影隠し

湊賀藁友

影隠し

『ねぇ、お喋りしようよ。』

『ねぇ、寂しいよ。』

『ねぇ、苦しいよ。』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ。』

『……ひとりぼっちは嫌だよ、■■■■。』


「っ!」


 がばりと上体を起こして、浅い呼吸を繰り返しながらも辺りを見回す。が、広がっているのは俺の部屋で、当然近くに人なんて誰もいない。

 ……夢、だったのか。


 額から垂れる冷や汗を服の袖で拭って、緩くため息をついた。


 そういえばあの夢の声、どこかで聞いたような────あれ? 

 俺、どんな夢を見てたんだったっけ。


 鮮明だった筈の夢の記憶は一気にぼやけて、いつの間にか俺は『怖い夢を見た』ことしか思い出せなくなっていた。


 けど見た夢が思い出せなくなるなんてよくあることだし、俺は特に気にすることもなく『怖い夢なら忘れられて良かったな』と思いながらまたベッドへと潜り込んだ。


 ──何故か感じた懐かしさを、気のせいだと思いながら。


 ■


「『影隠し』っていう都市伝説、知ってる? 

 夜になると真っ黒い影みたいななにかが現れて、人をぐわーって飲み込んじゃうんだって!」


 教科書やノートを鞄から机に移動させていると、うちの中学では都市伝説オタクで有名な、隣の席の青山あおやま 美希みきが彼女の友人にそんな話をしているのが聞こえてきた。


「ふーん。でも、もしそれが本当なら誰も夜に出歩けないんじゃないの?」


 確かに。


「それがね、『影隠し』されるのは悪い人だけなんだって! 

 だから『影隠し』を題材にした話で酷い目に遭うのは大抵いじめっ子とかブラック企業の偉い人とか、自覚のない悪人とかなんだ! ──って言っても私もお姉ちゃんからちょっと聞いただけだから、今日学校が終わったらもっと詳しく調べるつもりなんだけどね。」


 ぼんやりと『勧善懲悪系の話って最近多いよなぁ。』なんて考えた所で英語の予習をやってきていないことに気付いた俺は、同じクラスの友人にノートを見せてもらうために席から離れるのだった。


 ■


「──くん、──野くん!」


 ……? 誰だ……? 


啓野けいの 飛張とばりくん!!!」


「はっはい!?」


 机に突っ伏していた体を急いで起こすと、目の前には国語の教科担任の先生が立っていた。


 やべっ! 俺授業中に……!? 


 焦って『すみません』と謝ったところで、自分が今いる所が教室ではないことに気が付いた。

 ……あ、そうだ。俺図書室で本を読んでて、途中で飽きてうたた寝してたんだったっけ。


「図書室で寝るのは良くないことだけど、もう6時だから説教してる時間はないわね……。次から気を付けるように。

 さ、早く家に帰りなさい。」


 もう6時!? 

