第7話

「さっそく食糧買ってくるよ。あ……ねぇ、シオンも一緒に行こうよ、せっかくのお祭りなんだし、花火見ない?」


 シオンは顔を上げないまま黙る。


 やがて、「いかねえよ」と、曇った声で返された。


 ちょっとだけ、期待していた。この銀貨で機嫌が戻ったら、また一緒に花火を見に行ってくれるのではないかと。


 でも、何となく答えは分かっていた。だから、どうして? とは聞かず、そっか、とだけ答えて、シオンの頭をそっと撫でた。彼は見たくないのだ。不自由なく生活を送り、無邪気な顔で楽しむ者達を。


「誰のおかげで安心して暮らせてたと思っているんだ」と、シオンは事あるごとに言い、人々の笑顔から遠ざかるようになってしまった。そして、自分自身も滅多に笑わなくなった。それでますます彼は酒に溺れ、プリマに依存する。プリマはそんな彼に不安を抱きながらも、彼から確実に注がれるようになった愛を喜んで受け入れた。彼を救えるのは、自分だけなのだと。もちろん、出来ることならば盗みなどしたくはなかったが、シオンが笑ってくれるのならば――あの頃のシオンに戻ってくれるのならば、何だってする。


 プリマが買い物にいこうと立ち上がろうとしても、シオンはなおも彼女の背中から手を離さず、彼女の首筋に唇を当ててきた。


「食いもんも明日でいいだろ」


 でも、と言おうとしたが、その口を彼の唇が塞ぐので、諦めてそれに応えようとした。しかし、背中に回されていた手が腰の位置まで下がった時、反射的に彼の体を自分から離した。


「だ、だめだよ! あ、明日のご飯ない、し……」


 一気に血の気が引いていく。


 彼の手は既に、プリマのワンピースのポケットの中身を捉えていた。薄い布でできたワンピースだ。隠した銀貨の形が、彼に握られてくっきりと姿を現している。迂闊にもほどがある。プリマは自分の愚かさを呪った。


「おい。なんだよ、これ」

「そ、それは……」


 シオンはその五枚目の銀貨を取り出して、プリマの前に晒した。


「お前……さっき四枚って言ったよなあ! どうして隠してんだよ! 俺に黙って、この金で何する気なんだよ。一人で何に使う気だったんだ、言ってみろよ!!」


 シオンはプリマの胸ぐらを掴んで、血走った目で睨んだ。プリマは目を合わせられず、自分を掴むシオンの腕の浮き出た血管を見ていた。


 全部お酒に消えてしまうと思ったから。そう言えばいい。


 だが、本気で怒っているシオンにそんなことは言えなかった。言えば、何をされるか分からない。

 この銀貨一枚が消えてしまったら、プリマはシオンの側にはいられなくなる。

 でも、それを説明する事もできない。嘘に嘘を重ねて、今日は言い訳と謝罪の言葉ばかり考えている。


「ごめんなさい……」


「理由を言えっつってんだ」


 プリマは黙った。シオンも動かなかった。花火が、二人と何もない部屋を、無神経に彩っている。その爆発音が途切れるたびに、人々の笑い声が、風に乗ってよく聞こえた。

 あの笑い声の中に、2年前まではこの二人の声も混ざっていたはずなのに。花火みたいに弾けるあのシオンの笑顔は、今や見る影もない。


「シオン―――」


 悲しくてたまらなくなって、思わず漏らした言葉に、花火の音が重なる。


「な……に? ………聞こえねえよ!」


 苛ついたシオンがプリマの体を揺する。それからは、やっぱり怖くて、何も言えなくなってしまった。


 プリマの頰に涙が流れるだけの時間がしばらく続き、やがて彼は、プリマを乱暴に突き放す。


「出てけよ」


「………え?」


「お前のことなんてもう信用できねえ。お前も俺を信用してねえんだろ? もう終わりだ」


「そんな……待ってよシオン。お願い、またお金は手に入れてくるから。ねえ、お願い!」


「出てけ!」

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