不思議なオイルが大好評! 利用客は、全員女性です【改訂版】

読み方は自由

第一章

カノン・レーン 篇

第1話 快楽への好奇心

 本能の内に輝く宝石、それが快楽である。快楽は人間の神経を砂糖に変えるだけではなく、その砂糖に蜜すらも加えて、人間に甘い幻を見せてくれるのだ。現実と夢とが分からなくなるくらいに、その境界線がぼやけた空間になるくらいに。快楽は人間が生きていく上で、決して無くなってはならない物……だが、それを「はしたない」と思うのもまた、人間の悲しいさがだった。心の内では「それ」を求めているのに、「世間体」という偏見が、それを許してくれないのである。

 

 有力貴族の一つ、レーン家の一人娘であるカノンも、そんな不満を抱く人間の一人だった。彼女は両親(特に母親)の影響を受けてか、近代国家の時代に生まれながらも、古い貞操観念に今もなお縛られている周りの少女達とは違って、自分の中にある欲望と仲よく付き合っていた。「」と、恥ずかしげもなく打ちあけていたのである。「ワタシも普通の人間なのだから、そういうのに興味があるのは当然だ」と。

 

 彼女は「女性は、こうあるべきだ」という偏見をこえて、女性が女性たる神秘、その奥底にある快楽を学んでは、16歳になりたての身体をいじり、そこから感じる初心な快楽に酔いしれていたが、それが次第に物足りなくなると、さらなる快楽を求めて、自分の両親をそれとなく説きふせ、馬車の御者にも微笑んで、大人の欲望がうずまく世界、夜の街へと行くようになった。

 

 夜の街は、彼女にとって理想の都だった。表向きは小洒落こじゃれたカフェに花を持たせてはいるが、その地面へと伸びている根っこには、人の良識が死んでいる魔境、一度味わったら二度と抜けだせない暗闇が広がっていた。「人間は決して、善良な生きものではない」と、そう思わせる背徳が広がっていたのである。艶やかな女性が「おいで、おいで」といざなう姿も、その後ろに見えているいかがわしい店も、彼女の好奇心をくすぐる、とても魅力的な光景だった。


 ここには、本能の潤滑油がある。

 

 カノンは浮き浮きした気分で、通りの左右にある店々を何度も見まわしたが、「眺めるだけの店は結局、家の壁に掛けられた絵画と同じ」と思ったらしく、ある店にふと目がとまるまでは、最初の興奮はもちろん、まるで秘め事のような戯れも、ただの観光を楽しむのと同じような感覚になっていた。


 

 

 


 彼女はそんな思いに苦しみつつも、たまたま見つけた店の扉を叩いて、その中にゆっくりと入っていった。

 

 店の中は……一言で言うなら、妙に落ちつく雰囲気だった。その店自体は初めてきたところにも関わらず、そこに置かれている家具類や、紅茶を入れる道具などが、少女の緊張を解きほぐし、店の奥から現れた少年、おそらくは「店の主で、年齢も自分と同じくらい」とは思うが、その美しい少年が「いらっしゃいませ」と微笑みかけた顔にも、少女らしい胸の高鳴りを感じてしまった。

 

 彼女は年頃の少女らしく、普段の優雅さを忘れて、その挨拶に「今晩は」と返した。


「素敵なお店ね。店の明かりをちょっと暗くしているところも」


 少年は、その言葉に微笑んだ。今の言葉は、彼としても嬉しい感想だったらしい。


「女性の中には、明るいのが苦手な人もいるからね」


「なるほど。ならこれは、それに対する配慮というわけね? 女性の恐怖心を抑えるための」


 無言の返事は、少年の謙虚が引きおこした事か? その理由は結局分からなかったが、近くの椅子に彼女を座らせ、その真横に立ちながら「ニコッ」と笑った態度からは、女性に対する敬意が感じられた。それから彼女に「ちょっと待っていて」といい、丸テーブルの上に自分が煎れた紅茶を運んできた態度からも、その誠実さがしっかりと伝わってきた。

 

 少年は口元の笑みを消し、真剣な顔で目の前の少女を見つめた。


「奉仕」


 ここでは、仕事の事を「」というらしい。


「の前に一つだけ訊いておきたい事があるんだけど?」


「なに?」


「君は、ここがどういう店だか知っている?」


 もちろん、とは言いきれない。だが、だいたいの察しはつく。ここは、お客に快楽を与える店。周りの店々から推しはかって、それを生業としているところだ。視線の先に見えている物、琥珀色のオイルらしき物が入っているガラス瓶も、その生業で使われる道具に違いない。オイルは瓶の8割くらいまで入っていたが、黒い台の上に乗っていたせいで、底の方が僅かに見えにくくなっていた。


 カノンは、瓶から少年の顔に視線を戻した。


「知らなかったら、この店に入らないわ」


 少年は、その答えに眉をひそめた。それに怒ったわけではないようだが、彼女の声があまりに明るかった事がどうも引っかかったらしく、最初は彼女の顔をじっと見、それから紙の挟まった板を取りだして、彼女に「これは、初めてのお客様全員に訊いている事だけと」といい、その紙に書かれている質問事項を一つ一つ述べていった。


