振り返る君を何度でも。

夏目

第1話

《振り返らないで》


 夕刻。学校からの帰り道。

 トークアプリに届いた淡白なメッセージに、僕は首を傾げた。


 送り主の名前は、香村 響紀こむら ひびき

 今、僕のすぐ後ろを歩いている女の子。

 中学のクラスメイトで、幼馴染。

 そして、超がつくほど喧嘩中。


 いつもなら並んで一緒に帰るところだが、今日は違う。

 別に好き好んで一緒に帰っているわけではない。彼女の母親に頼まれて、仕方なくそうしているだけだ。


 ただ、今日のところは事情が事情というやつだった。だから、いつもなら楽しい部活も、終始心ここになかった。


 そのおかげで、


「おい、どうした。もう終わりの時間だぞ?」


 キャプテンに声をかけられるまで、部活終わりにも気づかない始末だ。自分ながらしょうもないと呆れていた。




 僕たちの家は、学校からそれなりの距離があった。市街地を抜け、川沿いの細道を通った先にある。学校がある町へはこの細道一本しかない。災害でもあれば孤立してしまう。そんな不便極まりない場所だ。


 細道は、夕方にもなれば暗く不気味ささえ感じる。立ち並ぶのは手入れがされていない空き家ばかり。ところどころ、屋根や壁が崩れ落ちている。不審者が隠れていても、おかしくはない。


 つまり、年頃の女の子が1人で帰るには危ないという訳だ。


 更にいえば、僕の両親も口うるさかった。

 小学校の頃。遊びに夢中で響紀を置いて帰ったときは、ひどく怒られた。


 両親も、響紀を自分の娘のように可愛がっていた。口を開けば、響紀、響紀と。

 幼い頃の僕は、それが面白くなかった。


 ともかく、やかましい両親を黙らせるため、何を差し置いても、響紀第一を心がけてきた。


 だが、今日は流石に無理だ。あんなことがあった後では一緒に帰るなんてできない。


 身の入らない部活の後。着替えを終え校門前へ。いつものように響紀はそこで待っていた。

 しかし、僕は彼女を一瞥してそのまま前を通り過ぎる。響紀は何か言いたげだったが、最後まで口を噤んでいた。


 早足で、歩き始める。

 少し後ろ。やや距離をあけて、響紀がついてくる。母親の言いつけは、守らなければならないのだ。


 彼女の柔らかく優しい足音。それが、今の僕には勘に触った。


 校門前から市街地を抜けしばらくすると、例の細道に差し掛かる。

 時刻は午後六時。冬場。既にかなり暗い。時折吹く風音が、心細い気持ちにさせる。


 いつもは横にいた響紀のお陰で気づいていなかった。帰り道の暗さに。

 お互いの顔を見ていたから。周りの風景なんて目に入っていなかった。


 ボロボロの街路灯が、吐き出した息を白く照らす。それは水蒸気となりたちまち大気中に霧散する。


 降り積もった雪の上を歩くたびに、ぎゅ、ぎゅと音が聞こえる。雪はひどくなっていく。この調子だと、家に着く頃にはだいぶ積もっている。

 雪かきが面倒だ。やってられない。


 そんな時、突然メッセージが来たことを知らせるスマホが鳴った。アプリは、お互いのトーク履歴を確認できる。ごく一般的なタイプだ。


 送信者を確認する。


 香村響紀。


 今まさに、僕の後ろを歩いている響紀からだ。


 彼女とのトーク画面を開く。そこには、一言


《振り返らないで》


 とだけあった。


 正直、意味がわからなかった。すぐ後ろを歩いていて、振り返らないでとは?


 ……今の僕たちのあいだに必要な言葉は、もっと他にあるんじゃないか?


