第8話
意識のないロナさんを馬車に乗せ、座席から落ちないようクッションで固定し、やっと力が抜けた。
「いっ……」
血の味がする……、まさか襟首を掴まれるとは、そして頭突き……。頭突きしてくる女なんて初めてだ。信じられない行動をとる人だ……。
ロウノックの後継が産まれた今、ロナさんの存在はもう害にしかならない。傷一つ付けず、元の場所へ帰す。これ以上あの方を刺激しないように、彼女を無事届ければ解放される……。
「番に手を出したな」
そう言ったのは遺物の解析、解呪、解術を専門とする東国の解術士。
人を介し、尊き賢人の名に連なる確かな腕を持つ術士に、シアン様は腕輪の解術を依頼した。
大切な者の命を盾に受け入れさせた婚姻と、魔力譲渡の魔具。エンリ様からシアン様へ常に一定量の魔力が流動し続けていた魔具は、エンリ様によって術式を書き換えられ、流動量は増加した。
シアン様の身体が受け入れられるギリギリの量へ。
エンリ様が元妻であるあの娘に会った日、あの日から全てが覆った。
「大っ嫌い! 顔も見たくない!」
拒絶され、それでも部屋の前まで追いかけ、村に帰りたいと泣く娘の声に立ち尽くし、そのまま会うことはなく馬車へ戻られたエンリ様だったが、私は逃げ場のない馬車の中で顔を蹴り上げられ、肋骨まで踏み折られた。
「ロナに嫌われてまで、お前たちの為に動く必要なんて無いんだよね……」
腕輪を握り、虚ろな目でつぶやくエンリ様に、屋敷に着くまで息を殺し、身動きできないでいた。
ふらりと馬車から降りたエンリ様に、痛む胸を押さえ追ったが、すでに遅く、床に伏したシアン様を見下ろすエンリ様がいた。
「シアン様っ」
胸を押さえ蹲る姿に、まさか自分と同じように蹴りつけたのかと駆け寄った。
「こんな少しずつじゃ全然減らないんだよね」の声に小首を傾げる美しい顔を見上げた。
「叔父さんが欲しいっていうからあげたのに」
かはっと息が漏れ、シアン様の口端に血が滲むのが見えた。
「もっと、取ってよ」
シアン様の身体に流し込まれた魔力は、心臓に負担がかかるほどの量だった。
「エンリ様! おやめください!」
動かなくなったシアン様に覆い被り懇願した。
「エンリ様、どうか……」
魔術に関する知識はないはずと、教えは何一つ受けずにきたのだからと。何もできないと決めつけていた。
何の教育も受けずに魔具を作り変えたのなら、格が違いすぎた、私たちは扱いを間違えたのだ。
「ねぇ、取り替えっこしようよ」
扱える力を持ちながら、魔具を受け入れた意味を知った。
「セルリーナも、当主の座も、叔父さんにあげるからさぁ。その代わり、
魔力量の多い術士は寿命も数百年と長く、魔力が安定する二十代から三十代の姿で成長を止め、魔力の衰えと共に緩やかに老いていくもの。
ただ人と時間の流れは違う。
エンリ様の望みは、長命となる魔力を棄て、あの娘と共に同じ時間を生きることだった。
*
「つがい……?」
「そう、唯一の存在、魂の片割れ。半身といえば分かるだろ。嫉妬深いのは守人と呼ばれる森の獣人だな。番に触れでもしてうっかり匂いでも残せば、どこまでも追いかけて狩りにくるってな」
森の奥にいると云われる守人と、半身と呼ばれる女神の花の化身。自分の番を誰の目にも触れさせないよう森の奥深くに隠すと伝えられているが……。
「魔力量の多いヤツほど気づけるらしいな、自分と同じ魔力の質を持つ唯一って存在に。見つければその執着は狂気を生むほどだ。番のためなら手段は選ばない、番のためなら良い悪いのまともな判断もできなくなるほどな」
あの娘がエンリ様の番……?
