第31話

 人間に恋をしたなんて家族に言えるわけもなく、獣王国では、プリマはいつも通りに日々を過ごした。

 自分の容姿に少し自信が持てたところで、集落の者たちの態度が変わる訳ではない。だが、シオンに会えるという期待は、確実にプリマの心の支えになった。


 組合の親切なおじさんは、プリマの話に応えて、店の位置をあの水汲み場の近くにしてくれた。そして店を開くたびに、シオンは「よう、オオカミ」と言ってプリマのもとへ様子を見にきてくれた。さらには、傷によく効く薬草を買ってくれたりもした。周りの人間は相変わらず冷たかったが、シオンに会えるだけで、その日は母国にいる時間よりもずっと幸せだった。


 だが秋が深まり、山や森が茶色に変わっていくにつれて、プリマの心は苦しくなっていった。

 冬になれば、山は雪で閉ざされてしまい、獣王国から外へ出ることができなくなってしまう。山の冬は、長くて厳しい。雪が降り始めてから雪解けが始まるまでの半年近い時間、シオンに会うことができなくなってしまうのだ。

 だが、シオンへの想いは募る一方だ。相談できる人もおらず、もう一人ではとても抱えきれないほどに、気持ちは膨らんでいる。

 5回目の出稼ぎの日。多分、これが今年最後の商売になる。


 想いを伝えたら、一体どうなるんだろう。想いを伝えたところで、獣人と人間がどうなれるというのか。彼はきっと困ってしまう。それどころか、嫌われてしまうかもしれない。


 それでも、シオンならきっと、分かってくれる。捨て切れなかったそんな期待が、心の隅の方に張り付いていた。

 商売を終えた夕暮れ、プリマは初めて自らシオンのもとへ出向いた。シオンは水汲み場にいて、ベンチに腰掛けて休んでいるところだった。


「あ、あの、シオンさん」


「よお、どうした?」

 

 いつもと変わらない笑顔に、プリマは怯む。この笑顔が次の言葉で歪んでしまったら。そう思うと怖くてたまらない。

 でももう、後戻りはできなかった。


「その……今日が、今年最後の商売になります。来月にはきっと雪が降るから、山から降りられなくなってしまうの。でも……私」


 あなたのことが、好きになってしまった。


 そう言葉を繋ごうとした時、魔物狩りの仲間が現れた。


「おいシオン、仕事だぜ。……って、お前まーた獣人と一緒にいるのかよ」


 シオンは立ち上がる。「何だよ、いいだろ? 別に」

「よくねえよ」


 仲間の男は、プリマを睨みながら言った。


「お前なぁ、魔物狩りが獣人なんかと一緒いたら、どう思われるか考えたら分かるだろぉ? だってこいつら魔物の生まれ変わりなんだぜ? お前は今伸び盛りで大事な時期なんだから、そんなんで評判落としてる場合じゃねえんだよ。ほら、あっち行けよオオカミ! 何の用があるのか知らねえが、つきまとわれちゃ迷惑だ!」


「おい、そんな言い方ねえだろ。だいたいそんなんで俺の評判が下がるかよ」

 そう仲間を宥めたあとで、シオンはプリマに向き直る。「悪いな、仕事入っちまったから、行かねえと。こいつの言ったことは気にすんなよ」


 じゃ、またな、と言って、変わらない笑顔のまま、シオンはプリマの元を離れた。


 彼らの後ろ姿が消えても、しばらく体を動かすことが出来なかった。苦しくなるまで、呼吸をしていなかったことにも気づかなかった。


 そう。考えれば分かることだった。例えシオンが自分を受け入れてくれたとしても、周りの人間はそうじゃない。


(彼に迷惑をかけてしまう)


 いるだけで、営業妨害。そうだった。私はなんて身勝手なことをしようとしたんだろう。

 冬の香りの混じった風が、冷たくプリマの体を通り抜けていく。

 自分の幸せを願うことすら許されないのだと、そう分かったら、前が見えないほど涙が溢れた。


 それからあの老婆とどうやって出会ったのかは、はっきりと覚えていない。

 迷いなど、なかった。だってこの日にあの老婆と出会えたことは、運命としか思えなかったから。

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