 こんな訳のわからないメッセージをもらっても、何も伝わってこない。

 はっきりいって、ガッカリした。

 心のどこかで期待していたのだ。もしかしたら、響紀が『あのこと』について言ってくるのではと。


 真意を問いたい。


 振り向こうとする。


 それを分かっていたかのように、響紀から再びメッセージが


《だめ》


 ……妙だな。と僕は思う。


 どうしてこんな回りくどいことをするのか。直接言えばいいじゃないか。顔を合わせたくない、と。

 それじゃあダメか。そう言った時にはすでに顔を合わせている。


 間をおかず、更に


《このまま、前を見て進んで》


 雪は益々強くなる。視界も徐々に白くなる。街灯の光に呼び寄せられた季節外れの蛾たちが、電灯に触れて感電しては、バチバチ音を立てて地面へと落ちていく。


《どうした?》


 たまらず、返信した。響紀の意味不明なメッセージに付き合うつもりはなかった。が、その意思とは裏腹に、無意識にキーパッドで文字を打ち込んでいた。


《こっちを見ないで》


《だから、何で?》


《それは、言えない》


《納得できない。意味がわからないよ》


 不毛にも思えるやりとり。ひたすら細道を歩いていく。何を聞いても響紀は、見ないでとか、ダメとか、そんなことしか送ってこない。


 しびれを切らして後ろを向こうとする。

 その度に着信音が鳴る。

 メッセージ内容は相変わらず繰り返し。

 ただ、文字には強い意志みたいなものを感じていた。


 ……らちがあかない。

 少し間を空け、話題を変える。


《寒くない?》


 響紀からは、すぐに返信が


《ありがとう。大丈夫》


《そうか》


《……心配してくれてるの?》


《別に》


 あえて素っ気ないそぶりを見せる。此の期に及んでも、響紀からあのことについて話してくれることを僕は期待していた。

 だけど。自分から切り出す勇気がなかった。そして、彼女からあのことを話してくれることはない、ことも知っていた。


《ねえ、怒ってる?》


《何が?》


《怒ってるよね?》


 返信はしなかった。感情的になってしまいそうだった。響紀も、直接話すのが嫌でこんな遠回りな方法をとっているのだろう。彼女からすれば、僕が一方的に機嫌が悪いようにしか見えていない。


《私が斎藤君に話してたことは、本当の気持ちじゃないよ》


 次の響紀からのメッセージを見て、目を丸くする。どうして、彼女がその話をし出したのか理解が及ばなかったのだ。 あのことを、彼女が知っているはずはない。


 

 今日の昼休み。いつものように屋上で一人昼ごはんを食べていた。肌寒さもあったが、僕は屋上が気に入っていた。煩わしさからの解放。思春期にありがちな衝動。誰も知らない秘密の場所。


 そこに、突如として現れたのは、響紀。その後ろには斎藤賢太郎。サッカー部のキャプテン。イケメンで女子からの人気も高い生徒だ。彼の色恋の噂は、クラスが違う僕もよく耳にするほどだった。黒い噂も含め。


 思わず物陰に隠れた。そんなことをする必要がないのに。これから始まる事が、何となく予想できていた。

 悪い予感。的中。




《本当の気持ちじゃない? だったら何であんなことを言ったんだよ》


 彼女があのことを知っている理由はわからない。それでも、話を振ってきた。このチャンスを無駄にはしたくなかった。


 感情を抑えて言葉を選ぶ。それでも、色んな感情が溢れ出る。


 全然気持ちがセーブできていない。



《だれも、傷つけたくなかっただけなの》


《僕は、傷ついた》


《ごめんなさい》


 響紀を責める。本当は、分かっていた。彼女は悪くなんかない。あのとき、屋上で僕が盗み聞きしていたことを響紀は絶対に知らない。

 でも、こうして話をしてきた。どうやって、わかった?




