第7話

「しっかりしなきゃ……」


 いっぱい食べて、元気になろう。

 お上品な食べ方なんて知らないもの、いっぱい頬張って、よく噛んで飲み込む。使用人たちは眉をひそめるけど、陰でプークスクス言わせとけばいい。まずは体力を戻そう。

 『待ってて』の先に何があるのか分からないけど、何かあった時、動けるようになっておきたいから。


 中庭で運動もした。このドレスというものは、足に纏わり付いて邪魔でしかないからズボンをくれと言ったら、「そんな物はここにはありません」なんて言いやがってくれるから、スカートをたくし上げて縛ってやったわ。すぐにズボンを用意してくれた。アイロンかける手間が増えたとか、ブツブツ言ってたけど知るか。

 ここに来て以来、まともに歩くこともしていなかったから、ほんの少しの運動で、今、筋肉痛でとんでもない状態になってる。けど、久しぶりにご飯を美味しいと思えるようになった。


 そして私が倒れて以来、ほとんど毎日ハイヤードさんが訪れるようにもなった。エンリからの贈り物を持って。

 今日はころりと丸い、揚げ饅頭だった。


「エンリ様に会いたいですか?」


 唐突に、エンリとの思い出に浸っていた意識が戻った。


「え……」


 浮かぶのは、思い出の中のふにゃりと笑うエンリ。そして夢の中で見た、顎に梅干し作ってポロポロと泣くエンリ。


「エンリ様に会いたいですか?」


 会いたい……なのに、その思いを覆い隠すように浮かび上がったのは、最後に会った時の、どこから見ても貴族でしかないエンリの姿。

 手の中の食べかけの揚げ饅頭、テーブルに飾られたチッコイの花と、エンリとの繋がりに目が行くが……。


「……わかりません……」


 わからなかった。


 会うと云うのは、また、あの厚い装いの貴族にしか見えないエンリだと思うと、会いたい気持ちが萎み、気持ちが分からなくなった。


「……そうですか」


 ガタン、廊下の方からした音に、思わず扉に目が行ったが、ハイヤードさんは何事もないように、「どうか、エンリ様を信じてお待ちください」といつもの言葉を残して帰って行った。


 ただ待つ。

 エンリから届く繋がりだけ信じて、思い出に縋り、エンリに会えなくても待っていた。


 同じことを繰り返し、月日は巡り、私の誕生日の前日、エンリの妻セルリーナ様が男児を出産した。


 エンリによく似た男の子だと、領内に祝い酒が振舞われた。


 別荘にも祝いの酒や食事が用意された。


「……」


 豪華な祝いの食事を見つめる私の元には、今日もエンリからだという素朴なお菓子が届けられた。


「…………」


 大丈夫だよね……これ、本当にエンリがくれたんだよね?


 湧いた猜疑心に指先が冷えてきた。


 もしかしたら、お菓子はを用意したのは別人かもしれない。

 もしかしたら、私のことは忘れて、夫婦で子供の誕生を喜んでいるのかもしれない。

 もしかしたら、エンリはもうこのまま、ずっと来ないのかもしれない。

 もしかしたら、もしかしたら……。


「エンリ様を信じてお待ちください」

「っ!」


 ハイヤードさんの声に、スカートを握りしめていたことに気づいて手を離した。皺なんて残せばまた使用人がアイロンをあてる手間が増えてしまうのに……。


 エンリを信じる……。

 信じたい……でも、エンリにはもう子供だっているのに、待ってていいの? まだ私はここで一人で待つの?


 エンリは子供を持つことに消極的だった。でも私はエンリの五つも上。周りはみんな一人、二人と、子供をもっていた。本当は焦ってた……。けれどエンリは二十歳になったばかりで、エンリがまだいいと言うなら待つしかなかった。

 なのに、エンリの子供を産んだのは別の人。今の私は、エンリとの子供を望めない位置にいる……。


 このまま待ってていいのだろうか、という気持ちが残ったまま、私がこの屋敷に来て一年たった。

 私はまたここで、二十六歳の誕生日を迎えた。


 朝早くに小さなケーキが届けられた。生クリームで花をあしらった繊細な細工のケーキは、飾っておきたいほど美しいものだった。

 そしてカードには“お誕生日おめでとう”と懐かしいエンリの文字。涙が滲んだ……。


 昨年はここに連れてこられ、混乱したまま過ぎた誕生日だったけど、今年はエンリからケーキが届いた。

 小さくても丸いケーキは一人で食べきれる量ではないから、村で二人で食べていたサイズのケーキだから期待をしてしまう、ガチャバターン!『ロナぁー!』と会いに来てくれるのではと……。


 いつもより遅い時間のノックに応え、入ってきたのはハイヤードさんだけだった。エンリは誕生日でも来てくれなかったんだと、思わずため息が出てしまった。


 「こちらへ」といきなり腕を取られ、ソファーに深く座らされた。落胆が顔に表れ、体調を気遣われたのかと思ったけれど、跪いたハイヤードさんの表情は硬かった。



「エンリ・ロウノック様は亡くなられました」



「は……?」


 言葉の意味を理解することができなかった。


 昨夜、子供の誕生を祝う席で酒に酔ったエンリは階段を踏み外し、打ち所が悪くそのまま、と。


 何それ、そんなことあるわけない……。


 一番に思い出すのはふにゃりと笑うエンリ。


 ありえない!


「っ!」


 ハイヤードの襟首を掴み床に押し倒していた。


「嘘をつくなっ! エンリを殺したのか!! あんたたちが! エンリを!!」


 不意をつかれ押し倒されたとはいえ、次には簡単に手を取られ、無理やりソファーに押さえつけられた。


「死因も診断も、いくらでも偽装可能なんです。すでにエンリ・ロウノック様の死亡届は受理されました」


 殺された……? エンリ、エンリ……、どうして……、なんで? 殺すくらいなら返せっ!!


「あなたはもう、ここに居ていい存在ではない。村へお帰りください」


「――っ!」


 ゴッ!


 頭突きを食らわせ振りほどくが、扉に手が届く前に、体力づくりの甲斐もなくスカートに足を捕られ、傾く身体を支えるように捕まえられてしまった。


「はなっ! うぐっ」


 口元に当てられた布の感触と、ツンとした匂い。


「すみません、あなたに傷一つでもつけたら、また肋骨を折られてしまうんです」


 耳に入った言葉に、聞き返す前に意識は沈んだ。



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