5分だけ透明人間

花 千世子

5分だけ透明人間

 親指と人差し指に、緊張が走る。

 消しゴムをつかうだけで、こんなにドキドキする日が来るだなんて……。

 でも、学校でつかうことに意味がある。

 私は、そう結論を下すと勢いをつけるかのようにノートを消しゴムに滑らせる。

 書いた文字が消えると同時に、私の体も消えた。


 □


 この魔法の消しゴムを手に入れたのは、昨日の学校帰りのこと。

 図書館のそばの街路樹が見事に紅葉していて、赤色の葉が太陽に照らされてきれいだった。

「わー、きれー。写真撮ろ」

 そんな会話をしながらスマホで写真を撮っているのは、高校生カップル。

 これでもかってくらいに頬をくっつけて幸せそうに笑っている。

 私はその横を通り過ぎ、大きなため息を1つ。

 私だって16歳の高校1年生だ。

 それなのに彼氏どころか、好きな人もいない。

 だから友だちの恋バナにも入れないのだ。

 友だちは続々と好きな人ができ、彼氏もできた子もいるというのに……。

 このままでは、私は置いてきぼりになりそうだなあ。

 そんなことを考えて歩いていたら、いつの間にかイチョウ並木に着いていた。

 イチョウ並木には、一軒だけポツンと屋台がある。

 食べ物を売っているのかと思ったけれど、屋台には『アクセサリー』と書いてあった。

 なんとなく覗いてみると、ネックレスとかブレスレットとか指輪とか、キラキラした物がたくさん並んでいる。

 ふと、隅のほうにポツンと何かが置いてあった。

 消しゴムだ。

 アクセサリー同様、これもきちんと並んでいるから、商品なのかな?

 でも特殊な消しゴムではなく、ごくごく普通のどこにでも売っているような消しゴムだ。

 すると店のおじさんが声をかけてくる。

「お嬢ちゃん。その消しゴム、気になる?」

「気になると言いますか……」

「それね、魔法の消しゴムだよ!」

 おじさんは豪快に笑ってからこう続ける。

「この消しゴムをつかうとね、つかった人が消えるんだよ!」

「え?」

「あー、消えるって言っても、5分だけだから!」

「消えるって、どういうことですか?」

「そのままの意味だよ」

 おじさんはニカッと笑うと、消しゴムを手に取った。

「今ならこれ、70円でいいよ」

 そう言われて断ろうと思ったが、そういえば消しゴムを買わなければいけなかったのだ。

 そういうわけで、私はその魔法の消しゴムとやらを買った。


「あ~。次は絶対に影山かげやまには使わせないようにしないとなあ」

 家に帰ると、私は自室にこもり、ノートを開く。

 勉強をするのではない。

 趣味で書いている小説のアイデアをメモするのだ。

 お気に入りだった消しゴムは、今日、お亡くなりになった。

 隣の席の影山に『消しゴム忘れたー。貸して』と言われて、半ば強引に奪われ、帰ってきた消しゴムは真っ二つに割れていたのだ。

 お気に入りのフーさんの消しゴムが無惨な姿にした影山は、悪びれもせずにこう言った。

『あー、悪ぃ。俺、握力強いからさー』だとさ!

 知らねえよ!

 ってゆーか、人の消しゴム使う時くらいは加減しろや!

 授業中ということと、消しゴム真っ二つショックでそう叫ぶことができなかった。

 思い出すと怒りで震える。

 ついでに文字も間違えた。

 ノートに書いた文字を消すべく、今日買った消しゴムをつかった。

 すると。

 突然、自分の手が透明になった。

 全身が映る鏡に姿を映してみれば、私の姿は服ごときれいに消えていたのだ。

光莉ひかりー。ナシあるけど、いるー?」

 母がノックもせずに私の部屋のドアを開ける。

「あら、いないわ。お風呂かしら」

 母は目の前に透明になった娘がいるとも知らずに、そう言って部屋を出て行った。

 そして、おじさんの言うとおり、5分で効果が切れ、私は元に戻った。

 私は消しゴムを手に取り、ごくりと唾を飲み込む。

「これ、すごい。本当に魔法の消しゴムだ!」


 □ 

 

 そういうわけで、私はこの消しゴムを学校でも使ってみることにした。

 授業中に透明になっても、誰も驚かない。

 それは、おじさんにも説明されていた。

『この消しゴムのすごいところは、透明になることだけじゃない。透明になっても誰も驚かないところなんだよ』

 つまり、透明になったと周囲から認識されるのではなく、私という人間はもともとその場所にはいなかった。

 たとえば学校で消えてもトイレに行っているとか、保健室に行っているとか、家に帰ったとか。

 周囲はそう解釈するらしいのだ。

 そして5分経過して急に現れても、もともとそこにいたと認識してくれる。

 たった5分だけど、何度も繰り返しつかえば、堂々と居眠りも可能!

