第24話

 男はなかなかの足の速さだった。だが喧嘩で体力を消耗しているせいか、時折よろめいたり、足を縺れさせたりしている。だからすぐに追いつけるかと思ったのだが、道の脇に置いてある露天の荷をぶちまけたり、ひっくり返したりされるおかげでトトたちの進路が散らかって、思うように進めなかった。それでもトトはそれらを躱しながら懸命に食らいつく。11歳といえど、身体能力は人間には負けないつもりだった。


 凛々子も何とか走り続けたのだが、トトとの差は開いていった。トトは構わず走り続けたが、そのトトを追い越すように、凛々子の叫び声が飛んでくる。


「誰かあー! そのイケメン捕まえてーっ!!」


 イケメン、というものの意味はよく分からなかったけれど、通りを歩く多くの人が、何事かと振り返った。男はその通行人たちをも乱暴に押しのけながら、なおも走る。


 だが突然、男が地面に倒れた。


 通行人の一人が、彼の足を引っ掛けたのだ。そのまま片腕を背中の後ろに捻りあげられ、さらに背中を膝で押さえつけられている。何が起こったのか分からないほど、鮮やかな手さばきだった。


「ってぇ……くそ!」


 たまたま行動力のある強い通行人がいたことに感謝しながら、トトは男の元に駆け寄っていった。が、その通行人の正体を知って立ち止まる。


「エレナ!?」


 トトの方を見たエレナは、男を押さえたままにっこりと微笑んだ。

 あの優しいエレナが……、と驚愕していると、追いついた凛々子が横を通り過ぎた。はっとしてトトも慌ててエレナの元へ駆け寄る。


「ボルト家のご主人から通報があったの。二人とも喧嘩の現場にいたのね。おかげで仕事がはかどっちゃった」


「お姉ちゃんを、プリマを知っているんですか!? お姉ちゃんは、生きてるの!?」


 男に向かって必死に尋ねるトトを見て、エレナは驚いた。凛々子が興奮しながら説明する。「違うのエレナ、こいつ、プリマって名前を聞いたら逃げ出したんだよ」


「し、知らねえよ。アイツとはもう終わったんだ! 俺は何もしてねえ!」


 終わった。


 その意味を、3人は考えた。少しの間、誰も反応できずにいると、凛々子がつぶやくように口を開いた。


「え……、終わったって、何? あんたプリマのカレシだったわけ……?」


 凛々子とエレナもまだぽかんとしていたが、一番衝撃を受けたのは他でもない、トトだった。「お姉ちゃんが、人間と、付き、合う」


「はぁ? 人間とって何だよ。そりゃそうだろ」


 言いながら、シオンは地面に固定された顔を、何とかトトの方に向けた。


「……待てよ、さっきからお姉ちゃんって、まさかお前の……?」


「だからそーだってば! この子のお姉ちゃんが行方不明だって言うから、今探してんの!」


「ば、馬鹿言うんじゃねえ! だったら人違いだ! 俺の知ってるプリマは人間だ。しかも何日か前に追い出してんだよ! もう何の関係もねえ!」


「そんな……じゃあ、このお姉ちゃんの匂いは?」


 頭が混乱している。プリマという名前の獣人と人間がそれぞれ存在するというのか。結局のところ、姉は生きているのか? だが、この男からは確かに姉の匂いがするのだ。匂いが、姉の記憶を呼び覚まし、確かに胸にまで痛みが走ったのだ。トトの頭に優しく手を置いて笑った、姉の記憶。

 その時、ある記憶が一緒に蘇って、トトの心臓が大きく脈打った。


「とにかく俺は、獣人となんて付き合った覚えはねえ!」

「だったら、なぜ警察がプリマさんの捜索をしていると知って逃げたんです?」


 エレナの厳しい視線に、男は口ごもる。「あ、いや、それは……」


「何か隠してますね。署までご同行願います」


 エレナは男を立ち上がらせると、警察署へ向かって歩き出した。だがトトは、その場で固まったまま動かない。


「トト、大丈夫?」


 凛々子に声をかけられても、しばらくそのままでいた。それからいつ立ち上がって、どうやって署に戻ったのか、覚えていない。


 姉は、いつも言っていたではないか。姿を変えられる魔法があったらいいのにと。

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