 屋上にきた二人の様子を、壁越しに観察する。悪いことをしているとは思ったが、気になって仕方がなかった。14.5歳の男女が二人きりで屋上。となれば、やることは一つ。


 斎藤が口を開く。


「響紀ちゃんのことが好きだ。付き合ってくれ」


 告白。


 斎藤は、真剣な眼差しで響を見つめていた。響紀も、それに応えるようにみえた。

 二人だけの甘い空間……。

 僕ののどは、カラカラに干上がっていた。


「俺じゃ、だめか?」


 響紀は、答えない。


 心臓は、緊張で高鳴っていた。ドキドキという音が外に漏れでてるんじゃないかというぐらいに。当事者でもないのに。何の関係も、ないのに。


「あいつのことが、好きなのか? いつも一緒に帰ってるあいつ。名前は確か……」


「……そういうことじゃないよ。ただ……」


「そうだよな。いつも送り迎えしてもらってて。響紀ちゃんに彼氏ができたらあいつも気まずいもんな」


「……彼とはママに言われて仕方なく一緒に帰ってるだけ。うるさいの、うちのママ」


「そっかー。俺は、別に気にしないよ。響紀ちゃんがあいつと一緒に帰っても。何とも思わない。だから響紀ちゃんの本当の気持ちを聞かせてくれ」


 そこまで聞き、耐えられなくなった僕は、二人にバレないように屋上を後にした。

 絶対に見られていない。そう確信できる状況だった。




《もういいよ。で、結局どうなったんだよ?斎藤とは》


 響紀が、僕が屋上にいたことを知ってる理由はわからない。

 でも、今はそれ以上に気になることがある。


 震える指先でメッセージを打ちこむ。寒さのせいだ。手がかじかんで何度も変換ミスをしてしまう。もっと、暖かい手袋にしてくるべきだった。動けよ、ノロマの指が!


 送信ボタンを押した刹那、数メートル先から音。何か、が雪の上に落ちたような。


 ハッとして顔を上げる。

 右手前。木造の空き家の玄関扉が倒れていた。築年数は50年とかだろうか。ともかくだいぶ古めかしい。

 タイミングが悪ければ、扉の下敷き。事故になっていたかもしれない。


 響紀に当たらなくて良かった。


 素直にそう思っていた自分に気づき、情けなくなる。彼女も、もう14歳。いつまでも自分の世話が必要なわけではない。彼氏だってできたみたいだし。


 ……本当は、自分が彼女を必要としていた。


 唐突に、目を背けていた真実を容赦なく突きつけられていた。

 涙が、勝手に溢れてきた。それは、暖かく頰を伝って空気中へ消えていく。


 霞んだ視界で、倒れている扉の上を踏み越えていく。道幅いっぱいの高さがあり、避けるのは無理だ。

 踏んだ衝撃で、扉は、メキメキ音を立てている。


 扉を越える。少し歩いた先で、後ろの響紀が来るのを待つ。


 ……手を貸すべきなんじゃないか?


 一瞬そんな考えがよぎるが、振り払う。


 

 しばらくその場に立ち止まる。後ろの音に、耳を傾ける。だが、いつまでたっても響紀はやってこない。正確には、足音がしない。

 全てがピタリと止んだ。あの扉の辺りから。


 ……何かあったんだ。。


 振り返るな、とは言われている。それでも、構ってはいられない。

 一呼吸置いて、体の向きを変えようとする。


 と、案の定。


 着信音。


 しかしこれは……


「通話……?」


 着信音は個別設定してある。特に、響紀は彼女一人のために他とは区別してある。通話とメッセージも別々に。すぐに対応できるように。だからすぐ分かった。この電話は響紀からだ。


 通話に出ようと画面を確認。同時に、メッセージの通知が画面上部に表示。


《出てはだめ》


 着信音は、早く出ろといわんばかりにけたたましく鳴り響くのをやめない。それもまた響紀からなのだ。


《出てはだめ!》


 メッセージは、通話にでるのを拒否している。


 「どうしたらいいんだよ!」


《私は大丈夫。早く前へ進むの》


 僕の心を見透かしたかのように、最初の響紀からメッセージ。

 僕は混乱していた。

 同じ人間が、同時に、全く逆のことを言っている。


《早く歩いて!》


 何を信じたらいいんだ。僕は。


 そんな時、後ろで、木材がバキバキと大きな音を立てたのが聞こえた。もしかしたら、壁が崩れ始めているのかもしれない。このままだと、倒壊に巻き込まれてしまうかもしれない。