「経験は?」


「経験?」


「『誰かと交わった事は、あるか?』って事」


「それは」


 もちろん、と、彼女は言った。


「無いわ。こう見えてもワタシ、貴族だからね。貴族は、そういうのにうるさいから」


 少年はまた、彼女の答えに眉をひそめた。今度のそれは、先程よりもずっと険しい。彼女の顔をじっと見つめる態度にも、その真剣さが明瞭に浮かんでいた。


「なるほど。それなら、。この店は確かにそういう店だけど、『誰でも、ようこそ』ってわけにはいかないんだ。この店を使った事が、その人にとって不利益を生む場合はもちろん、そうなる可能性が高い場合も」

 

 カノンは、その続きを遮った。彼の心配はとても嬉しいが、それでは身体のうずきが収まらないからである。彼女は「ニコッ」と笑って、彼の心配に「大丈夫」と微笑んだ。


「親の許しは、得ているからね。変な病気とかをもらわない限りは、特に文句も言われないでしょう。ワタシの親は、そういう意識の変革を目指している組織」


「え?」


「まあ……正確には、その一員だけどね。貴方も聞いた事があるんじゃない? 性の理性的寛容、それをスローガンにした」


「コルトコア」


「そう、そのコルトコアを」


「それは、僕も知っているよ。こういう世界で働いていればね、それに希望を抱いている人もいる。今までの価値観、特にを求める人は、世間の人達が思っているよりもずっと多いからね。この店にいらっしゃるお客様も、それを求める女性達だ」


「ワタシも、その一人よ?」


 少年はその言葉にしばらく黙ったが、やがて何かを分かったように「そうか」とうなずいた。


「悔やまない?」


「ええ」


「自分の選択に?」


「ええ。自分の指も、流石に飽きちゃったからね。これからは、他人の指も味わってみたい。それ以外の部分も、感じてみたい。この店は、その幸せを与えてくれる場所……なんでしょう?」


「うん」


 少年は「ニコッ」と笑って、店の奥を指さした。


「あそこの角に見える、ほら? 明かりの点いたところがあるでしょう? あそこには、お客様用のお風呂があるから」


 カノンはその続きを聞かないで、椅子の上から立ちあがった。


「そのお風呂に入ればいいのね?」


「うん」


「貴方は、あとから入ってくるの?」


 少年は、その質問に首を振った。


「僕がやるのは、女性への奉仕だから。身体の交わりは、やらない。僕は、そこにある」


 そう彼が指さす先には、程よい大きさの寝台が置かれていた。


「寝台の横に立って、君がお風呂から上がってくるのを待つよ」


 彼女は、その言葉に肩を落とした。「本当は、彼と一緒に入りたかったのに」と、そう内心で思っていたからである。彼女は少し残念そうな、でもどこか嬉しそうな顔で、彼の言葉に従い、その脱衣所に向かっていった。


 脱衣所の中は、下手な宿屋よりも綺麗だった。床の上に敷かれている足拭きはもちろん、お客用のタオルも綺麗に折りたたまれているし、お客が抜いた服を入れるためのかごも、女性の趣向を考えてか、その素材である植物がとても丁寧に編みこまれていた。まるで女性の不安をすっかりなくしてくれるかのように、あらゆる気配りがなされていたのである。

 

 カノンはその気配りに感動を覚えつつも、身体の衣を一枚、また一枚と脱いでいき、それらがまったく無くなったところで、浴室の中にゆっくりと入った。

 

 浴室の中も、やはり綺麗だった。そこの掃除が余程に行きとどいているらしく、湯船のお湯が黄緑色(色の成分は、不明だが)に染まっている以外は、何の汚れも見られない。お湯の表面から上がっている湯気にも、汚れらしい汚れがまったく見られなかった。

 

 カノンはその光景にまたも感動を覚えたが、それ以上に求める興奮が控えていたので、身体の汚れをすぐに落とすと、脱衣所のタオルで身体の水気をサッと拭きとり、そこのバスローブを着て、少年のところに戻った。

 

 少年は、彼女に優しく微笑んだ。


「少し休む? それとも」


「やるわ。休む時間が惜しいもの」


「分かった。それじゃまず、そのバスローブを脱いで」


 彼女は何の躊躇ためらいもなく、その言葉に従った。荒っぽくはないが、やや激しい脱ぎ方で。彼女は適当な場所に脱いだバスローブを置くと、今さらに恥ずかしくなったのか、右腕全部で自分の胸部を、左手で自分が一番見られたくない場所を隠した。


 少年は、その行為に首を振った。


「大丈夫。最初の恥じらいさえこえれば、あとは気持ちよくなるだけだから」


 そう言われてもやはり躊躇う彼女だったが、少年の目がまったく嫌らしくなかった事と、その躊躇いが欲望に姿をだんだんと変わっていった事で、最後にはそれぞれの場所から手を退き、少年の「そこの寝台に、そう。うつ伏せに乗って」にもうなずいて、寝台の上にゆっくりと寝そべった。


 カノンは少年の顔を見つめつつ、何度も深呼吸を繰りかえした。


 少年はそれが落ちついたところを見はからい、例の瓶に手を伸ばして、自分の手にそれがオイルをゆっくりと垂らしだした。


 カノンは、その音に耳を傾けた。音自体はとても静かだったが、それが妙に艶めかしく思えて、胸の鼓動がよりうるさく感じられたからである。彼女はこれから知るだろう体験、その期待からくる快感を好奇心いっぱいに待ちつづけた。

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