第37話
プリマの身体の状態は、トトやシオンに申し訳なく思えるほど良好だった。気を失うほどの身体の痛みもなくなっている。起きてすぐは頭がクラクラしていたが、用意してくれた粥を食べて少し休んだら、それもじきに治まった。
ニーナという、瓶底眼鏡にお下げ髪をした騎士団の女性は、プリマにも優しかった。騎士団の中には獣人がいることも珍しくないというから、街に住む人間よりも、獣人の存在が身近なのかもしれない。
一通り落ち着いてから、あれからの事、これからの事、いろんな話を、ただ黙って聞いた。
プリマが意識を失う直前に聞いた笛の音は、警察として駆けつけた凛々子が吹いたものだった。その時のシオンの容体はかなり深刻なものだったので、凛々子と一緒に駆けつけたエレナももうダメかと思っていたらしい。だが幸い、少し遅れて駆けつけたシルヴァが、騎士団のニーナを連れてきていた。ニーナは騎士団の調査隊員として普段は魔物や魔薬の研究をしているそうだが、人体や医術についても詳しかった。おかげで応急処置が上手くいったのだろう。シオンは無事に一命を取り留め、あとは傷口の回復を待つのみとなった。
それから、あの薬を使用した自分がこの後どうなるのかという話も聞いた。しばらく一人にして欲しいと申し出て、プリマは夜になるまで静かに時を過ごしたのだった。
満月がここ2階の窓から見える高さまで昇った頃に、ドアをノックする音が聞こえた。
「プリマ? 凛々子だよー。入っていい?」
入っていい? と言いながら凛々子は既に部屋に侵入しているので返答に困ったが、断るつもりもなかったので、黙って彼女を受け入れた。
凛々子はプリマが休んでいるベッドの脇に腰掛けて、プリマの方へ顔を向けた。
「ねぇ、シオンに会いに行かないの? もう明日には騎士団のとこに行かなくちゃいけないんでしょ?」
相変わらずこの子は直球だ。そう思って、プリマは苦笑いする。躊躇いや迷いが一切なく、その潔さが羨ましかった。「えぇ、そうなんですけど……」
魔薬を使用した者は騎士団へ引き渡され、その研究施設で薬の毒が抜けるまで過ごす。その後は街に戻り、囚人として他の罪人たちと同じように檻の中で刑期を過ごす。通常であれば、少なくとも10年は元の暮らしには戻れない。
だが今回の事件については、シルヴァが騎士団の知り合いと話をしてくれたらしい。
プリマの使用した薬に、魔物の力が働いているのは間違いない。だがそれはまだ名前さえ付いておらず、前例がない。そのため、その薬についての研究に協力をすれば、その後の刑期を免除してくれるように話をつけてくれた。更にあの薬には中毒性があるわけでもなさそうなので、研究施設からも半年もすれば出してもらえるだろうという話だ。
「騎士団のもとから出て、半年後……、私、どうしたらいいのかなって。家族には、明日トトが故郷に帰って、今までのことを全て話してくれるそうです。両親には今もずっと心配をかけているので、まずは故郷に帰って、うんと叱られないと。その後のことは……まだ分からなくて。シオンに、何を話したらいいのか、そもそも……会いに行っていいのかも。シルヴァさんのおかげで罰は軽くなったけど、私の犯した罪は、重い。自分を偽り、家族を傷つけ、シオンの人生を台無しにした。これから、どうやって償ったらいいんでしょう。たったの半年騎士団で過ごすだけじゃ、とても足りない……。どうするべきか、分からないんです」
この事件の話がどこまで広まってしまっているのかは分からない。だが獣人の姿でシオンの側にいることが許されるとは思えなかった。彼の右腕がなくなったきっかけを作ってしまったのに、その上まだ彼の側にいては、彼も自分も、これからどんな目で見られることか、想像もつかない。
だとすれば、やはり故郷へ戻り、サウストへはもう寄り付かないこと。これが、お互いを守るための、正しい罰ではないだろうか。
凛々子は膝を自分の胸に寄せて抱えると、うぅぅーん、と唸った。「プリマはどうしたいの?」
「えっ……と、だから、罪を償いたくて」
「そーじゃなくて! 本当の気持ち。罪とか罰とか、どうするべきか、とか、とりあえずどーでもいいからさ、プリマが本当に望むことはなに?」
「それは……」
考えても、いや、考えなどしなくても、頭に浮かぶのは相変わらずシオンの笑顔ばかり。その笑顔が守られるのなら、どんな罰だって受けるつもりだ。
「シオンが心から笑えるようになって、幸せな生活を送れるようになってくれたら、私はそれで。そのためなら、彼のもとを離れる覚悟だって……」
言いかけたところで、凛々子が白けた目をしながら、ずいっとプリマに顔を寄せてきた。「本当にぃ?」「えっ……ほ、本当ですよ!」
プリマがそう言っても、凛々子の目はまだ白けたままで、プリマは困ってしまう。すると凛々子はプリマの肩を掴んで更に詰め寄ってきた。
「もう! それはシオンの話でしょ? 凛々子が聞いてんのは、プリマの話! じゃあさ、なに? シオンがヘラヘラ笑ってれば、プリマは別に一人ぼっちでもいーの? 本当にプリマはそれでいーの?」
「は、はい。だって……」
勢いでつい肯定しようとしたとき、心が急に硬くなったような気がして、なんだか息が苦しくなった。言葉が続けられない。というよりも、体と心が、話すのを拒んでいるような、変な感覚だった。胸をぎゅっと押さえて俯くと、凛々子の肩を掴む手が緩んだ。
「ねぇプリマ。もう痛い思いはたくさんしたじゃん。十分だよ。だからシルヴァも騎士団の人に話をしてくれたんだよ。もうこれ以上、自分で自分に罰を与えようとしないで。自分だけを見ていいの。その自分の本当の素直な声を聞いて」
なぜだか、心臓の鼓動が早くなり、胸が熱くなった。まるで、心と体がプリマに必死に訴えかけているようだ。
(本当に、望むことは……)
笑うシオンのその隣に――自分がいる事。
「シオンと、一緒に居たい。……本当の、この姿のままで」
今まで許されなかった願いを初めて口に出した途端、硬かった心がほぐれて、同時に涙がこぼれた。
厳しい顔をしていた凛々子の顔が、柔らかな笑顔に変わる。
「その言葉が聞きたかったんだ。じゃあそれを、一番聞いて欲しい人に伝えに行かなきゃね」
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