第22話 元浮浪者と元相棒

 ハウワーの父親は、店の扉を叩いた。それを見ていたセーレが思わず驚いてしまう程に叩きだしてしまったのである。


「ハウワー、いるか! いるなら、返事しなさい!」


 それにヨハンが目を見開いてしまったのは、想像に難しくないだろう。ヨハンは「何事か?」と驚いたが、セーレの声が「ヨハンさん、すいません! 今はなにも聞かないで、店の扉を開けてください!」と聞こえた事で、ある種の落ちつきを取りもどし、店の扉にそっと近づいて、それをゆっくりと開けた。扉の向こうには、一人の男性が立っていた。歳の頃はたぶん、だろう。男性が男性として、一番に輝く年齢である。身長は、それの平均くらいか? 体型の方は痩せていたが、自分の事を押しのけて、店の中に入ってきた態度からは、それを忘れさせる程の気迫が感じられた。


 ヨハンは冷静な顔で、彼の背中に問いかけた。


「失礼ですが、どちら様ですか? うちの店に突然現れて。


 彼は、その続きを飲みこんだ。男性のいうハウワーが、自分のしるハウワーと同一人物か、それとも、同姓同名の別人か、その判断に迷ってしまったらしい。彼に背中にまた問いかけた「ダナリさんの事を」という言葉からも、その迷いがしっかりと感じられた。


「なんだか捜しているようですが。彼女とは一体、どんな関係ですか?」


 男性は鬼気迫る顔で、その質問に振りかえった。


「どんな関係?」


「そうです。あなたとダナリさ……ダナリは一体、どういう関係なのか? 彼女は、僕の友達です。向こうは、どう思っているのかは分かりませんが。それでも」


 彼女の事を傷つけようとしているなら、と、彼はいった。


「僕は、絶対に許さない。全力で貴方を止めます。たとえ、法律に反する方法でも。僕は」


「お前……」


 ダナリ家の当主は、自分の足下に目を落とした。


「突然入ってきたのは、謝る。だが」


「事情があるんですね? それも、ダナリに関わる」


「あ、ああ。だから、彼女に案内を頼んで」


 当主は暗い顔で、ある少女を指さした。その少女とはもちろん、セーレの事である。


「この店まで走ってきた。『うちの娘がいるかもしれない』と、必死に」


「そう、だったんですか」


 ヨハンは助手の顔に視線を移したが、その顔が「はい」とうなずくと、目の前の男性にまた視線を戻した。


「あなたは?」


「俺は、あの子の父親だ」


「お父さん?」


「お前は、ヨハン・ロジクだな?」


 ヨハンは、その言葉に驚いた。詳しい経緯は不明だが、彼は(どうやら)自分の事をしっているらしい。


「はい。僕は、ヨハン・ロジクです。この店をやっている。快楽屋の。貴方は」


「ん?」


「どうして、ダナリ……娘さんを捜していらっしゃるんですか?」


 当主は、その質問に眉を寄せた。それの内容から察して、ここには(たぶん)娘はいないのだろう。確たる証拠はなにもなかったが、セーレの反応はもちろん、彼の反応から察しても、彼らが嘘をついているようには思えなかった。


「いなくなったからだ」


「いなくなった?」


「ああ、今日の朝に。娘は友達のお茶会によくいくのだが、そこのお茶会でひどい事をいわれたらしい。『あんたは、このお茶会にはふさわしくはない』と。町の快楽屋で、自分の欲望を満たすような子は」


 ヨハンは、その言葉に暗くなった。その言葉からどうやら、大体の事を察したらしい。彼女は昨日の夜、快楽屋の前で自分と話していたところを見られてしまったようである。


「もうしわけありません」


「ん?」


「僕のせいで、こんな」


 セーレがその言葉に割りこんだのは、彼女も彼と同じ気持ちを抱いていたからである。彼女は悲しげな顔で、ハウワーの父親にまた頭を下げた。


「それは、わたしも同じです! わたしがダナリ様に快楽屋の事を」


 当主は、二人の謝罪に首を振った。二人の謝罪自体には複雑な気持ちだったが、それはあくまできっかけにすぎず、「『そうしたい』と決めたのは、うちの娘なのだ」と思ったようである。


「自分の目の前に短剣が置いてあったとしても。それを使うかどうかは、本人の気持ち次第だ。その短剣に魅せられるかどうかも。娘はただ、目の前の短剣に魅せられてしまっただけだ」


「ダナリ様……」


 ヨハンは椅子の一つを選んで、その上に彼を座らせた。


「大体のお話は分かりましたが、貴方にそれを教えた方はどなたですか?」


「娘の親友の……彼女もお茶会に誘われていたが、『ミレイ』という女の子だ」


 ヨハンは、その名前に目を見開いた。それもセーレが思わず驚いてしまう程に自分の思考をすっかり忘れてしまったのである。彼は余りの椅子を引いて、その上にゆっくりと腰かけた。


