第21話  親というモノ

 彼女は一体、どこへいったのだろう? 屋敷の周りはもちろん、町の中もいろいろと捜したが、通行人達の姿が目に入ってくるだけで、彼女の姿はおろか、その気配すらも見つけられなかった。年頃の女の子が好きそうな店に入っても、店の従業員から「しらない」と返されるだけで、彼女の情報はまったく得られない。ただ、時間だけが過ぎていくだけだった。

 

 ミレイは額の汗を拭って、道路の隅に向かった。「道路の隅にいけば、通行人の邪魔にならない」と思ったからである。彼女は道路の隅でしばらく休んでいたが、親友の事がどうしても気になってしまい、ふと思いだした親友の家、その屋敷に「もしかしたら、帰っているかもしれない!」と考えると、僅かな可能性にかけて、彼女の屋敷に走った。


 屋敷の召使い達は、彼女の登場に目を見開いた。マヌア家のお嬢様が突然訪れた事に思わず驚いてしまったのである。彼らは不安な、だがどこか好奇な態度で、彼女の話を聞いた。それがあまりに衝撃だったのか、ハウワーの父親も「そうだったのか」とうつむいてしまった。


 彼は暗い顔で、椅子の上にしばらく座りつづけた。


どおりで遅いと思ったよ。まさか、そんな店にいっていたなんて。まったく!」


「ダナリ様……」


 当主はその声を無視して、机の上を勢いよく叩いた。


「なにを考えているんだ! あのは」


「それは」


 分かりません、と、ミレイはいった。


「でも、そこにいったのは事実です。私の、いえ! 『ヨハン・ロジク』という人が営んでいる快楽屋に。彼女は……詳しい経緯は分かりませんが、その店にいって」


「詳しい経緯なんてどうでもいい!」


 当主はまた、テーブルの上を叩いた。


「あいつは、情けない子だ。自分の欲望も抑えられず」


 それの続きをいおうとした時だ。ハウワーの母親が、二人の会話に混ざってきた。彼女は夫の怒りをなだめると、真面目な顔でミレイの顔に視線を移した。


「詳しい話はあとで、娘の方から聞きます。どうして、そんなお店にいったのか? あの子は特別に賢くはありませんが、そういう事はちゃんと分かっている子です。そういう店にいったら、どういう事になるのかも。そんな子が快楽屋にいったとなれば……それには何か、特別な事情がある筈です。親のアタシ達にもいえないような」


 当主も、その言葉にうなずいた。


「それを確かめるためにも!」


 当主は怖い顔で、椅子の上から立ちあがった。


「母さん、俺達も一緒に捜すぞ! うちの馬鹿娘を、な?」


「もちろんです! あの子をこのまま放っておくわけにはいきません。最悪の場合は」


 自分で自分の命を、と、彼女はいった。


「ミレイさん」


「は、はい!」


「娘のいきそうな場所は、すべて捜したのですか?」


「え、ええ、もう。彼女がいきそうな場所は。彼女はいつも」


 彼女はそういいかけたところで、ふとある事に思いあたった。


「まさか!」


「なに? あの子のいるところが分かったの?」

 

 ミレイはその答えに戸惑ったが、やがて「はい」とうなずいた。


「確かな事はいえませんが、今の状況で最もいきそうなところは分かりました」


「それは、どこです?」


「彼の店です、。今の彼女がいくとしたら、たぶん。そこでなにを話すのかは分かりませんが、自分の家にも帰らず、彼女がいきそうな場所にもいっていないとするともう、そこしか考えられません」

 

 ハウワーの母親は、その言葉に眼光を強めた。



「なるほど。それなら!」


 その父親も、彼女の言葉につづいた。彼は真剣な顔で、彼女の顔に目をやった。


「俺達も、そこにいくしかない! ミレイさん」


「は、はい!」


「その快楽屋に俺達を連れていってくれ!」


 ミレイは、その言葉に暗くなった。その言葉に応えたい気持ちはあったが、彼女には残念ながら……。


「ごめんなさい」


「ん?」


「彼女から店の話は聞いたんですが、その詳しい場所とかは教えてくれなくて。彼女も、ヨハン・ロジクと『セーレさん』っていう女の子から場所を教えてもらっただけらしいですし」