 私はノートにごしごしと消しゴムをこすりつけて、ハッとする。

 そして慌てて消しゴムを持つ手の力を弱めた。

 この消しゴムを壊したら、大変なことになるとおじさんに言われているのだ。

 扱いは丁寧に。


「お前さー」

 二時限目の休み時間。

 影山に突然、話しかけられた。

 無視をする私に影山が、さっきより大きめの声で言う。

「おい、無視するなよ」

「私は『お前』じゃありません」 

「じゃ、豚皮」

「誰が豚皮だよ!」

「あっれ~。豚皮じゃなかったかー。あ、そっか星川ほしかわかあ」

 影山はニヤニヤしながらそう言った。

 私は拳をぐーにして、それから思いつく。

 ノートに適当に文字を書き、それを消しゴムで消す。

 すると私の姿は消える。

「あれ、星川、どっか行きやがった」

 そう言う影山の頭を、スパーンと叩いてみる。

「いってえ!」

 影山は頭を抑えて辺りをキョロキョロと見回す。

 しかし、そこには誰もいないわけで。

「おっかしいなあ。確かに誰かに叩かれたよな……」

 不思議そうにする影山を見て、胸がスッキリした。

「まあ、こんな弱っちー叩き方する奴なんか星川くらいだと思ったんだけど」

 影山の言葉に、今度は遠慮なく思いきりげんこつしておいた。

 さすがに影山は「いってえ」と顔をしかめていた。

 あー、すっきりすっきり!



「あれ? 光莉は?」

 放課後、友人がそう言って辺りをキョロキョロと見回す。

 一緒に帰ろうと友人たちが誘ってくれたのに、姿を消したのには理由がある。

 それは、うっかり消しゴムをつかってしまったからだ。

 うーん、この消しゴムをメインにつかうのはマズイなあ。

 こうやって、消えたくない時にも姿が見えなくなっちゃんだから。

 こんな時ばかりは5分って長いんだよね。

 そんなことを考えていると、影山が声をかけてくる。

「なんだ、星川のやつ、帰るのだけは速ぇんだな」

「ちょっと、まさか影山がまたなんか言ったんじゃないの?」と友人。

「何も言ってねーよ」と反論する影山。

 いつも突っかかってくるくせに、『何も言ってない』ってことはないでしょーよ。

 でも、透明になっている時は声も聞こえないので何を言っても無駄なんだけども。

「ってゆかさ~。好きな子イジメるとか小学生男子かよ」

 友人がそう言ってびしっと影山を指さす。

 その言葉の意味が、一瞬わからなかった。      

「べ、別に好きじゃねーよ!」

 そう言った影山の顔は、ピンク色になっていた。

 私が訳がわからず、だけど、このまま5分経過して姿を見せるのはなんだか気まずくて。

 だから、友人たちに申し訳ないけれど先に帰ることにした。

 教室を出る時、ちらりと影山の顔を見る。

 目が合った気がした。


 次の日から、私は影山を観察することにした。

 だって、よくよく考えてみれば影山が私のことを好きだなんて、ありえない。

 いつも意地悪なことしか言わないし、授業中に忘れ物をすれば私の物を奪っていくし、お気に入りの消しゴムは真っ二つにするし。

 そんな奴が私のことを好きなはずない。

 きっと友人の誤解なんだ。

 私はそう考えたからだ。

 だけど、授業中によく見れば、顔は結構イケメン。

 いやいや、何を考えているだ、私。

 休み時間に廊下に出ると、ボールが飛んできた。

 突然のことに私が避けられないでいると、誰かが目の前に立つ。

 影山だった。

 影山はボールを片手でキャッチすると、ボールで遊んでいた男子に言う。

「おい。廊下で遊ぶなアホか」

「あ、悪ぃ」

「どっかのまぬけに当たったらどーすんだよ」

 影山はそう言うと、こちらをちらりと見る。

 まぬけだと?

 別に助けてなんて言ってないけど?

 いつもだったらそんなふうに噛みつきたくなるけれど。

 胸がときめいてしまった。

 うかつ!

「ありがとおおおおおおお」

 私はそう叫んで廊下を走った。

 なんか悔しい!

 だけど、どこまでも走っても瞼の裏に焼き付いた影山の顔は消えてくれない。


「これ、やる」

 その日のお昼休み。

 影山に「ちょっと来い」と廊下の隅に呼び出され、告白? と思ったら……。

 渡されたのは、消しゴムだった。

 しかもフーさんの消しゴム!

