視線をじっと見つめかえした。
「みんな、ありがとう。ごめんね?」
ハウワーは、その言葉に首を振った。「ごめんね」といわなければならないのはむしろ、自分の方である。こんなにも多くの人、それもしっている人ばかりに迷惑をかけて。彼女の性根から考えれば、とても耐えられる事ではなかった。ハウワーは周りの全員にもう一度謝ると、真剣な顔で両手の拳を握った。
「アタシ」
カノンは、その言葉をさえぎった。ある意味では、彼女も今回の責任を感じていたようである。
「レーンさん」
「え? は、はい!」
「『気持ちの方はまだ、落ちついていない』と思うけどね? 今は、いろいろと話したい事もあるでしょう? 今日は、貴方のお屋敷にお邪魔してもいいかしら?」
「え、う、うちに?」
ハウワーは、自分の両親に目をやった。両親の許しがなければ、この提案も断らなければならない。そう思って自分の両親を見たらしいが、両親の方はむしろ喜んでいるらしく、父親の「それは、是非ともお願いしたい。今の娘には、そういう相手が必要だ」もあって、彼がカノンの足を促した頃には、ハウワー達もそれに従って、店の中から出ていってしまった。
「そ、それじゃ、ロジク。また」
「うん、また」
ヨハンは彼女達の気配が消えた後も、無言で店の扉を見つづけた。
セーレは、ミレイの顔に視線を戻した。彼女もどうやら、ハウワー達の事を見送っていたらしい。
「それで? あなたは、これかどうするんです? この状況に対して」
ミレイはその質問に驚いたが、表情にはそれを決して見せなかった。
「私は……」
「はい」
「うっ」
ミレイは真剣な顔で、ヨハンの顔に目をやった。
「ヨハン!」
「なに?」
「今日の夜、『ミルキィ』ってカフェはしっている?」
「うん、しっているよ? そのカフェが?」
「そのカフェにきてほしいの。貴方とこれから……うんう、今までの事をすべて話したいから」
「分かった。それじゃ、今日の夕方に。時間は、5時くらいで大丈夫?」
「大丈夫」
ヨハンはその言葉に微笑んだが、セーレが自分の唇を突然奪ってきたせいで、それの返事をすっかり忘れてしまった。
「バル、さ」
セーレは、その言葉を無視した。自分の恋敵が目の前にいる以上、「ここは絶対に負けられない」と思ったらしい。
「彼といくら話しても構いません。構いませんが、これだけは忘れないでください。『わたしが娼婦の娘だ』って事を。娼婦の娘は、嫉妬深い。特に自分の男を奪われる事に対しては」
ミレイは、その言葉にひるまなかった。それは、彼女も同じ事。後から出てきた女には、絶対に負けたくない。彼女はそう自分に言いきかせると、真剣な顔で相手の目を見かえした。
「他人の男を
「それは、こっちのセリフです」
セーレは、相手の目を睨んだ。ミレイも、相手の目を睨みかえした。二人は真剣な顔で、相手の顔をしばらく睨みつづけた。
「貴方とは」
「はい?」
「うんう、なんでも。『ただ、怖い相手だな』と思っただけ」
「それは、わたしも同じです。あなたのような綺麗な人が」
ヨハンは二人の会話に首をかしげたが、約束の事が頭にあったので、その意図をしろうとはしなかった。
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