第30話

 連れてこられたのは、共同の水汲み場だった。獣人が使ってもいいものか躊躇われたが、木桶に水をすくって、なるべく目立たないように壁を向いて顔を洗った。

 桶をよくすすいでから元の場所に戻すと、シオンに礼を言いに行く。


「あの、本当にありがとうございました」


「いいって。ああいう奴見てるとムカつくんだよ。強くもねえくせに、弱いやつに威張り散らしやがってさ。……そうだ、今度からはこの近くに配置してもらえよ。俺、この裏によくいるからさ。何かあったら、いつでも来いよ」


 シオンが親指で背後の塀を指す。目をやるのと同時に、プリマの耳がピクリと動いた。塀の裏へ続く入り口から、何やら金属が激しくぶつかるような音が聞こえてくる。


「魔物狩り。魔物から人を守るのが俺たちの仕事。ま、市の日は商人も誰も街の外になんて出て行かねえからな、仕事がねえんだよ。だからみんなここで稽古して暇を潰してる」


「すごい……。魔物と戦えるなんて、強いんですね」


 照れ臭そうに笑って、シオンは腰につけていた魔物狩りの腕章をちらっとプリマに見せた。


「へへっ、これつけて歩いてるとさ、みんなビビって逃げちまうんだ。さっきみたいな時便利なんだよな」


 それがシオンの父親の形見だと知ったのは、彼と一緒に生活をするようになってからの話だ。自分の腕章は使わずに、いつもそのボロボロになった父親の腕章を、非番だろうが身につけていた。


「……そういやお前変わった模様してるよな。獣人ってのはオオカミなんだろ?」


 そう言われた瞬間、プリマはカッと赤くなって、慌てて自分の両腕を隠した。さっき顔を洗った時に、袖を捲ったままにしてしまっていたのだ。


「こ、これは、その……生まれつきなんです。生まれつき、こんな変な模様で……」


 あぁ、どうしよう。せっかく話ができたのに。この人に嫌われたくない。

 自分の両腕をつねるようにぎゅっと抱いて、顔を伏せたままで、プリマはシオンの言葉を待った。


「かっこいーじゃん」


「えぇ?」


 思わず間の抜けた声が出て、プリマは顔を上げた。シオンは、無邪気な顔で首を軽くかしげる。


「何で隠すんだ? 綺麗じゃん。ヒョウみたいでさ」「き、きき、きれい?」

 綺麗だなんて、両親にだって言われたことは一度もない。嬉しいはずなのに、どんな気持ちになったら良いのか、プリマには分からなかった。だって、綺麗だなんてあり得ない。


「そそ、そんな、そんな訳ないです! この不気味な模様のせいで、どれだけ私が嫌われてきたか! 家族はみんな茶色一色なのに、私だけは何回生え変わったって絶対この模様になっちゃうんですよ。嫌で嫌でたまらないんです。私だって、みんなと同じ色に生まれたかったのに!」


 そもそも人間は、獣人がどんな模様をしていようが気にしないだろう。彼らにとっては、獣人かどうか、それだけが問題なのだから。分かっていてたはずなのに、思わず早口で詰め寄ってしまった。驚いて固まっているシオンを見て、また顔を伏せる。


「ご、ごめんなさい。私、つい、びっくりして」


 ところが、シオンは吹き出して、笑った。


「びっくりしたのはこっちだよ。何でそんなに怒るんだよ。つーか、急に違う色の毛が生えてきたらビビるだろ。獣人もつまんねー事気にするんだな」


 シオンは、にっと笑って、もう一度「綺麗だよ」とプリマに言った。


「他の獣人に何言われてんのか知らねえけど。自信持てよな、オオカミ」


 耳と尻尾が、ぺたん、と垂れた。

 骨抜きとは、まさにこの事だ。


(なんて、綺麗に笑うんだろう)


 何も言えないまま固まって彼に見惚れていると、「おーい、シオン」と、塀の向こうから誰かの声が聞こえて、プリマは彼の名前を知った。

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