第29話
「うわ、獣人じゃないか」
そう言って、ハゲ頭のおじいさんは手に取った薬草を、ぽいっと捨てるように荷車に戻した。
「獣人の売るものなんぞ信用できんわ」
あぁ、これで何人目だろう。
商人であるプリマが獣人だとわかった瞬間に、誰もが今のおじいさんと似たような反応を示して去っていく。フードを深く被っても、視界を保とうとすればどうしても鼻先は隠れない。
陳列棚を兼ねた少し大きな荷車が、プリマの商売スペースだった。その両隣からは、簡易ではあるが天幕や屋台をしっかりと構えている商人たちが並び、それぞれの商品について声高に叫んでいる。
予想はしていたが、持ってきた野菜と薬草は、一つも売れない。プリマの荷車の前だけは、人混みが割れて道がはっきりと見えていた。
もともとこれは税の徴収を軽くするためだけの商売活動であって、収入を得ることが第一の目的ではない。集落の者たちも、売り上げなどは全く期待していない。荷車に積まれた商品は故郷での売れ残り。特に野菜は、見た目の良いものはほとんど積んでもらえなかった。別にこの商売は強制ではないのだから行かなくてもいいのだが、プリマの集落は裕福ではないので、仕方がなかった。
故郷に帰っても文句を言われる事はない。ただ出稼ぎに行かなくても済んだ者たちが、胸を撫で下ろしながら「プリマちゃん、お疲れさま」といつもと声色を変えて寄ってくるだけだ。
ありがとう。助かるよ。その貼り付けた笑顔の裏には、次もよろしくね、が透けて見えている。
嫌がらせや嫌味には、慣れているつもりだった。でも、種族が違う者たち、しかも獣人に対してはっきりと嫌悪を抱いている者たちの中で商売をするのは、さすがに堪えるものがあった。謂れのない種族の差別をたった一人で背負わされるのだ。悲しみや怒りよりも、何をされるか分からない恐怖が一番大きかった。
とにかく、1日を早く終えたかった。人出が一番多くなるお昼を過ぎたら、店を片付けてしまおう。どうせ売れなくてもいいのだから。そう思っていた。
あと2時間、どう時間を潰そうか考えながら、荷車に入った野菜を整える。
(確かに見た目は良くないけど……味は美味しいのにな)
自分のせいでこの野菜たちは売れないのかと思うと、なんだか申し訳なくなってくる。持って帰っても、大半はもう使えない。
その野菜たちに、ふっと影が落ちた。ハッとしてプリマは顔を上げる。
「いらっしゃ……い」
荷車の前に立っている男は、隣の魚売りの商人だった。太い腕を組んで、プリマを睨んでいる。客としてきている訳ではないことは明らかだった。
「なあオオカミさんよ、別のとこでやってくんねえか」
「え?」
「獣人が近くにいちゃあこっちの商売に関わるんだよ! 客が寄りづらいだろうが。ケモノ臭くてかなわねえよ。だいたい商売する気もねえんだろ? そんなショボい商売道具でよ。ほら、さっさとどかせどかせ」
そう言うと、魚売りは地面に置いていたプリマの荷物を、乱暴に荷車に乗せた。商品が下敷きになってもお構いなしだ。それから車輪の留め具を外し始める。
「あ、あの、ちょっと待ってください。場所は私が勝手に決められないし、他の場所に移動したらダメだって組合の人が……」
商売のスペースは、許可証をもらう時に組合の者が決めるのだ。それを無視すれば、違反となって商売できなくなってしまう。
「知らねえよ、営業妨害してるやつが何言ってんだ。嫌ならさっさと片付けちまいな」
「そんな……」
車輪がギイギイと金切り声を上げて回る。周りの客はチラチラとこちらを見ているだけで、誰も助けてはくれない。笑みを浮かべている者すらいる。
ただ涙をこらえて、立ち尽くすことしかできなかった。
いるだけで、営業妨害。どこにいても同じだ。いるだけで、プリマは周りの空気を悪くしてしまう。みんなが、冷たくなってしまう。
目元を隠すようにフードを深くかぶり直して、仕方なくプリマは荷車が運ばれていく方へ歩き出そうとした。
すると、車輪の音が止まった。
「やめろよ」
少しだけ顔を上げれば、魚売りの行く先を阻むように、彼が立っていた。
「さっきから聞いてりゃあ意味わかんねーこと言いやがって。営業妨害はどっちだよ。だいたいアンタの売ってる魚の方がよっぽど臭えっつーの」
一見頼りなさそうな、細身で、小柄な身体。だらっと着崩した麻のシャツの裾からは、腰に下げた魔物狩りの腕章が覗いている。
「な、なんだとぉ!? ええい、邪魔なんだよ。ガキは引っ込んでろ!」
さらりと落ちる髪は、獣人の王族と同じ、白銀の色。綺麗に整った顔は、まるで女の子のようだ。
だが、彼――シオンの絶対に折れることのない強い眼差しは、見た者を怯ませるほどの威力がある。
「返せよ、それ」
空気がビリっと張り詰めて、魚売りは足を止めた。景色が固まってしまったかのように、一瞬辺りがしんとなった。
「……あ、お、お前、それ、魔物狩りの……」
魔物狩りの腕章を見つけた魚売りが、明らかに顔色を変えた。シオンは腕を組んで、顎をくいっと上げる。「やるか?」
「……………ふ、ふん。俺は忙しいんだ。こんな奴に付き合ってられっか! と、とにかく今日はこの辺に、しといてやるよ」
青い顔をそのままに、何とか台詞と表情だけを取り繕った魚売りは、ぎこちない足取りでプリマの荷車から離れていった。
「つまんねー奴……。おい、大丈夫か? あんな奴の好きにさせんなよ」
そう言って、シオンはプリマの顔を覗き込んだ。
シオンの顔が目に映った瞬間、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
「う、うわ……大丈夫じゃねーなこりゃ。あぁ、怖かったよな。とりあえず、あっちで顔洗えよ。そんなんじゃ商売もできねえだろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます