第5話
散々泣いて、自分のしたことに、どんでもないことをしでかした自分に、震えが止まらなくなった。
罰を受けるのかもしれない、エンリはもう貴族なのだから。それもこの国の中心に近い人なのだから。
その手を振り払い、あんな、酷い言葉を浴びせたのだから、エンリの言葉一つで簡単に、私だけでなく、もしかしたら父さんや母さんも……。そう思うと眠れなかった。
翌日、この邸を訪れたのは昨日エンリと一緒にいた人だった。
その人は部屋に入るなり、跪くのだから驚いた。
「私はエンリ様の補佐としてついた、ハイヤードと申します」
頭まで下げられ固まった。
態度にもだけど、この人の顔、殴られたんだろう切れて紫になってる口元、え、何があったの?
「ロナ様にはこのようなところで、不便をかけているのにもかかわらず、不快な思いをさせて、申し訳ありません」
「え……あ、はい……あ、いえっ!」
どういうこと?
「この屋敷に滞在中、不具合がありましたら、私に伝えてくださればすぐに対処します」
「あ、はい……」
どういうこと? 昨日私がエンリに吐いた暴言は?
昨日とは打って変わって、低姿勢なハイヤードさんに意味が分からず、罰せられると思い込んでた私はまだ小さくなっていた。
昨日のことは? いいの? エンリはもう大貴族の当主でしょ?
「あ、あの、エンリは、っと、エ、エンリ様は?」
「エンリ様は、しばらくこちらには来られません……」
「そ、ですか……」
顔も見たくないなんて言ってしまったんだもの……。そうだよね……。
ハイヤードさんが帰り、入れ替わるように使用人がお茶をの用意に来てくれた。
この香り……。
高価なカップにはよく知った香りのお茶。一口飲んで、それが村でいつも飲んでた同じ味で、涙がこぼれた。
決していい茶葉ではない、冷めれば渋みが出るようなお茶なのに、思い出がありすぎて、涙が止まらなかった。
『ロナぁーお茶いれたよぉー、ほらほら、休憩休憩』早く早くぅと、おいでおいでするエンリ。
「エンリ、なんで……」
そして翌日から、毎日届くようになった茶菓子はよく知ったものばかりだった。
香ばしいカリカリな揚げ餅。砂糖がまぶされた、ちまっこいドーナツ。金平糖。粉砂糖たっぷりの煮豆に塩煎餅。
今日はザラメ糖のたっぷりついた蒸しパン。
どれもエンリとの思い出があるお菓子ばかり。
使用人たちからは愛人への贈り物にしては粗末すぎると、笑われているが、ただの村人だった私には花や宝石なんかよりずっといい物だった。どこぞの高級菓子ではなく、庶民の安っこい菓子の、慣れ親しんだこの味が一番美味しく感じるのだから安心する。だけど、この味には思い出があり過ぎる。
『あーん、あーん、ここのとこだけでいいから、ちょっぴりね? ね?』
『あ! もう! エンリ、なんでそんなに齧るのよ!』
『ふふふー』
モサモサした蒸しパンを齧りながら思い出すのは、失くしたモノ。
初めてハイヤードさんが来てから数日が経ち、私はやっと考えることができるようになった。
冷静に考えれば、いくらあんな酷いことを言ったからってエンリが罰を与えるなんて、ありえない。エンリはそんな人じゃないもの。
そう思えばゲンキンなもので、食欲は出るし、おしゃべりな使用人から聞かされるエンリの近状にも、ムカムカするようになった。
それでも、送られるお菓子が、まるで“忘れてないよ”と、エンリが伝えているように感じるのは、私が未練たらしくそう思いたいだけなのかもしれないけど。
「ふん、ばっかみたい……」
あの日以来、エンリがここへ来ることはないのに。
今日もここの使用人たちはお喋りだ。
可愛い奥さんに夢中なエンリは、どこそこの宝石を贈っただとか、どこそこの演劇を観に行っただの、なんちゃららの絵画を観に行っただのと。
ふん、エンリが絵? 犬を描けば軟体生物にしかならない絵心ゼロのエンリが、絵画鑑賞ですって?
どうでもいい。ほんと、どうでもいいんだけど。私はとっとと村に帰りたいのに。
なのに、私がここから出ることができない。この屋敷の庭以外には出ることが許されていないなどと、言いやがってくれたわ。
使用人には愛人以下だとプークスクスと笑われているのに。抱く気もない女なら、ここに閉じ込めてる意味なんてないんじゃない。
なのに、私はエンリの愛人としてこの屋敷に囲われている。
エンリの妻、セルリーナ様に子供ができたと聞かされたのに。
***
「産まれてくる子が男だといいねぇー」
エンリ様は前当主と同じだった。顔だけでなく中身も。全て。
「女であっても婿を取るから問題はない……」
「へぇー、そーなんだー、じゃあ、ちゃんと、無事に、産まれてくるといいねー」
笑みを貼り付け、宝物のようにシアン様と対になる腕輪を撫でるエンリ様。
「くっ……」
控えていても、歯を食いしばり耐えるシアン様の様子が見れた。
男でも女でもいい、お子が無事に産まれて来ることを願うしかなかった。
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