第12話
「一体、何が……」
トトが語り終えてから、エレナは腕を組んで考え込んだ。市場が始まってから、何か事件に巻き込まれてしまったのだろうか。でも、目撃者もなく、表立ったものではない。数日経ってから荷車が消えたのも不思議だ。なぜ、消えた荷車が森で見つかったのか。それを移動させたのは、誰なのか。
「分かりません。でも、お姉ちゃんは、サウストを出ていない。もしかしたら、まだ、生きてサウストにいるかもしれない。だって、確かに遺体が見つかったわけではないんだ! あの時は、体は魔物に食べられてしまっていて、しかもすぐに雪が降り始めてしまったから、遺体も痕跡も消えてしまったんだとばかり思っていた。でも実際は魔物には襲われていないのかもしれない。もしサウストで何かあって、その……命を落とすような事があったとしても、何か連絡があるはずでしょう。組合のおじさんたちも探してくれていたわけだし」
トトはすっかり興奮し、そのおかげでまた早口で喋った。だが、トトが抱き始めた希望とは裏腹に、エレナの表情は曇っていた。
「つまりお姉さんは、2年間誰にも見つかっていないということよね」
「は、はい……そうですが……」
エレナに痛いところを突かれたトトは、水をかけられたようにしゅんとなってしまった。耳が、左右に倒れる。
この街に住む獣人の数は、確か20人にも満たなかったはずだ。それに彼らは、よく目立つ。ここでまともに生活を送っている獣人であればエレナはほとんど把握していたし、印象的な獣人という存在は、一度見たらなかなか忘れないものだ。市場にエレナが出向くことは滅多になかったので、実際商売をしているところを見たことはない。だが、プリマがいなくなったというここ2年の間で、獣人の女性を見たことなどあっただろうか。
犯罪に巻き込まれている可能性は十分にある。トトは遺体が見つかってない、と言ったが――もし犯人の目的が、獣人の毛皮だったなら。プリマという遺体が見つからなくても不思議ではない。そしてその犯人が、魔物に襲われたと見せかけるために、荷車を山に捨てたのだ。
(でも、毛皮を剥ぐような人たちと言えば、スラムの犯罪組織くらいよね。いつも軽い気持ちで罪を犯す人たちが、わざわざ荷車を捨てにいくなんて工作、するかしら)
いずれにせよ、生きたプリマに会える可能性は、低いのではないか。
つい考え込んでしまった事に気づいて、ハッと目をあげると、トトの潤んだ瞳が、真っ直ぐにエレナを見ている。エレナは怯んだ。
この国には毛皮を剥ぐ人たちがいてね、なんて言えるはずがない。かと言ってお姉ちゃんはきっと生きているよ、と希望を抱かせるのも違う気がする。この捜査の結果が、トトの心をより暗くしてしまうのではないか。それが、より人間と獣人の間の溝を深めてしまうものだったら。心に発生した雲が、今にも雨を降らせそうなほど膨らんでいく。次々に悪い想像で雲を育ててしまうのは、エレナの悪い癖だった。
エレナは首を振り、一つ息をついて心の雲を散らす。それから、シルヴァの言葉を思い出した。
『警察の仕事は、捜査が終わるまでだ。その後のことまでお前が気負う必要はない』
最初は、冷たい言葉だと思った。だけど、実際警察にできるのはそこまでで、結局それに最善を尽くすことが、何より被害者のためになることをエレナは学んでいた。
事件の外にある余計な心配に囚われそうになった時は、いつもこの言葉に救われる。
トトもそんな小さな可能性に賭けてここまでやって来てくれたのだ。もしプリマが事件に巻き込まれ、誰かに襲われたのだとすれば、その犯人を捕まえるまで。
(それにまだ、そうと決まったわけじゃない)
エレナが知らないだけで、プリマという獣人がこの街のどこかで暮らしている可能性だってある。何か事件に巻き込まれていたとしても、命を落としているとは限らない。
「……うん、分かった。さっそく明日から捜査を始めていくね」
トトの表情が明るくなったのと同時に、耳がピンと上がったので、エレナも微笑んだ。
するとその時、ノックもなく、応接室の扉が勢いよく開いた。
トトは、しまった、と思っただろう。フードを被るよりも先に、反射的に開いた扉の方を見てしまったのだから。
「ねえエレナー。ちょっと探したい人がいるからさ、明日シロ……」
おかげで凛々子とトトは、バッチリと目があってしまった。「か……」
「かわいい~!!! 何コレ!! 超かわいいんだけど! 服着てるうやばいかわいい!」
「ちょっとリリちゃん……」
エレナは顔を引きつらせながら額を押さえた。凛々子にプライバシーなど通用しないのだ。わかっていたのに鍵を掛けなかった事を後悔した。間に入ってやる隙もなく、凛々子は目を輝かせてエレナの反対側、トトの隣に遠慮なく座り、困惑する彼の頰を両手で包んでむにむにと触り始める。トトはかわいそうにすっかり怯えてしまって、言葉にならないようだ。
「ねえキミが獣人ってやつ? 凛々子ずーっと会ってみたかったんだ~、凛々子の世界にそんなのいなかったからさあ! あー写メ撮りてー!」
「ご、ごめんね、その子も一応警察の子だからね……」
「おい凛々子、やめてやれ」
応接室に入ってきた凛々子を追って、シルヴァも入ってきた。止めようとするシルヴァに対しても、凛々子は興奮しながら矢継ぎ早に獣人について質問をしている。
プライバシーが皆無になってしまったこの状態を、トトには申し訳なく思ったが、二人が入ってきてちょっと安心してしまった。エレナ自身、トトの扱いに気を遣うあまり、少し緊張していたのだろう。情けないな、と思う反面、自然と頰がほころんでしまう。この二人は、差別や偏見とは無縁だ。
「なるほど獣人だった訳か……。このまま話を聞くぞ」
「はい」
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