「そ、そうなのか。それじゃ」


「はい。手がかりは、ほとんどありません。今からアリスの屋敷に戻って、私の友達から情報を訊く方法もありますが」


「素直に教えてくれるとは限らない、か?」


「……はい。友達はみんな、彼女の事を拒んでいます。『快楽屋にいくような子は、このお茶会にふさわしくない』と。私が友達に『店の場所を教えて』といってもおそらく、教えてはくれないでしょう。彼女はもう、みんなの輪から追いだされてしまった子ですから。『そんな子の事は、放っておけばいいんだ』といわれるだけです」


「そうか。それじゃ」


「はい、私達だけで捜すしかありません。彼女が向かっただろう快楽屋を」


「そう、だな。でも、不安に思う事はない。こっちには、三人もいるんだ!」


「そうですね。彼女を捜す人数が多ければ、それだけ捜せる範囲も広くなります。ここは何としても、ヨハン・ロジクの快楽屋を捜しましょう!」


「ああ!」


 三人はそれぞれに捜す方向を決めて、その場から勢いよく走りだした。当主は町の北側に、母親は町の西側に。ミレイも、町の東側に向かって走りつづけた。


 ミレイは、町の東側を走りまわった。町の東側は、道行く人の姿であふれていた。それの近くを走っている馬車達も同じ、道路の上を何度も行きかっている。まるで時間の流れに従うように、道路の端っこで「キャッ!」と転んだ貴婦人を除いては、それぞれの足をひたすらに動かしつづけていた。


 ミレイは、それらの光景を無視した。それらの光景自体は目に入っていたが、親友の少女に捜す事だけしか考えていなかったせいで、周りの風景が自分とは関わりないモノに見せていたのである。だから、ヨハンが店の前でセーレに買い物を頼んだ時も、町の東側を変わらず走りまわっていた。


 ミレイは、額の汗を拭った。


 ヨハンは、自分の助手にお金を渡した。それは、買い物に必要なお金である。


「ごめんね、バルさん。急な買い物を頼んじゃってさ。昨日に買う筈だった物をつい忘れていて」


「いいえ、大丈夫です。わたしは、お店の従業員ですし。必要な物の買い出しは、わたしの仕事ですから」


「うん、ありがとう」


 セーレは「クス」と笑って、その言葉に「いいえ」とうなずいた。


「それじゃ、いってきます」


「うん。気をつけて、いってらっしゃい」


「はい!」


 セーレは店の中から出ると、町の道路を進んで、頼まれた果物屋に向かった。果物屋の中では、どうしたのだろう? 貴族風の服を着た男性が、周りの客達はもちろん、果物屋の「お気持ちは、分かりますが。まずはどうか、落ちついてください!」も無視して、何やらわけも分からない事をわめいていた。


「一体、なにが?」


 セーレは目の前の光景をしばらく眺めていたが、買い出しの事もあったため、従業員の一人に近づいて(相手は彼女の登場に驚いたが、すぐに「い、いらっしゃいませ」と落ちついた)、その女性に「なんのさわぎですか?」と訊いた。


「あの人、凄く困っているようですけど?」


 女性は、その質問に溜息をついた。お客相手に見せる態度ではないが、目の前の光景にかなり困っているようである。


。それも、かなり迷惑な」


「お問い合わせ? それって、どういう?」


 女性はその質問には答えなかったが、代わりに例のわめいている男性を指さした。


「あの人の声を聞けば、分かります」


「あの人の?」


 セーレは不思議そうな顔で、男性の言葉に耳を傾けた。男性の言葉は、驚くべき内容だった。「?」という、それに思わず驚いてしまうような内容。彼の前に歩みよって、彼に「あ、あの、すいません!」と話しかけてしまうような内容だったのである。「彼の店を探しているんですか?」


 男性の怒声が止まったのは、その質問に思わず驚いてしまったからだろう。男性はセーレのしばらく見ていたが、彼女がまた「あ、あの?」と話しかけてくると、今までの沈黙を忘れて、彼女の肩を勢いよく掴んだ。


