第39話

 翌朝、予告通りプリマは騎士団の研究施設へ連れて行かれ、トトはシオンと警察の者たちに別れを告げて、故郷へと帰っていった。


 シオンはまだ数日警察署にいたが、自分が引き起こしたあの喧嘩についての取り調べも全て終えると、しばらくの間警察の監視がつく条件のもと釈放された。

 結局、あのフルーツ屋の店主への弁償を、ボルト家の主人がすることで丸く収まったらしい。フルーツ屋の店主も過剰防衛であのボルト家所有の護衛を傷つけたとして、割に小額で済んだようだ。


 監視がつくと言っても四六時中というわけではないし、その警察は今までの経緯を知っているエレナや凛々子たちだ。……まぁ、だからこその煩わしさはあるのだが。シルヴァに至っては金も借りているので、なかなか気を緩めることはできない。しかし立ち直ろうとしている今のシオンにとっては、良い監視者だろう。


 これから、新しい日常が始まる。


 釈放された日の朝、シオンは持っていた父親の腕章を、水汲み場で丁寧に洗った。

 それを塀に引っ掛けて乾かしている間、ただぼーっと街を眺めていた。


 商売を始める露天の商人たち。手を引かれながら、おやつをねだる子供。これからどこか仕事に向かうのか、笑いながら通り過ぎていく男たち。

 いつもと変わらない、気にも留めなかった景色。それがなぜだか、今日は微笑ましく思える。


 しばらくして乾いた腕章を回収すると、あの何もない部屋に帰った。そしてその父親の形見を、残っていた適当な箱へ丁寧に畳んでしまった。

 その後で、散らかっていた酒瓶を全て片付けた。部屋は、逮捕される前よりも更に空っぽになったが、窓から差し込む光を遮るものが何一つなくなった。しがみついていたものを全て手放した今、一身に浴びることのできる光を、シオンは心地よく感じた。心も体も、浮くように軽い。


 そして昼を過ぎた頃、シオンは部屋を出て、ある場所に向かった。


 中に人の気配があるのを確かめてから、シオンは戸を開けた。魔物狩りの小屋――ダズが使っているあの小屋だ。


「シオン……」


 あの時説教をされてから、ダズに会うのはこれが初めてだった。何があったかはもう聞いたのだろう、シオンの左肩を見ても、驚いた様子はなかった。


「よう」

「身体は、もういいのか」

「まあ、何とか」


 そう尋ねただけで、ダズはそれ以上何も言わなかった。わざとではなく、単純に言葉が見つからないのだろう。まるで子供との接し方が分からなくなってしまった父親のようで、何だかシオンまで変な気持ちになってしまう。そうさせてしまったのは自分なのだが、いつものダズに似合わない、変な気遣いと緊張感で空気が重い。


 彼の周りには、相変わらず木屑が散らばっており、床がほとんど見えないほどだ。今作っているものは、テーブルだろうか。長方形の板の近くに、4本の脚が転がっている。


「そっちの調子は良さそうだな」


「あ? あ、あぁこれな。知り合いの商人に話をしたら、作品を置いてくれるって言うんでな。張り切って作ってるところだぜ。何とか、稼げるかもしれねえ」


 シオンが素っ気なく「あっそ」と言うと、「何だよ、冷やかしかよ」と、ダズがぎこちなく笑う。また少しの間、沈黙が部屋の中を泳ぐ。


「…………無理かな、俺には」


 シオンが、ぼそっと呟いた。


 我が耳を疑うように、ダズは驚いた顔をした。だがその表情は、すぐに緊張を崩した笑顔に変わった。


「お前…………。へっ、なあーに言ってんだ! 俺にできねえことはねえって散々言ってたやつが言うセリフかぁ? ほら、こっち! 座れ座れ!」


 いつもの、暑苦しくて鬱陶しいダズだ。なんて単純で切り替えの早い男なのか。呆れるが、彼のこの心の広さに、今まで何度救われた事だろう。シオンも表情を崩して、彼の隣、木屑にまみれた床の上に腰を下ろした。


「けどよ、さすがに俺だって片腕じゃ厳しい事もあんだろ」


「そりゃ、厳しいさ。一人じゃあな。ま、お前は器用だし、こなせるようになったら、案外いいもん作るかもしれんぞ」


 ダズはウキウキしながら、部屋の端に積んである木材を手に取りながら、「これだな」「いやこっちの方がいいな」とブツブツ呟いている。シオンにも扱えそうなものを探してくれているのだろう。


「ダズ。………ありがとな」


 彼の広い背中に向かって、シオンは言った。

 流石に照れ臭くて、鼻をこすりながら、驚いて振り返るダズから目を逸らす。またダズは目をまん丸くさせていたが、今回もすぐにその形は崩れ、ガハハと笑い出した。


「お前に礼を言われる日が来るとはなあ! ……俺はな、お前の親父さんに助けられた日から、お前を絶対に助けるって決めてんだよ。魔物狩りの腕は、悔しいがお前の方が上だったけどよ、こっちは俺がみっちりしごいてやるからな! 覚悟しとけよ!」


 その日から、今まで静かだった小屋から、賑やかな音が聞こえるようになった。

 半年後、プリマが帰ってきたときには、あの部屋が空っぽじゃなくなっているように。

 シオンが歩み始めた新しい世界を、どうかプリマも気に入ってくれますように。

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獣のねがい おおやま あおい @marumo

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