「その子は」


「ん?」


「その子の姓は?」


だ。マヌア家の一人娘。町でも有数の大貴族だ」

 

 ヨハンはまた、その名前に驚いてしまった。「そんな事が果たしてあるのか?」と、そう内心で思ってしまったようである。


「そう、ですか。ミレイが」


「どうした?」


「い、いえ、なんでもありません。そのマヌア様が、貴方にそれを伝えたんですね?」


「ああ、そうだ。うちの屋敷にやってきて。彼女も、娘の事を捜しているよ。うちの妻と一緒にね? 捜す場所は、それぞれに別だが」


「なるほど。それで、この店にいらっしゃったんですね? 『娘さんが、ここに訪れているかもしれない』と?」


「そうだ。ミレイさんの話では、『娘がいきそうな場所はすべて捜したが、どこにもいなかった』というし。他にいきそうな場所といえば」


「『ここしか考えられなかった』と?」


「ああ、ミレイさんの推しはかる限り。俺達はその推測に従って、お前さんの仕事を捜しつづけた。だが、その結果は」


「はい。『ここには、まだ』というのは正しくないかもしれませんが。娘さんは、この店にいらしていません。僕の助手、セーレさんが買い物に出かける前も、そして、出かけた後も。彼女は一度も、この店にはいらしていないんです」


「そうか。なら」


 当主は悔しげな顔で、自分の両脚を叩いた。両脚の太ももから、痛々しい音が聞こえてくる程に。彼はヨハンの制止を受けても、黙って両脚の太ももを叩きつづけた。


「うちの娘は、どこにいったんだ! まるで煙のように消えて」


 ヨハンは、その言葉に眉を寄せた。セーレも、同じような顔を浮かべた。二人は彼の姿をしばらく見ていたが、セーレの方は何やら思うところがあったようで、彼の前にそっと歩みよっては、真剣な顔で彼の目を見かえした。


「ダナリ様! わたし、娘さんの事を探しにいきます! 今回の事は、わたしにも責任がありますし。彼女の事は、わたしとしても放っておけません!」


「お嬢さん……」


 セーレはその言葉に微笑んで、彼の前から走りだした。


「ヨハンさんとダナリ様は、ここで待っていてください! わたしのいない間に娘さんがいらっしゃるかもしれませんから。三人で闇雲に捜しつづけるよりも」


「わ、分かった。よろしく頼むよ!」


 ヨハンも、その言葉に続いた。


「気をつけてね?」


 ヨハンは真剣な顔で、彼女の目を見つめた。


「『無理だ』と思ったら、すぐに帰ってきていいから」


「はい!」


 セーレは「ニコッ」と笑って、店の中から出ていった。


 当主は、その背中を見送った。


「幸せ者だな」


「え?」


「ミレイさんといい、娘は本当にいい友達を持ったよ」


「それは、娘さんが素晴らしい人だからです。自分の気持ちにまっすぐで」


?」


 ヨハンはその質問には答えなかったが、一応の返答として、二人分の紅茶をれた。


「どうぞ? 待っている間の気休めに」


「……ありがとう」


 当主はテーブルのカップに手を伸ばして、その紅茶をゆっくりと飲みほした。紅茶のお茶はもちろん、美味しかった。すべての不安はなくならなかったようだが、それが自分の喉を通った瞬間、今の不安を少しだけ忘れる事ができたからである。


「歳は、いくつだ?」


「17歳です」


「そうか、娘と同い年だな」


 当主は、テーブルの上にカップを置いた。


「この商売は、いつからやっている?」


「詳しい事はいえませんが、それなりに昔から」


「そうか。店の方は、一人でやっていたのか?」


「はい。つい先日、従業員が一人入りましたが。それまではずっと、一人でやっていました」


「さびしくは、なかったか? たった一人で、こんな店をやって」


 ヨハンは一瞬、その答えに言いよどんでしまった。


「『さびしくなかった』といえば、嘘になりますが。まあ、慣れの問題です。孤独も慣れてしまえば、孤独ではなくなる。『それが当たり前だ』と思いさえすれば」


 今度は、当主の方が言いよどんでしまった。どうやら、彼の言葉に胸を痛めてしまったらしい。当主は彼への警戒心を少し和らげて、その目をじっと見かえした。



「はい?」


「お前さんには、友達はいないのか? お前さんの孤独を紛らわす」


 ヨハンはまた、質問の答えに言いよどんでしまった。


「昔は一人、大事な友達がいました。自分と同い年の、とても大事な女の子が。でも」


「でも?」


「今は、友達じゃない。僕は自分の手で、彼女との繋がりを絶ってしまったんです。それがどんなに理不尽な事であっても。僕は、犯してはならない罪を犯してしまった。僕がこの店をやっているのは、その罪を償うためなんです。自分の犯した罪を決して忘れないように」


