夢を通ってあなたのもとへ

クニノブミキ

「夢を通ってあなたのもとへ」

たぶん、信じてはもらえないと思うけれど、書いてみます。


半年くらい前のことです。

わたしは中学三年生になったばかりで、その日は短縮授業だったので、お昼には家に帰ってきました。

とてもお腹が減っていて、いそいで家に入ろうとドアに手をかけたとき、ふと、玄関わきの花壇のなかに、なにか黒いかたまりを見かけたのです。


花壇にはお母さんが育てた三色スミレが咲いていました。

あわい赤や青や黄色の花々のなかに、その黒いかたまりは眠っていました。


つやつやした毛なみの黒猫です。


そっと触ってみました。でも動きません。たしかに息はしているのだけれど、とても痩せていて、片方の目に傷跡がありました。


どこか具合が悪いのかもしれない。


わたしはその黒猫を抱き上げて、家に入りました。からだを温めてあげて、できれば何か食べさせてあげたいと思ったのです。


黒猫の手足の肉球をウェットティッシで拭いたあと、使い古しのバスタオルをもってきて彼女のからだをつつみ、リビングのソファーに寝かせました。


そのあいだも彼女はぜんぜん目を覚ましませんでした。


わたしはお母さんがお昼ごはん用にと、作り置いてくれたサンドイッチを食べながら考えました。


このまま死んでしまったらどうしよう。やっぱり病院に連れて行ったほうがいいよね。


時計を見ると、12時半で、たぶんお母さんは仕事の休憩時間だ。わたしは電話をかけてみました。


お母さんは、「夕方、家に帰ってから考えましょう。いちおう近くの動物病院を調べておいて」と言いました。


うちは今までペットを飼ったことはありません。

いちど、犬を飼いたいと両親にお願いしたときに、お母さんが言いました。


「子供のころ、飼っていた犬が亡くなって、すごく悲しかったから、もうあんな思いはしたくないの」


それを聞いて、お父さんもわたしも何も言えなくなりました。


なので、連絡するのはちょっと躊躇しました。でも、お母さんも心配してくれているようでした。


わたしはお昼ごはんの片付けをしたあと、携帯で近くの動物病院を調べて、ソファーで眠るクロを眺めているうちに、いつのまにか自分もうつらうつらとして。。。


──赤い屋根の家が見える。

緑の草をかきわけて、庭に入ると、花壇の手入れをしている人がいる。白髪の女性。種をまいているようだ。彼女がこちらに気づく。満面の笑顔を見せて、手招きする。近づいていくと、抱きしめてくれる。


声がする。

「おばあちゃん」


振りかえると、少年が駆けよってくる。

彼の顔が目の前に迫る。

胸がどきどきする。とてもからだが温かくなる。


少年の笑顔。なでられると、幸せな気持ち。

彼の胸におさまって、抱きしめられる──


ニャー。

小さな声がしました。

わたしが目を覚ますと、目の前にクロの顔がありました。

ニャー。

わたしはソファーにもたれて眠りこんでいたようでした。

目の前のクロは、わたしの顔をじっと見ています。やはり片目でしたが、元気に見えました。


「だいじょうぶ? なにか食べる?」


キッチンに行って、とりあえず木のお皿に牛乳を入れて、クロのまえに置いてみました。彼女はピンク色の舌をつかって、それを飲みました。


「なにか食べたほうがいいよね。なにがいいんだろう」


冷蔵庫のなかを見てみたけれど、猫の好きそうなものがよくわかりません。携帯で調べると、やはりキャットフードがいいようでした。


「ちょっと待っててね」


慌てて、コンビニに行きました。カリカリのと湿ったのがあったので、なんとなく湿ったほうがお腹にやさしそうかな、と思って、買って帰りました。


クロはソファーに横たわったまま待っていて、キャットフードを差しだすと、ゆっくりと立ちあがり、少しずつ食べはじめました。


それを見て、安心しました。


夕方にお母さんが帰ってくると、キャットフードを食べたことを話し、クロを紹介しました。


「痩せてるけど、大丈夫そうね。毛なみもつやがあって上品な顔をしてる。片目はどうしたのかしらね。むかしの傷みたいだけれど」


動物病院に連れていくのはやめにして、しばらくようすを見ることになりました。


近くの家の飼い猫かもしれないので、SNSや張り紙で預かっていることを知らせようかという話もでたけれど、こちらの連絡先を公にするのもなんだか心もとない気がして、やめておくことにしました。


「元気になったら、じぶんで帰るかもしれないよ」

お父さんがそう言うと、

「そうね」とお母さんは言って、わたしを見ました。

「それまでは、あなたがちゃんと面倒見なさいよ」


その日から、クロはうちのお客さんとなり、わたしの友だちになりました。



彼女はよくわたしの部屋で眠りました。

いっしょのベッドで眠って、朝になるとわたしのお腹のうえに乗り、起こしてくれます。わたしが起きたくなくて、お布団のなかでもぞもぞしていると、ニャーと鳴いて、さいそくします。じぶんでドアを開けられないから、早く朝ごはんを食べにいこう、と言っているのです。