「この前は悪かった。本当にごめん。これ、代わりにしてくれ。じゃ」

 早口で言うと、さっさと教室に戻って行った。

 私は小さくなる影山の背中を眺めつつ思う。

 あいつ、いい奴じゃん。

 自然と頬が緩む。

 もらった消しゴムには、まだ影山のぬくもりが残っていた。

 

 五時限目。

 私は心ここにあらずだった。

 影山に告白をされたらどうしよう、あいつが初彼氏になるのかな。

 そんなことばかりを考えていたのだ。

 いやいや、私は別に影山なんかなんとも思ってないし。

 あいつが私を好きだから、意地悪をしてきたんだとしても、私は迷惑してたんだから。

「なあ、消しゴム貸してくんない?」

 影山が小声でそう聞いてきた。

「またー?」

 そう言いながらも、私は消しゴムを貸そうとしていた。

 あの消える消しゴムを。

 やばい、これはやめておこう。

 でも、私が持ってる消しゴムと言えば、影山からもらったフーさんのやつだけ。

 あれは使いたくない。

 フーさんは大事にしたいから。

「なーなー。お前、さっき消しゴム使ってたろー?」

 そう言う影山に、私はふと思う。

 あ、そうか。

 むしろあの消しゴムをつかわせて驚かせてみてもいいかもな。

 別に、この消しゴム、誰にも秘密ってわけじゃないし。

 おもしろいからつかわせてみよう。

 そう思って消しゴムを貸すと、「さんきゅー」と言って影山はノートに消しゴムをつかい出した。

 ごしごしと強くこする手に、消しゴムは耐えられなかったらしい。

「あ」と私が声を出したと同時。

 消しゴムは、真っ二つに割れた。

 そして影山の姿は消えた。

 私はおじさんの言葉を思い出す。

『この消しゴムを消してる途中で壊したり、折ったりしちゃダメだよ』

 おじさんはまじめな顔でこう続けたのだ。

『消しゴムが壊れた時に消えてしまうと、二度と戻れなくなる。つまり、存在が消えてしまうんだ』

 そうだった。

 影山は一度、私の消しゴムを壊した前科がある。

 それなのに、これをつかわせるんじゃなかった!

 時既に遅し。

 影山の姿は、どこにも見えなくなっていた。

 私は立ち上がり、「影山?」と彼の姿を探す。

 しかし、どこにもいない。

「星川さん、授業中ですよ?」

 先生の言葉に、私はこう訴える。

「先生、影山君が!」

「影山? 誰ですか?」

「え?」

「このクラスに影山という生徒はいませんよ」

 先生の言葉に、私は「えっ」と言ったまま動きを止める。

 もしかして……影山の存在ごと、消えてるの?

「そんな……」

 目の前が真っ暗になる。

 授業が再開される。

 待ってよ、影山が消えたのよ。

 授業なんかしてる場合じゃない。

 きっと影山はここにいる。

 見えないけれど、ここにいる。

 私は割れてしまった消しゴムを、テープでくっつけた。

 だけど影山は姿を表さない。

 もうとっくに五分は過ぎている。

 影山……。

 もう二度と会えないの?

 私、影山なら、初めての彼氏でもいいかなって思ったのに。

 なのに、消えちゃうなんて。

 しかも、私のせいで。

 影山の意地悪な笑顔が浮かぶ。

 うそでしょ。

 こんなのってないよ……。

 目から涙がこぼれ落ちる。

「ああ、やっぱり!」

 聞き覚えのある声に、顔を上げれば、おじさんが立っていた。

 屋台のおじさんだ。

 私の目の前に立っているのに、クラスメイトも先生も、おじさんの姿も見えないらしく、こちらを見ている人はいない。

「消しゴムが壊れたんだろ?」  

 おじさんの言葉に私は黙って頷く。

「影山が、影山が……」

「大丈夫。こういう時のために、救済措置を用意してるんだよ」

 おじさんはそう言うと、折れた消しゴムを手の平に乗せる。

 すると、なぜか消しゴムは元に戻った。

「さて、これであと五分で影山君は元に戻るよ」

「本当?」

「ああ。この消しゴム、どうする?」

「それはもう、いりません。ごめんなさい」

「いや、いいんだよ。今度はもっと強度を上げられるように工夫するからね」

 おじさんはそう言うと、煙のように消えた。

 それから私は空になった隣の机を見る。

 五分がやけに長く感じた。

 おじさんのことを信じていないわけじゃない。

 でも、本当に元に戻るのか不安で不安で。

 私は祈るように影山の席を見つめた。

 かえってくるよね?

 うん、大丈夫。

 長い長い五分が経った。

 ぱっと影山が姿を見せた。

 途端に私は、泣き出してしまった。

「全部、見てた」

 影山は笑いながら続ける。

「星川、もしかして俺のこと好きなの?」

「……悪い?」

「奇遇だな、俺もだ」

 そう言って笑い合う私と影山に、先生の怒りのチョークが飛んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

5分だけ透明人間 花 千世子 @hanachoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説