第32話

「とりあえず、あなたの罪状は今の所はあの喧嘩ですから。あとの二人は今治療中なので、明日落ち着いたら3人まとめて話を聞きます」


 しばらく取調室に取り残されていたシオンだったが、やがて戻ってきたエレナにそう言われて、牢の中に入れられた。プリマについて尋ねれば、まだ見つからないと言われた。それどころか、弟のトトまで見失ってしまったらしい。


 探しに行くべきだった。

 自分はプリマを捨てたんじゃない、プリマに捨てられた。それを理解するのが怖くて、ろくに探しにも行かずに酒に逃げ続けた。

 だが、後悔してももう遅い。自分の馬鹿な行動のせいで、今や外に出ることすらできないのだ。そもそもプリマが無事だったとしても、今の自分にプリマに会う資格などあるのだろうか。


 ただ、虚ろな目で、しばらくシオンは立ち尽くしていた。胸の中を、感情が渦巻いている。今まで気づかないふりをしてきたその感情たちの名前を知ることもできない。怒ればいいのか、泣いたらいいのか。それさえもわからない。

 牢の外に取り付けられた蝋燭だけが、頼りなく室内を照らしていた。狭い部屋の中には、床の上に敷かれたカビ臭い布団と、隅の方に簡易な便所があるだけだ。

 空っぽだ、とシオンは思った。自分の部屋と大差ない。冷えきった部屋。

 それからシオンはふと思いついて、便所の前に屈み、喉の奥に思い切り指を突っ込んだ。

 身体が脈打つように大きく反応し、胃の内容物が逆流する。といっても、摂取していたものは酒ばかりだったので、吐瀉物の中身はほとんど胃液とアルコールだろう。焼けつくように喉が痛み、口の中に強烈な酸の匂いが充満した。

 しばらくその場で息を荒げていたが、落ち着くと布団の上にどさっと座って、石で出来た壁に背中をつけた。ひんやりとした感触が、じわじわと広がっていく。

 胃のむかつきは放っておけば治まっていたのだろうが、何もかも吐いてしまいたかった。これで、身体も空っぽになった。

 胃が空になれば、食べ物で満たせばいい。

 財布が空になれば、金を入れて満たせばいい。

 酒瓶が空になれば、酒屋に行って満たせばいい。

 それらは、道徳や法を無視し、手段を選ばなければどうにでもできる。

 じゃあ、心は? 心が空っぽになったら、一体何で満たしたらいい? そもそも今まで自分を満たしていたのは何だったのだろう。

 ポケットに手を突っ込んで、シオンは中に入っているものを確かめた。それは、くしゃくしゃに丸まった魔物狩りの腕章だった。


(強さだ……。そうだろ? それがあるから、俺は、俺だったんだ)


 だが、その強さを示す場を失った今、それは役に立たなくなってしまった。でも、そんなの認めたくない。認めてしまったら、何もない、空っぽの人間になってしまう。


(いや、違う、か……)


 シオンは頭を壁につけて、ふっと笑った。

 空っぽになってしまうのではない。もうとっくに空っぽだった。

 誰と一緒にいても、シオンはいつも一人。誰のことも受け入れないで、心の中には自分だけ。気づけば、今までずっとそうだった気がする。

 目を閉じて、ただ暗い暗い瞼の裏側をじっと見つめる。そう、こんな風に、最初から何もなかった。

 だがその暗闇の中になぜか、ぽつんと一人、膝を抱えた獣人の小さな背中が映った。

 空っぽの家の玄関前で、いつもそうやって、シオンを待っていたプリマだ。

 なぜ彼女が獣人の姿を捨てたのかは、もう想像がついていた。いつも自分のことを蔑んでしまう彼女のことだ。あのとき魔物狩りの仲間が言った言葉を、真に受けてしまったのだろう。

 でも本当の姿を捨ててまで、プリマはシオンの側にいる事を選んだ。

 頭の中で、膝を抱えたプリマが呟いた。


『シオン、どこに行っちゃったの……?』


 それはあの時、花火のせいにして聞こえないふりをした言葉。

 本当は、聞こえていた。プリマはずっと、シオンを探してくれていた。シオンがどれだけ自分から逃げ続けても、シオンを信じて、いつもあの部屋に帰ってきてくれていた。


「プリマ……、馬鹿だなぁ、お前は。………………俺は……もっと馬鹿だ……」


 溢れる感情を堪えずに、偽らずに、体のままに任せたら、本当に馬鹿みたいに涙が溢れた。一体いつぶりの涙なのか。強さを求めるようになってから、泣いたことなんてなかった。しわくちゃになった腕章を目に押し当てて、体が落ち着くまで泣いた。


 それから、ひたすら自問自答を繰り返した。掴めなかった感情を、自分自身を、一つひとつ確かめるように。なぜ、強くならなければならなかった? この強さは、何のためだった?

 俺は、何を守っていた?


 考え続けて、やがて意識が途切れ始めた頃、人の気配を感じて、シオンはハッと身を起こした。

 足音と、鉄がかちゃかちゃとぶつかり合う音が聞こえる。それが大きくなるにつれて、ぼんやりとした明かりが近づいてきた。


「おい、起きてるか。魔物狩り」


 蝋燭の明かりと鍵を持ったシルヴァが、格子の前に現れた。腫れている目を見られないように、さりげなく顔を逸らす。


「……何だよ、もう朝か?」「いや、まだ夜明け前だ」


 シルヴァは幾つも連なった鍵を明かりで照らしながら話す。


「……魔物を狩るのは、魔物狩りの仕事だ。だが街の中に魔物が出た時は、警察にも連絡が入るようになっている。街の住人の安全確保が必要だからな」


 そんな事は、わざわざ説明されるまでもなく知っている。鼻で笑って、シオンは起こした身体を再び壁につけた。


「……で? まさか魔物が出たから俺に働けって言うんじゃねえだろうな」


「さっき、ダズという男が警察に飛び込んできた」


「ダズが? ……わざわざ警察に?」「あぁ、街の外で魔物が出たそうだ」


 警察への連絡など、わざわざ出向かなくとも共鳴石で済むはずだ。その石を使えば、警察を含め持っている者全員に声が伝わり連絡ができる。しかも、街の外で魔物が出たのなら、そもそも警察に連絡をする必要がない。

 ようやく鍵を見つけたシルヴァが、鍵穴に鍵を差し込んだ。


「どうしても、お前にだけ伝えたかったんだろう」


 ガチャン、と言う音が響いて、牢の扉が開く。


「その魔物は、オレンジのワンピースを着ていたそうだ」

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