第8話
プリマが消えた日の夜、警察署には訪問者が来ていた。
羽織ったマントのフードを目深にかぶり、口元も布で覆っていて顔はほとんど見えない。というより、露出をした部分がほぼなく、性別さえ判然としない。確かに夏も終わりに近づき、夜は少し冷えるようになってはきたが、サイズの大きなズボンにブーツ、手袋までするのはいくら何でも季節に不釣り合いだ。まず警察署に来る格好として間違っているような気もしたが、その背丈はエレナの胸の辺りまでしかなかった。まだ子供だ。ドアをノックしただけで、エレナが出ても何も言えないでいる。
何か特別な事情を感じたエレナは、「おいで」と言ってその子を警察署の中へ入れたのだった。
「いーや。あれは男だね、なんかあったんだよ、絶対。自分から盗みなんてしようとするタイプじゃないよ」
「何でそう言い切れるんだ」
「女の勘」
「だから……。お前の適当な勘で五枚も銀貨を抜かれたこっちの身にもなってみろ」
「適当じゃねーし! だって凛々子の勘はいつも当たるじゃん! だってあの子可愛かったもん。あれは男を意識した可愛さだったもん。それにね、首筋にエグめのキスマーク、見ちゃったんだー。男がいるのは、確実でしょ? でも凛々子、大失敗したんだよねー。名前聞くの忘れちゃった。一生のフカクだわ」
いつものように口論している同僚の隣を抜けて、エレナは応接用の部屋へ子供を通した。シルヴァが明らかに子供を気にした事をエレナは肌で感じたが、なるべく見ないようにして、部屋へ入る。この子は人目を気にしている。シルヴァには後で報告するとして、まずは話しやすい環境を作るべきだと判断した。
部屋の明かりを灯してから、エレナは子供をソファに座らせた。机を挟んだ向かいのソファにエレナも腰掛ける。
「私は、エレナ。まず君の名前を教えてくれるかな」
子供は黙って動かない。
「……ええーと、じゃあ、話せることからでいいよ。何か、困ったことがあるのよね」
それでも子供は黙ったままだ。お行儀よく膝の上に乗せた拳を、ぎゅっと握りしめている。表情が見えないせいで、この沈黙が緊張からくるものなのか、ただエレナを試しているのかも分からない。
ニコニコと辛抱強く子供の動きを待つのだが、エレナもそろそろ頰の筋肉が限界だった。やはり何か言わないとダメか、と思ったその時、子供が、被っているフードと布をゆっくりと剥いだ。
現れたのは、突き出た鼻と、大きな口。エレナを上目がちに見る金色の瞳。そして皮膚は全て、明るい茶色の毛に覆われている。
「ボ、ボクは、トト、といいます」
上ずった少年の声で、彼は言った。
エレナは、この服装の意味をようやく理解した。
(獣人……)
人間の体つきに、狼の顔を持った彼らは、そう呼ばれている。
体のつくりは中身までも人間とほとんど変わらない。二足歩行ができ、人間と変わらぬ知能を持ち、言葉も話せる。食生活すら人間と変わらないし、もちろん人間を襲って食したりすることもない。違うのは、全身を狼の体毛で覆われていること、尻尾を持っていること、鋭いツメがあること、それから顔だけは狼の形をしていることだ。
「お、お金は、ちゃんと払って入国しています! 人を襲ったりしません」
かなり緊張しているのだろう。早口に一息で喋って、すぐに顔を下に向けてしまった。この子がたった一人でここに来るまでに、どれだけの勇気を振り絞ったことか。エレナは少し、切なくなった。
「分かってるわ。暑いでしょう、手袋や上着も脱いでいいのよ」
出来るだけ落ち着いた声でそう促したものの、トトはやはりそれ以上は動かなかった。
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