第2話 ヨハン・ロジク

 それが最高に達したのは、いつだろう? はっきりとした時間は分からないが、最初は不思議な香りにうっとりし、それが次第に濃くなっていくと、意識の方がぼうっとしはじめ、その感覚がある部分に達したところで、甘い稲妻が突然に襲ってきたのである。稲妻は彼女の神経をすっかり焼きはらい、その感覚だけを丸裸にさせて、本来なら感じるはずのない物を、それが奥に隠れている快感をすべて暴きだしてしまった。

 

 カノンは、その快感に酔いしれた。「自分はただ、少年に自分の身体を揉まれているだけ」と分かっていても、それがゆっくりと動くたびに何ともいえない快感が襲ってきて、少年が彼女の首を揉みだした時はもちろん、そこから背中や腰、左右のふくはぎや足首を揉んだ時も、思わず悶えずにはいられなかったのである。彼女は少年の指と、それに垂らされたオイルの感触とを味わいつつ、自分の淫らな身体を「あ、うううっ」と震わせつづけた。

 

 ヨハンは、その反応に微笑んだ。


「どこか痛いところは、ある?」


「なっ、いわ。そんなところ、ひとつもない」


「そう。なら、気持ちいいところは?」


「ぜんぶ!」


 ヨハンはまた、その反応に微笑んだ。今の反応が、余程に嬉しかったらしい。彼は指の力加減を変えず、彼女の反応を注意深く見て、その右足を揉みだした。右足の一つ一つを、まるで宝にでも触るかのように揉みだしたのである。


「どう?」


「きもち」


 いい! の部分はどうやら、声にならなかったらしい。


「ああ!」


 カノンは右足の指から伝わる快感に、ついには涙を流しはじめてしまった。


 少年はその光景に「クスッ」と笑って、今度は彼女の左足を揉みだした。左足の親指は少し強く、人差し指はやや丁寧に、中指もそれと同じくらいに、薬指は少し弱く揉んで、小指は「それ」を撫でるようにそっと。彼女の反応を窺っては、その微細な変化を読みとりつつ、彼女が最も満たされるだろう刺激を与えつづけた。


「ふふふ。?」

 

 それにカノンが答える余裕は、どうやらなかったらしい。彼女は最早、「快楽」のとりこ。果てしなく広がる、「気持ちいい」のしもべになっていた。口の端から漏れているよだれが、それの確たる証拠である。涎は寝台の上にも流れて、そこに美しい池を作っていた。


「あ、ううう」


 カノンは自分の涎に気づきながらも、それを拭くどころか、「拭こう」とする気持ちすら起こらず、彼から受ける刺激に淫らな声をあげては、悦びの表情を浮かべて、自身の快楽にただただ酔いしれつづけた。


「はぁああ、ううん」


 少年はその声に目を細めて、彼女の背中をスッと一撫でした。それがまた、カノンにはこの上なく気持ちよかったが、少年としては「次の流れ」に移りたかったらしく、彼女に「後ろは、これで終わり。次は、前だよ」といって、その体勢を静かに変えさせてしまった。


「気持ちいい場所は、後ろにだけあるわけじゃないからね?」


 少年は改めて、彼女の身体を見おろした。彼女の身体は本当に美しく、彼のような専門家プロでなければ、その年齢や性別を問わず、左右とも形のよい胸や、綺麗に引きしまったウエストを見て、最悪の場合は劣情すら抱いてしまうかもしれない程だった。肩の辺りまで伸びている金髪も、その毛先にゆるいウェーブが掛かっているせいで、身体の美しさをより一層に引き立てている。正に「美」を具現化したような少女、「美少女」の形容にふさわしい少女だった。

 

 少年はその少女に劣情を抱かない様子で、自分の仕事を黙々とやりつづけた。彼女の首筋を撫でる動きも冷静、そこから肩へと流れていく様子も、「嫌らしい」というよりは、「優しい」といった方が正しかった。肩の部分は少し丁寧に、「それの内にある感覚器を撫でるような雰囲気」といった感じだろう。その指をゆっくりと動かすことで、「感覚器の濁りを流す」といった風だった。