 驚きで一気に覚醒した意識で急いで窓の方を見れば、外はもう既に暗くなり始めていた。


「先生ありがとっ! さよなら!!」


 俺は慌てて荷物を抱えて図書室から出た。……あれ、下駄箱の方いてるかな。


 ■


 下駄箱がちゃんと開いていることに安堵しながらスリッパから靴へと履き替えて校門から出て、先程は辛うじて出ていた太陽が完全に隠れてしまっていることに気付いた。


 ──早く帰らないと。


 部活動に参加していた生徒達ももうとっくに帰っているのだろう、閑散とした通学路を一人早足で歩いていると、ふと後ろから聞こえる不自然な足音に気が付いた。


 普通の足音ならば、きっと俺は後ろを誰か歩いているんだろうと考えるだけだっただろう。

 しかし、そうではないのだ。

 だって後ろから聞こえる音はまるで、裸足の人間のような足音だったから。



 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ。


 ひた、ひた、ひた、ひた、ひた。


 俺の足音とほぼ同時に聞こえるその音は、ほぼ同時に聞こえるからこそその異様さをより明瞭に感じ取らせてくる。


 なんなんだ。これは、一体。


 こつこつこつこつこつこつ。


 背筋を走る寒気を感じながら、少し足を早める。


 ひたひたひたひたひたひた。


 後ろを歩く音も、同じように早まる。


 そんな時ふと、昼間聞いたあの『影隠し』の話を思い出した。


 ──夜になると真っ黒い何かが現れて、人をぐわーって飲み込んじゃうんだって! ──


 まさか、そんなわけない。

 そんな思考が頭をよぎるが、確認してみたいことにはどうしたって安心できそうにない。


 すうと息を吸い、意を決して振り返った直後、俺は目の前にいたそれに目を見開いた。



「…………え?」



 俺から少し離れたそこにいたのは、日が落ちた暗い世界でも認識出来るほど黒く、人のような形をした、それでいて人ではない、“ナニカ”だったのだ。


「──う、うわぁあああぁぁぁぁ!!!!!」


 逃げなければ、逃げなければ、逃げなければ! 


「マッ、テ。マッテ。

 マッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテ待ッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテ待ッテマッテマッテ待ッテ待ッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテ待ッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテマッテ待ッテマッテマッテマッテマッテェェエエェエエェェェェエエエ!!!!!」


 焦りで満たされた頭で必死に走るが、背後の足音も俺が走ると同時に走り出す。


「助けて、誰かっ、誰か!!!!!」


 ひたひたひたひたひたひたひたひたびたびたびたびたびだびだびだびだびだ!!!!!


 近づいてくる足音を避けるように横道に逸れて逃げれば、どうやら“あれ”はまっすぐ走るのが得意で曲がるのはあまり得意ではないと気が付いた。


 曲がり角を駆使しながら逃げれば、家まで逃げられるかもしれない! 


 そんな希望を胸に、俺はどう走れば家まで辿り着けるか必死に考えながら走った。


 ■


「はっ、はっ、はっ……着い、た……」


 時間にすれば数分の筈だけど、何時間にも感じたな……。


 何度か曲がり角を曲がった所で撒けたのか、今背後にはあの黒いナニカはいない。


 出来るだけ落ち着くことを意識しながら鍵を差し込みひねれば、カチャリと鍵が開いた音がした。


 それに若干安心してさっさと家に入ろうとドアノブをひねった瞬間、俺は気付いてしまった。



 ──ドアノブが、動かないのだ。



 鍵は確かに開けた、開けたのに。なのに。


「なんで……!」


「あ、レぇ? まダ思ィ出せなイノ?」


「……え?」


 聞こえた声に震えながら振り向くと、そこに立っていたのは、確かに

 しかもただの影ではない。

 俺と全く同じ身長で、同じ体型で────いや、違う。これは、これは、


「────あ、そっか。

 俺…………ちょっと、人間になりきりすぎちゃったなぁ。」


「おカえリ、ご主人様!」


「うん、ごめんなぁ。」


 はー、うっかりうっかり。


 ■


「『影隠し』って、知ってる?」


 教科書やノートを鞄から机に移動させていると、うちの屈指のオカルトマニアとして名を馳せている、後ろの席の青山あおやま 咲希さきが彼女の友人にそんな話をしているのが聞こえてきた。


「夜になると影が現れて、悪人を食べちゃうっていう一見ありきたりな都市伝説なんだけど、この話の面白いところは、影に本体がいるって所なんだ。

 影が悪人を食べて、そのエネルギーで本体は生きてるんだって。普段は人に化けたり人を化かしたりして遊んでるっていうのが都市伝説通りの話なんだけど、悪人を食べるってだけあって意外と人間好きなのかもね。」


咲希さきちゃん、本当にそういう話好きだよね~、流石オカ研部長! 私は怖くて調べようとも思えないよ……聞く分には良いんだけどね……」


「ふふ、大丈夫。妹をもオカルトマニアにした実績のある私がしっかりクラスの皆まとめてオカルトマニアにしてあげるから! 怖さすらクセになるはずよ! 

 ……あ! 景野かげのくんはこの都市伝説についてどう思う!?」


「え、俺ぇ? …………うーん、そうだなぁ。

 強いて言うなら、悪人を食べるのは人間が好きなんじゃなくて、ただ悪人が美味しいだけなんだと思うな!」


 だから、たまには悪人以外も食べるんだけどなぁ。











 ■


 貴方の近くにいるその人は、貴方は、本当に人間ですか?

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