第22話

「ねぇ凛々子、あれ大丈夫かな」


 本日のプリマ捜索を終えようとしていた時、遠くの方で木が砕けたような衝撃音を、トトの耳は敏感に察知していた。「あっちの方……なんだか騒がしいよ」

 凛々子はトトが指差した方に目を向ける。


「んんー? ほんとだ、なんか人だかりが出来てるね。何だろ」


 二人はその人だかりの方へ歩き出した。近づくにつれ、野次や罵声、歓声など様々な声が聞こえてくる。するとその人だかりを割って、二人の男が倒れ込むのが見えた。その上から更に、エプロンをつけたガタイの良い親父が喚きながら殴りかかる。


「げ。あれって喧嘩じゃね?」


 日に焼けて黒光りしている岩のような大男と、それとは対照的にひょろりとしたもやし体系の男。どうやら喧嘩はこの二人がメインで、エプロンをつけた親父はおそらく店を台無しにされた店主だろう。辺りに色とりどりのフルーツが散らばっている。仲裁に入っているというよりは、怒り狂って我を忘れているように見えた。


「やばいじゃん、止めに行かなきゃ……!」


「うん、そうだね……って、えっ!? 待って、一人で行くの? 危ないよ、凛々子!」


 トトが止めるのも聞かず、凛々子はさっさと走り出してしまった。確かに騒動を止めるのは警察の仕事なのだろう。でも凛々子に任せられる仕事は、今回のような人探しや聞き込みの捜査が基本で、武器などは持ったことがないと言っていた。「話せばわかる、大体は」をモットーに仕事をしているらしく、武術の心得も何一つないそうだ。そもそもなぜそんな人が警察にいるのかはトトには分からないが、とにかく、殴り合いをしている男は、トトや凛々子なんて簡単に捻り潰せそうな程大きな体をしているのだ。もう一人の男はそうでもないが、そんな見るからに強そうな男と対等にやりあっているのだから、相当強いのだろう。フルーツ屋の店主はともかく、いくら警察という肩書きを持っているからとは言え、凛々子一人でなんとか出来るとは到底思えない。


 応援を呼ぶべきだ。だが今から署に行ったところで間に合わない。頭を抱えて少し足踏みしてから、トトは凛々子の後を急いで追った。


「はいはーい! ケーサツでーす! ケーサツなんですけどー!!」


 喧嘩を囲むように集まった野次馬たちの間を抜けながら、凛々子はポケットから警官バッチを取り出して掲げる。

 一部の野次馬は少し黙ったものの、娯楽に飢えた見物客の熱狂は収まらない。喧嘩の当事者たちも、凛々子のことなどまるで気づいていない様子だ。


「喧嘩とかダサいと思いまーす! やめてくださーい! っておい、ちょっと! めっちゃ無視するじゃん! 聞ーてよ! ケーサツなんだってば!!」


 ようやく野次馬の間に入ることができたトトは、ゾッとした。喧嘩している3人ときたら、血まみれだ。顔を殴られ、歯を折られ、散らばった尖った木片を武器にして、体にも傷がたくさんついている。遠目で見るよりも酷い有様だった。そしてその野次馬で出来た輪の中に、凛々子が一人で入ってしまっている事が、一番恐ろしかった。闘牛場に一人丸腰で放り込まれてしまったかのような、目を覆いたくなる状況だ。それでも凛々子は、必死に呼びかける。さすがに手を出す事はしないようだが、なんと怖いもの知らずなのか。


 大男に馬乗りになっていたもやし男が、ようやく凛々子に気づいて振り返った。


「んだよさっきから……」


 男の目が、ぎらりと凛々子を睨んでいる。興奮で我を忘れた闘牛が標的を変え、突進していく様がトトの頭に浮かんだ。


(凛々子……!)


 トトは思わず凛々子の元へ走り出していた。この男が、凛々子を傷つけたらどうしよう。誰かが傷つけられるのを黙って見ているのは、もう嫌だ。


(守らなくちゃ、僕が!)


 全ての景色がゆっくりと動き出した。まるで時間が歪んでいるようだ。トトの耳に、雑音が一切入らなくなる。

 もやし男が、凛々子めがけて走り出す。トトがその間に割って入り、正義のヒーローのように、もやし男に体当たりする。凛々子は、トトの勇気ある行動で守られた。閉ざされていた聴覚が復活すれば、観客たちの喝采の拍手が響き渡っている。


 ……そんな事は、起こらなかった。

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