第4話

「え?」

「ですから、午後からエンリ様がいらっしゃいます」


 エンリが来る? ここに?

 エンリに会える!? エンリの顔が見れる! やっと、来てくれるんだ、やっと、やっと!


「湯浴みの準備ができました」


 なんでお風呂?


「さぁ、早く、エンリ様をお迎えする用意をいたしましょう」

「え……」


 戸惑う私の腕を引っ張られ、無理やり入れられたお風呂で、頭から爪先まで擦られ、産毛まで剃られた。

 風呂から上がれば爪を整えられ、入れ替わり立ち替わりと、使用人たちが部屋を整えて行くのを見ていた。

 そしてベッドを整える姿に、やっと、何の準備をしているのかに、気がついた。


「唇を噛まないでください」


 乱暴に顎を掴まれ、口紅を塗られた。


 そうだ……私はエンリの愛人としてここにいるんだった。


 下着で締め付けられ、レモン色の苦しいドレスを着せられ、髪も固く結われ、一筋も揺れないモノにされた。

 塗りたくられ別人にしか見えないほどの化粧をされ、鼻が曲がりそうなほど濃い花の香りを振りかけられた。

 重く、冷たく、煌びやかな宝石を巻かれ、別人にしか見えない自分の姿に泣きたくなった。


 こんなの私じゃない……。


 その日初めて自分の部屋から出た。エンリを迎えるために。

 いつもガチャバターン!「ロナぁー!」と帰って来るエンリ。あれほど会いたかったはずなのに、なのに、彼も今の私のように別人になっていた。


「…………」


 無言で、無表情で私を見つめるエンリ。


 高級そうな厚い生地の、重そうな装いは、なぜかエンリによく似合っていた。会わなかった間にこんな服装が似合う人になってしまったのかと、寂しかった。

 髪を切ったことに気づいて、エンリの髪を切るのは私の役目だったのにと、寂しかった。

 サラサラ、ふわふわと寝癖がつくと夕方まで跳ねたままの髪には、寝癖なんてなく綺麗に整えられていた。寝ぐせ一つ許されない人になってしまったことが、エンリが遠く感じて悲しかった。


「ロナ様、ご挨拶を」

「いい」


「――っ」


 私の名を呼んだのはエンリの後ろに控える人。でも、身体が震えたのはエンリの聞いたことのない声に。

 しかし、と続ける彼に「黙れハイヤード」エンリの冷たい声。


 これは誰?


「出て行け、呼ぶまで控えてろ」


 この人は本当にエンリ?

 エンリはこんな言い方しないのに。


 ハイヤードと呼ばれた人がエンリに頭を下げる瞬間、私に向けられた鋭い視線に、言われた言葉を思い出した。


 ――ご挨拶。


 でも貴婦人の挨拶なんて知らない、口上も知らない。だから私は黙って頭を下げた。深く、深く、この国の王様に使える八領主の一人、ロウノック家当主へ。


「ロナ」


 私の知るエンリは『ロナぁー』と甘えてぎゅうっと抱きしめてくれてたのに……。


「ロナ、顔を上げて」


 やっと会えたのに、にじむ視界に映るのは、私の知らない人……。

 私は、ゆっくり私の姿を目に映すエンリを眺めていた。


「綺麗だ……」

「っ!」


 カッと血が上がった。


 何が、どこが!

 こんな別人にしか見えないこんな姿なのにっ!


 村では化粧なんてすることなかった。祭りの日に口紅を付けるくらいだった。なのに……、エンリは着飾った女が好きになったっていうの!?

 新しい妻のように、ひらひらと着飾った姿が綺麗だと、そう言うの!?


 綺麗だなんて、村にいた頃は言われたことなかった。

 そりゃ、綺麗なんて言われる格好したことなかったよ!

 でも、でも……、別人のようにならないとエンリはもう好きじゃないの?


 こんな人知らない……。くたびれたシャツで、ふにゃりと笑ってたエンリじゃない。私の好きなエンリじゃない……。


 だから、頬へと伸ばされた手に、嗅いだことのない甘い香りに気づき、振り払ってしまった。


「他の人を抱いたの?」


 信じたかったのに。


 エンリの表情に、そうなのだと理解した。


 信じてたのに。


「触んな……」


 信じたかった。


 無理やり結婚されたんだと、だから、好きでもない人を抱いたりしないと。


 そう思いたかった……。


「ロ、ナ……」


 嘘つき。


「触んな、気持ち悪い」


「!」


 湧くのは嫌悪感だけ。


「他の女を抱いた手で触んな!」


 止まらない、抑えられない。


『他の男と踊るなんて、ダメに決まってるでしょ!』

 村の祭りで他の人とダンスすることにも拗ねたエンリ。

『僕は浮気なんてしないよ!』


 嘘つき。


「ロ……ナ……」


 嘘つき!


「嫌いよ、あんたなんか、大っ嫌い! 顔も見たくない!」


 これ以上一緒にいたくなくて、与えられた部屋へと逃げ帰った。




 気持ち悪い、気持ち悪い。


「もうやだ……」


 涙で擦り、ぐちゃぐちゃになる厚い化粧。


「もうやだ……」


 固く結われた髪からピンを引き抜き、ブチブチと髪が一緒に抜けても、無理矢理引き抜いた。早く自分に戻りたかった。


「帰りたい、村に、帰りたいぃ……」


 こんなところにいたくない!!




***


「エンリ様! おやめください!」


 屋敷に戻られたエンリ様は荒れた。

 感情のままに溢れる魔力はシアン様を襲った。

 胸を押さえ動かなくなったシアン様に覆い被さっても、盾にもならないと、分かっていても。


「エンリ様、どうか……」


 なぜこの方を扱えると思ったのだろう。


「ねぇ、取り替えっこしようよ」


 そう告げるエンリ様は高位術士である証の色を持っていた。


 ロウノック家の血を誰よりも濃く受け継いだ者を……。

 なぜなんの力も扱えないと、思えたのだろう……。



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