「その店をしっているのか!」


「は、はい! というか、そのお店で働いています。ヨハン・ロジクの快楽屋で」


 男性は、その言葉に押しだまった。周りの客達も、あまりの衝撃に言葉を失ってしまった。彼らは互いの顔を見あったり、何やら「ヒソヒソ」と話しあったりしいたが、彼女の事を「ハッ」と思いだすと、いぶかしげな顔でその顔をじっと眺めはじめた。


「君の名前……なんでもない。その店に娘がきていないか?」


?」


「ああ」


 男性は、店の外に目をやった。どうやら、「詳しい話は、店の外で」という事らしい。


「すまないが」


「大丈夫です。そういうのは、なんとなく分かりますから」


 男性は彼女と連れだって、店の外にサッと出ていった。


「娘の名前は、ハウワー・ダナリ」


「ダ、ダナリ様!」


 男性は、その言葉に目を見開いた。彼女からその名前を聞けるとは、夢にも思っていなかったようである。


「うちの娘をしっているのか?」


「は、はい! ダナリ様は……その、昨日の夜に」


「それは、しっている。ヨハン・ロジクの快楽屋にいったんだろう?」


 セーレは、その言葉に目を見開いた。詳しい事情は分からないが、彼はどうやら娘が快楽屋にいった事をしっているらしい。


「え、ええ、そうですけど。その後は、ヨハンさんが家まで彼女を送った筈ですが?」


 まさか! と、彼女はいった。


「それからまた、どこかにいってしまったんですか?」


「い、いや。その後は、家にいたよ。家の朝飯も食ったし。問題は、だ」


「その後?」


「ああ、友達のお茶会にいった後だ。娘の親友から聞いた話じゃ、そこで友達全員に自分が快楽屋にいった事をしられてしまったらしい。友達の一人が、娘に『昨日の夜、快楽屋の前に立っている姿を見た』といって」


「な、なるほど。それで」


「そうだ。察しの通り、お茶会の場から飛びだしたらしい。親友の子が、娘の事を追いかけたらしいが」


「娘さんはまだ、見つかっていないんですね?」


「ああ。俺は妻と親友の子と三人で、娘の事を捜しはじめた。『もしかしたら、ヨハン・ロジクの快楽屋にいったのかもしれない』ってね。そこの店に入った理由も、『快楽屋の情報を集めよう』と思ったからだ。でも」


 男性もとえ、ハウワーの父親は、セーレの両肩を掴んだ。


「うちの娘に口止めされているなら無視してくれていい。うち娘は、ヨハン・ロジクの快楽屋にきていないか?」


 セーレは、その言葉に暗くなった。彼の気持ちは痛い程に分かるが、今の彼女にはこう答える事しかできなかったからである。


「ごめんなさい。わたしが彼に買い物を頼まれた時には」


「そうか……」


「でも!」


「ん?」


「わたしと入れちがいで、彼に店に着いた可能性はあります。わたしは、裏道の方を歩いてきましたし。表側の道を通ったなら、わたしにも気づかれないで」


「なるほど。それなら!」


 お嬢さん! と、彼はいった。


「その店まで、俺を連れていってくれ。娘がもし、その店にいたんなら」


「ど、どうするんですか?」


「説教を食らわせてやる。娘は、色んな人に迷惑をかけたんだ。俺も含めた、色んな人に」


 セーレは、その言葉に眉を寄せた。それの原因を作ったのは、彼女だけではない。彼女にヨハン・ロジクの快楽屋を教えた、自分にも責任がある。今の自体を作りだしてしまった、大きな責任が。彼女は真剣な顔で、彼の目を見かえした。


「失礼かもしれませんが、それは決してやらないでください。娘さんの尊厳を守るためにも」


「お嬢さん……」


「娘さんはいま、苦しんでいます。わたし達が思っている以上に、自分の心を痛めている。彼女の事を叱るのは簡単ですが、ここは娘さんの意思を大事にしましょう?」


「そう、だな。すまない。俺も少し、熱くなりすぎた」


「いえ、あなたの気持ちもよく分かります。『親』っていうのはたぶん、『そういうモノだ』と思いますから」


 セーレは「ニコッ」と笑って、彼の足を促した。ヨハンの快楽屋まで、彼を案内するためである。彼女は、ヨハン・ロジクの快楽屋に彼を連れていった。

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