 

 少年は「それ」が濁りを流すと、次は優しげな手つきで彼女の胸(正確には、胸の周りだが)を揉みだした。胸の頂きには決して触らず、それが内側にある血管や神経を刺激……いや、そっと撫ではじめた。それを実際に撫でたわけではないが、素肌の表面からに訴えて、彼女の快楽を可能な限りに引きあげたのである。


「胸の方はもう、いい感じだね。それじゃ、次は」


 腹だった。腹の部分は少し強く揉んだが、それも彼女の反応を考えに入れているらしく、彼女が最大に満たされるところを何度も揉みつづけた。それの結果が、彼女の満足げな顔である。彼女は腹部の刺激があまりに気持ちよすぎて、僅かに残っていた自分の理性を綺麗さっぱり忘れていた。


 少年はただ、その反応に微笑みつづけた。


「そう、その感覚が大事だ。理性の縛りを忘れて、あるがままの自分を」


 さらけだす。「それが最も大事なんだ」とうなずく少年だったが、肝心のお客様がので、お客様の耳元に「次は、下半身に行くよ?」と囁きはしたが、それ以上の言葉はいわなかった。

 

 少年は彼女の下半身に指を移し、彼女が一番恥ずかしい部分にはまったく触れず、太ももの内側を何度も揉んでは、その内側にある感覚器、それら諸々にも刺激を与えつづけた。


 カノンは、太ももの快感にうっとりした。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 息が苦しくなった。


「うううっ」


 視界も、ぼやけた。


「はう、ううう」


 彼女は現実とも夢ともつかない世界で、とうとう限界に達してしまった。


「だ、だめ、もう!」


 そこで彼女の言葉がとぎれたのは、その意識自体がとぎれてしまったからに違いない。彼女は少年の笑顔こそ覚えているが、そこから先は何も覚えていなかった。……そんな彼女が意識を取りもどしたのは、快楽の波がスッと引いた時だった。

 

 彼女は波の余韻に気だるさを覚えつつも、満足げな顔で自分の上半身を起こした。


 少年は、目の前の少女に微笑んだ。


「良かったかい?」


 その答えはもちろん、「最高」だった。


「それ以上の言葉がないくらいに」


 カノンは少年の促しに従って、寝台の上から降りた。 


 少年はまた、店の奥に目をやった。


「皮膚の表面にオイルが残っていると、からね。そのままでいいから、またお風呂に入ってもらえると助かります」


「わか、たわ」


 カノンは店の浴室に向かって歩きだしたが、それに合わせて当たる風が快楽の残滓を撫でてしまうらしく、床の上を進むたびに妙な刺激が生まれて、浴室の扉を開ける時はもちろん、そこからまた湯船の中に入った時も、肌の表面からオイルがすっかり落ちきるまで、この刺激に悩みつづけた。「こんなに気持ちいい体験は、初めてだ」と、そう心地よい感動に悩みつづけてしまったのである。


「ああ……」


 彼女は湯船の中から上がり、タオルで身体の水分を拭きとった後も、店のバスローブをまた着て、椅子の上にゆっくりと座りなおした以外は、何の動きも行えなかった。時折、自分の肩から力が抜ける事はあっても。それは心の高ぶりをいくらか抑えてくれるだけで、椅子の背もたれに寄りかかっていなければ、あの感覚がまたよみがえってしまい、少年がテーブルの上に紅茶を運んできてくれなければ、自分で自分の身体を慰めはじめるところだった。


 彼女は恥ずかしげに「はははっ」と笑い、あわてて自分の右手を引っ込めた。


「こ、この紅茶も、奉仕?」


 少年もその言葉に「ああ」とうなずいて、彼女の真向かいに座った。


「正確には、サービスだけどね。奉仕の前後に出す……言わば、オマケみたいな物だよ」


 少年は、楽しげに「クスッ」と笑った。カノンもそれに釣られて笑ってしまったが、紅茶の味がとても美味しくて、それをゆっくりと飲みほすまでは、少年の声にただ「うん、うん」とうなずいていた。


