第26話
「ボク……聞いたことが、あるんです」
トトの声も、体も震えていた。予感が現実になりつつある恐怖に、両手で両腕を抱いた。
「獣人が、人間になれる薬があるって」
世界には、人間が魔物の力を得られる魔薬という恐ろしい薬が出回っていて、騎士団が厳しく取り締まっている。トトは実際に魔薬というものを見たことはないが、その薬を使った人間が最終的に心を亡くした魔物になってしまうというのは、世界各地で問題になっている事実だ。
だがその中に、獣人が人間になれる薬もあるのだと、噂で聞いたことがあった。その時は、そんなのあるわけがないと思って、姉を含めた家族と笑い話にしていたのに。
姉の匂いがする男。その恋人の名前が、プリマ。偶然とは思えない。
静まり返った部屋で、シオンが机の脚を蹴った。
「ふざけた冗談言ってんじゃねえ! じゃあ何だよ、プリマはもともと獣人で、その薬で人間に生まれ変わって俺と一緒にいたってのか? おとぎ話じゃあるまいし」
「ぼ、ボクだって! そんなの、信じたくないけど……そもそも、そんな薬が本当に」
「ある」
シルヴァが、答えを言った。耳と尻尾が、しおれる。
「え……まじ?」
凛々子がエレナを見ると、彼女は目を伏せて喋った。
「……私も、今日知ったのよ。獣人ってこの街ではどうしても目立ってしまうから、誰からも情報が得られないなんておかしいと思ったの。それで今朝ボスに相談したら、そういえば1週間前に逮捕されたおばあさんが、そんな薬を持ってたって話になって……。今日念の為二人に話しておこうとは思ってたんだけど、まさか、本当に……」
「でも逮捕されたって、何で?」
「違法薬物ばかり取り扱ってたんだよ。どこに隠れてたのか知らないが、路地裏で露店を開いてたところを見つかってな。もちろん、その人間になれるっていう夢のような薬も違法だ。……その薬を使ったお前の姉の行為もな」
「……お姉ちゃん、どうして……」
「おい! さっきから好き勝手言いやがって! まだそうと決まったわけじゃねえだろうが! だいたい俺は獣人なんて……」
そこで、シオンの言葉が止まった。椅子から浮かせていた腰が、ぺたりと戻る。「嘘だろ……、まさか、なん……で」
「心当たりがあるようね」
「でも、名前は………。そう、か。俺、知らなかったのか、アイツの、オオカミの、名前……」
シオンは、呟くように言葉をこぼした。目はしっかりと見開かれたのに、誰とも目が合わなくなった。
「プリマさんと付き合ったのは、いつから?」「2年くらい前……だったと思う」
「ちょうどプリマさんがいなくなったあたりね。どうりで、見つからないわけだわ。獣人だと思っていたプリマさんは、ずっと人間の姿をしていたんだもの……」
姉は、この男のために獣人であることを捨てたというのか。理解ができなくて、苦しい。姉の今の姿を想像しようとして、トトはある重大な問題に気付いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。その薬を売っていたおばあさんは、今どこに!?」
「人体を変化させる危険な薬は魔薬と同じ扱いだからな。警察が捕まえた後は、すぐに騎士団に引き渡す。お前がここに来る前の話だったからな……残念だが、もう会うことは叶わないだろう」
「そんな……ボクの記憶が正しければ、その薬の効果は、永遠じゃない。一年だったか、半年だったか……とにかく、定期的に摂取しないと元の体に戻ってしまう。それに、その薬の値段は確か……」
銀貨、一枚。
力なく膝が折れて、床についた。頭が痛い。全身の血の気が引いて、喉がカラカラに乾き始めた。
「買おうとしたんだ、お姉ちゃんは。その銀貨を使って薬を……人間であり続けるために」
「で、でもさ! そのおばーちゃんが逮捕されたのって1週間前なんでしょ? じゃあ今プリマは薬を買えてないってこと?」
凛々子が言い終わるや否や、トトはシオンに掴みかかった。泣きじゃくりながら、喚くように怒鳴る。
「お前のせいで、お姉ちゃんは……。薬が切れて、体が変わる時の痛みがどんなものか! そんな安全の保証されてない薬で、もしかしたら、もしかしたら今頃……っ」
「し……、知るかよ。俺にどうしろって言うんだ。俺に何ができたって言うんだよ」
何も、言い返せなかった。シオンが姉に人間になるように強要したわけではない事は、彼の今までの反応を見ればわかる事だ。
姉は、自分の意思で人間になった。
とにかく今は、姉を探さなければ。トトは一人、部屋を飛び出した。
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