「そうか。それは……」


 辛いな、と、当主はいった。


「まあ、それを繰りかえすのが人生だ。特に男の」


「そうですね。それは、なんとなく分かります」


 当主は、その言葉に応えなかった。彼の気持ちを推しはかって、「今の空気を変えよう」と思ったようである。


「それにしても、美味い紅茶だな。町の喫茶店で出されているヤツとほとんど変わりない。お前さんは、こっちの方で食っていった方がいいんじゃないか?」


 ヨハンは、その言葉に首を振った。


「それは、僕の趣味ですから。自分の趣味で食べていける程、世の中は甘くない」


「そうだとしても。こういう店をやるのは、やっぱり。お前さんにも、親はいるんだろう?」


「まあ。でも、大丈夫です。僕は、自分の家から追いだされた人間ですから」


?」


「はい。だから、大丈夫なんです。僕がこういう仕事を続けていても」


「し、しかし! それなら、なおの事」


「僕が自分の家に戻れば、家の人達に迷惑をかけてしまう。僕の大事に思っている人達に。僕は、それが嫌いなんです。ただでさえ、大変な苦労を重ねてきたのに。それをさらに悪くするような事は。僕はあのと出会えただけで、僕の事を『相棒』と思ってくれた人と出会えただけで幸せなんです」


 ヨハンは悲しげな顔で、元相棒の少女を思いうかべた。


 元相棒の少女は、その親友を必死に捜しつづけていた。


「こんなに捜しているのに、もう! ハウワーったら」


 どこにいってしまったのだろう? 町の空はもう、お昼近くになっている。彼女の視界に入ってくる風景はもちろん、通りのパン屋からも美味しそうな匂いが漂っていた。


 ミレイはその匂いに苛立ったが、セーレの方はそれ以上に苛立っていた。


 セーレはハウワーの姿を捜しつづけたが、ある少女がふと目に入ると、今の気持ちをすっかり忘れて、彼女の前に勢いよく走りよった。


「あなた! やっぱり、馬車の中に乗っていた!」


 ミレイは、その言葉に驚いた。その言葉はもちろんだが、見ず知らずの少女に突然話しかけられて、どう応えていいのか分からなかったからである。


「え、あ、あの? 貴女は?」


「わたしは、『セーレ・バル』といいま、くっ!」


 こんな相手に敬語なんか使いたくない。そう内心で思ったセーレは、相手が貴族であるのをしっているにも関わらず、あえて対等であるかのような態度を見せた。


「いうんだけど。ダナリ様のお父様から聞いて、彼女の事を捜しているの。あなたは?」


「私は、『ミレイ・マヌア』といいます。マヌア家の一人娘で」


「ふうん。それじゃ、お嬢様なんだ」


 ミレイは、その言葉に苛立った。相手の身分は分からないが、その言葉遣いがあまりにも無礼だったからである。だからあえて、相手には敬語を使いつづけた。


「そうですけど? 貴女は一体、誰ですか? ハウワーとは一体、どういうご関係で?」


「わたしは、彼女の友達です」


「と、友達!」


「はい。だからこうして、彼女の事を捜している」


「それは、私も同じです。私も、彼女の事をずっと」


「捜しているくせにまだ見つけられていないんだ?」


「くっ!」


 ミレイは、相手の顔を睨んだ。セーレも、相手の顔を睨みかえした。二人は互いの顔をしばらく睨みあったが、ミレイの方が「やめましょう。こんな事をしていても、時間の無駄です」というと、セーレも「そうだね」とうなずいて、互いの目を逸らしあった。


 セーレはまた、彼女の顔に視線を戻した。


「それで?」


「うん?」


「情報は、なにかあったの?」


「うんう、まったく。町の人達にも訊いたけど、『それらしい子は、見ていない』って」


「そう。それは、わたしの方も同じ。彼女についての情報は」


 そこまでいった時だ。セーレはふと、ある直感が働いたようである。


「もしかしたら」


「え? どこか、あてはあるの?」


「うんう。これはあくまで、わたしの勘。ダナリ様はきっと、あそこに」


「いるかもしれない?」


「うん」


「だったら、私も一緒に連れていって! 私は、彼女を取りもどしたいんです!」


「……分かった。ただし、外れても文句はいないでね?」


「もちろんです!」


 ミレイは彼女の案内で、町の鉄橋に向かった。

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