「あり得ない量の魔力を押し付けるから、死に急ぎたいのかと思えば、そういうことか。ただ人の娘と共に生きるには魔力は邪魔だからだろう」
「解術は可能だろうか?」
「むっり」
お手上げーと、おどけたように両手をヒラヒラして解術士は笑った。
「幾らかかってもいい」
「あんた達のそーいうとこ、ほんと嫌い」
八大領主の名に膝をつくのは一部だけ。この世界には何にも属さない、何にも媚びない存在もいる。その一人が目の前の術士。尊き賢人の名を継ぐ者には王でさえ膝を折る。
「相当な恨みを買ったなぁ、魔具の起動には血と名で契約がいるだろ、何で脅した? 番の命を盾にしたか? 随分ねちっこく術式を組んでるよ、何週間掛けたんだろうなぁ、これ」
「っ……」
シアン様も気づいたのだろう、エンリ様がセルリーナ様と共に部屋にこもり、過ごしていたはずの期間に疑念が生まれた。
「術式に触れれば気づかれるかな、触っていい? バレたらあんたの心臓止まるかもしんないけど」
慌てて腕を引くシアン様に、面白そうに笑う解術士。人を小馬鹿にした態度に拳が震える。
「この魔具はニコイチ、一緒に起動させただろ。解除も対が揃ってなければ無理だね。でもさ、ふふふ、無理だろ? 解除より先に、気づかれてあんたの心臓が破裂するだろうね! あははっ」
一頻り笑い息が落ち着いた後、魔力量の多さを表す二色の、深い蒼にも鮮やかな翠にも見える瞳を細めて覗き込んできた。
「なぁ、搾取される側に牙を剥かれた気分はどうだ? 今まで散々
後ろに控える私にはシアン様の表情は知れない。
「対の腕輪を持つ者の望みは、番と一緒に老いることだろう。魔力の微々たるただ人なら、寿命は七、八十年。無事に天寿を全うするまで待てよ、それだけの魔力に満たされてりゃ、あんたはあと二百年は長生きできるんだしな、はは」
***
「セルリーナ」
「シアン様、おかえりなさいませ」
屋敷に戻り、シアン様は真っ先にセルリーナ様の元へ訪れた。
ふわりふわりと金の髪を揺らして笑顔を向けるセルリーナ様。
「セルリーナ、君はあいつが何をしているか、知っていたのか」
こてんと首を傾げるあどけない仕草に、彼女は何も知らなかったのでは、との思いも生まれたが、このことだとシアン様が示す腕輪に、セルリーナ様は両手の指先だけを合わせ、見惚れる笑顔で頷いた。
「ええ、魔力がいらないのならシアン様に全て差し上げてと、言いましたの」
「な、なぜ、そんなことを言った!?」
彼女の言葉で、エンリ様は魔具の術式を組み替えを思いついたのか……。
元婚約者であったセルリーナ様の言葉は、結果、命の危機にあるシアン様からしたら、裏切りのように取れるだろう。
「どうしたのですの? 魔力がなければ、エンリ様は愛人と故郷へ帰れるとおっしゃったんですもの、ですから、わたくし」
細い手首に嵌められた、ローアン様と同じ細工の
「なっ」
「っ!」
セルリーナ様もエンリ様の魔力の器として、身を差し出していた。
「エンリ様にお願いしましたの、わたくしにもシアン様と同じものをくださいませと」
「なぜ、そんなことを……君はこの魔具がどういう意味か分かって「分かっているからです」リーナ!?」
「シアン様、わたくしは幼い頃から貴方の隣に立つことを夢見て生きてきました。貴方の為に作っていた花嫁衣装を、別の男性の隣で着たわたくしの気持ちがわかりますか?」
いつもふわりと微笑みを浮かべていたセルリーナ様。
「貴方におめでとうと言われた、わたくしの気持ちがわかりますか?」
その微笑みのまま、涙をこぼしていた。
「貴方の妻になれると信じていた、のに、別の方に嫁げと、言われた、わたくしの、気持ちが、わかり……ますか……?」
「リーナ!」
シアン様の胸で泣くセルリーナ様の姿に、エンリ様の隣で常に微笑みを浮かべていたセルリーナ様を思い出す。彼女は微笑みで心を隠していたのだ。
「魔力も、当主の座も、いらないというなら、全てシアン様のものですわ」
しかしシアン様も気づいたはずだ。
「シアン様、ロウノックの
エンリ様に対し何もできなくなった。
シアン様は大切な者の命を握られた恐怖を初めて知ったのだから。
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