 カノンは、テーブルの上にティーカップを置いた。


「今まで飲んだ紅茶の中で、一番美味しかったわ」


「それは、良かった。紅茶作りは、僕の趣味だからね。そういってもらえると、すごく嬉しいよ」


 少年は、本当に嬉しかったらしい。最初は不安半分、期待半分の目で彼女をじっと見ていたが、彼女が満足げに「クスリ」とすると、少年らしい顔で「アハッ」と笑った。彼は、テーブルのティーカップを片づけた。


 カノンは、その背中に話しかけた。


「ねぇ?」


「うん?」


「また、来ても良い?」


 少年の手が止まったのはたぶん、今の言葉に引っかかる部分があったからだろう。少年は食器棚の中にティーカップを戻し、それから彼女のところにも戻って、椅子の上にもスッと座りなおした。


「別に良いよ。でも」


「でも?」


「あまりハマりすぎないようにね? 僕の奉仕は、


「『実際のそれとほとんど同じ』って? それは」


 考えるまでもない。少年はあえて、そう言う表現を使わないではいるが。


「つまり、『』って事?」


 沈黙の回答。だがそれは、言葉以上の回答だった。少年は本物の交わりで味わうだろう快楽、それとした快楽を作りだす事で、お客様に安全な気持ちよさを与えていたのである。


「すごい技術ね。これなら色々な問題を」


「解決は、できないよ? この世に完璧な物なんて無いからね。どんなに注意深くやっても、何かしらの問題は出てくるから」


「そうだとしても!」


 カノンはバスローブの胸元がはだけている事にもきづかず、テーブルの上に両手を勢いよく乗せて、彼の方に顔をぐっと近づけた。


「これは、素晴らしい奉仕よ! 女性の恥ずかしい部分にほとんど、いえ! まったく触れないで、本物の交わりとほぼ同じ快楽を作ってしまうなんて。普通の人間には、絶対にできない。貴方は、文字通りの天才だわ!」


「天才」


 それは少年にとって、あまり嬉しくない言葉だったらしい。


「僕は、天才じゃないよ」


 少年は、寂しげに笑った。


 カノンは何故か、その笑みに胸を締めつけられてしまった。その笑みに「え?」と驚くどころか、それ以外の感情すら忘れて、少年の笑顔をじっと眺めてしまったのである。


「そう……」


「うん」


「帰りは?」


「いつもの場所に馬車を待たせてある」


「そう。なら、そこまで送っていくよ。夜の街は、色々と物騒だからね。女の子をひとりで帰らせるのは、流石に危ないから」


 少年は彼女から馬車の場所を聞き、そこまでお客の彼女を送っていった。


 彼女は馬車のステップに足を乗せ、その扉をゆっくりと開けたが、気持ちのモヤモヤがどうしても気になってしまい、御者の男に何やらいって、少年の方をまた振りかえった。


「ねぇ?」


「うん?」


「また、明日も良い?」


 少年はその言葉に目を見開いたが、それをすぐに落ちつかせた。


「良いけれど、大丈夫なの?」


「ええ、お金も時間もたっぷりあるし。世間の目なんてモノも気にしないから」


「そう。なら、良いんだけど」


 カノンは、その言葉に「クスッ」と笑った。


「貴方の名前は?」


 数秒の間は、躊躇い。それに「僕の名前は」と答えたのは、彼の覚悟らしかった。


「ヨハン。ヨハン・ロジク」


「ヨハン・ロジク君、か。ふふふ、良い名前ね」


 カノンは何の躊躇いもなく、彼の頬にそっと口づけし、彼がその感触に驚いたところで、彼に「それじゃ、また明日」といい、馬車の中に入って、御者の男に「馬車を走らせて」と頼んだ。


 男は、その命令に従った。


 少年……いや、この呼称はもう、止めにしよう。ヨハン・ロジクは彼女の馬車が見えなくなった後も、間抜けな顔でその場にしばらく立ちつづけてしまった。

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