 いてもたってもいられなくなった僕は、たまらず通話にでた。


「どうしたんだ!? 響紀!」


 無言。

 よく聞こえないが、ゴワゴワというノイズ音だけが聞こえている。



「響紀!」



 ノイズが消えた。


 静寂。


 と思った束の間。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」


 通話先からつんざくような響紀の声。叫び続けていた。これまで聞いたことのない苦痛に満ちた声が。


 只事ではない。


 反射的に振り向いた。


 その先には。




 響紀が仰向けに倒れていた。真っ白な雪の上に。

 胸から流れている血が、辺り一帯を赤く赤く染めていた。



✴︎✴︎*✴︎✴︎*✴︎✴︎*✴︎✴︎*✴︎✴︎*✴︎✴︎*✴︎✴︎*



 ……今回も、うまくいかなかった。

 私は、夕方の校門前でうなだれていた。

 彼を、進ませてあげることができなかった。


 あの雪の日。昼休みに斎藤君に告白された日。いつもならニコニコ私を迎えにきてくれた彼は、とても落ち込んでいるように見えた。その時の私は、その理由はわからなかった。

 

 校門前で、彼は私を一瞥すると何も言わずに歩いていってしまった。


 どうしたの……?


 声をかけたかったが、ただならぬ様子にそれは叶わなかった。それで、仕方なく彼の少し後ろを歩いてついていった。


 帰り道。雪はだんだんひどくなっていって、寒さも増していた。早歩きで前を行く彼とは、随分距離が開いてしまっていた。そんな気まずい雰囲気の中、私が話を聞こうと前へ走り出した時。


 それは起きた。


 細道にある空き家の一つに忍び込んでいたという逃亡中の殺人犯が、扉を蹴破り私に襲いかかってきたのだ。驚いた私は、必死に抵抗した。犯人を撃退することには成功したが、揉み合いの中で犯人の持っていた刃物が胸に刺さってしまった。


 胸からは大量に血が流れ出ていた。パニックと出血のショックでその場に倒れこむ。

 朦朧とする意識の中で、私が助けを求めたのは、彼だった。目をつぶっても操作できるほど、彼への通話は何回も何回もしていた。最後の力を振り絞り電話をかける。

 だけど、彼は私からの電話に気づかなかった。マナーモードにしていたそうだ。



 もし、私が屋上で彼を傷つけるようなことを言わなければ。今日も一緒に帰ってたんだろうか。笑いながら、喧嘩しながら。

 今でもそう思うことがある。

 

 告白してきた斎藤君は、プライドが高いことで女子の間で有名だった。機嫌を損ねて殴られた子もいるらしい。

 今回の私への告白も、下手な断り方をすれば、斎藤君に彼がいじめられてしまうかもしれないと思った。

 私なんかのために一緒に帰ってくれる彼を巻き込みたくはなかった。そんな浅はかな私の思いが招いたことだ。


 だけど、彼は、私が死んだのは自分のせい、と自らを責め続けていた。その日だけ、マナーモードにしていたこと。後ろを振り向かなかったこと。並んで歩かなかったこと。


 だから、私は決めたのだ。彼を救うことを。彼を明日へと進ませるために。


 これで、10回目の今日が終わった。


 残念ながら、今回も失敗してしまった。だけど、次は成功させる。

 そう……。死んでから、彼について知ったことも、沢山あった。


 屋上での告白を見られていたこと。私のことをどれだけ大事に思ってくれていたかということ。そして、とても苦しんでいること。


 もう、間違えない。どれだけ失敗したとしても。何度だって挑戦してみせる。


 決意を新たにした時、部活を終えた彼が校門へ向かって歩いてくるのが見えた。とても浮かない顔をしている。ひどい顔だ。これから、またあの細道へと歩いて帰る。


 もう、私の死にとらわれないで。気にしないで。

 あなたが振り向かなかったのは、あなたのせいじゃない。だから、前を見て進んで欲しい。


 あなたの事が、大好きだったよ。

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振り返る君を何度でも。 夏目 @natsumehiryu

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