彼女は元気になると、外にお出かけするようになりました。

わたしが学校へ行くときに、いっしょに外に出て、わたしが帰ってくる頃には、彼女も戻ってきました。


夏になると、ときどき戻ってこない夜もありました。

それでもあまり心配はしませんでした。朝ごはんの時にはかならず顔を見せたからです。


このへんは古い住宅街なので、近所の人たちも町の猫にはおおらかでした。それに、彼女はもともとどこかで飼われていた猫だと思うので、もし、そのお家にもどりたいのなら、そうすればいいと、わたしたち家族はみんな考えていたのです。


ただ、そのころから、わたしはちょっと不思議なことに気がつきました。


クロといっしょに寝たときと、彼女がいなくて、ひとりで寝たときでは見る夢がちがうのです。


正確に言うと、クロと眠ると、いつも同じ夢を見るのです。


同じといっても、まったく同じ場面というわけではなくて、出てくる場所や人がいつも同じなのです。


赤い屋根の家。緑の豊かな庭に、いろいろな花の咲く花壇。そこには白髪のやさしそうなおばあちゃんがいて、わたしと同い年くらいの男の子が出てきました。


おばあちゃんも男の子も、まったく知らない人でした。もちろん、家や庭にも見覚えがありません。


わたしはよく、背の高い緑の草のトンネルをくぐりぬけて、花壇のある庭に入りました。夢によって、咲いている花は違います。スミレ、チューリップ、ユリ、ヒマワリ、アサガオ、コスモス、キク、バラ。


わたしは花の匂いをかぐのが好きでした。ある夢では、きれいなバラの匂いをかいでみようと近づいて、鼻先に強い痛みを感じて、飛び退きました。トゲがあることに気がつかなかったのです。


おばあちゃんはそれを見て笑いました。そして、大丈夫よ、と言って抱き上げてくれました。


ある夢では、わたしは男の子と遊んでいました。捕まえようとしてくる男の子から逃げて、うしろにまわりこみ、彼の背中に飛び乗るのです。


わたしが背中に飛び乗ると、男の子が笑いました。そして、わたしを肩にのせたまま庭を散歩しました。庭の木になっていた柿をとって食べたり、虫を捕まえたりしました。


カマキリを鼻先に突きつけられて、びっくりしたこともあります。男の子もおばあちゃんも笑っていました。


わたしはふたりのことが大好きでした。男の子の足にすりよったり。おばあちゃんにあごをなでられて、のどを鳴らしたりしました。


そうです、わたしはある頃から、これはクロが見ている夢なのだと思うようになりました。


でも、そんなことって、ある?



夏休みが終わって、新学期になりました。

わたしは猫を飼っている友達に聞いてみました。


「──ねえ、猫の夢って見る?」

「どうかな、あるような気もするけど、あんまり覚えてない。夢って忘れちゃうでしょ」


思い切って聞いてみました。


「──猫になった夢は、見る?」

「どういうこと?」

「たとえば、猫になって、お母さんにすりよるとか。抱き上げてもらうとか」

「え、猫目線てこと?」

「そう」

「いや、ないでしょ」

「そう?」

「あんたあるの?」

「うーん」

「カリカリ食べたり、ネズミ捕まえたりするの?」

「あ、そういうのじゃない」

「じゃ、なに? あ、美少年に抱き上げられたり」

「え?」

「あははは、なに赤くなってんのよ。それ、夢っていうか、ただのあなたの願望じゃないの」


友達はさんざん笑ったあと、「でも、いい夢だとしたら、ちょっとうらやましいかも」と言いました。


「そういえば、きょう来た教育実習の先生、まあまあじゃない。大学生だから、もう美少年て感じじゃないけどさ、あの黒縁メガネはずしたら、けっこうイケてると思う」


わたしは教育実習の先生には興味がなかったけれど、授業のとき、彼が漢文の『胡蝶の夢』について話してくれて、ちょっと不思議な気持ちになりました。


『胡蝶の夢』は昔の偉い人が、眠っているときに蝶になっている夢を見て、目が覚めてからも、ほんとうに自分は現実の自分なのか、それとも蝶が見ている夢が自分ではないのか、よくわからなくなる、というお話で、なんだか、わたしも他人事ではないような気がしました。


あの赤い屋根の家とおばあちゃんと男の子の夢は、やっぱりクロの夢だと思う。だとしたら、たぶんそれはクロの記憶でもあって、きっとあの家やおばあちゃんや男の子が、どこかにいるはずなんだ。


もしかしたら、元気になったクロはいまもあの家とわたしの家とを行き来しているのかもしれない。


その夜、ベッドに入ると、クロが枕元にやってきました。わたしたちはいっしょに眠りました。


──暗い庭。

見上げると、赤い屋根のわきに細い弓のような月。

花壇のようすがいつもと違う。近づいて目を凝らすと、でこぼこの土に、散乱した草や花。掘りかえされた球根にかじられたあと。


気配がする。

わきの藪を見ると、暗闇のかなにふたつの光。獣の目だ。

猫? 違う、もっと鋭い。藪からその獣が飛びかかってきた。


体をかわす。背中に爪が走る。痛い。


振りかえると、わずかな月光でその獣が金色に光っている。しなやかな胴体、赤い眼光。鋭く裂けた口が笑っているように見える。


イタチだ。あいつが、おばあちゃんの花壇を荒らしたんだ。


また、イタチが飛びかかってくる。動きが速い。

でも負けない。こちらにだって爪はある。


イタチが大きな口をあけて迫る。その顔を爪で引っかく。手応えがあった。だが、イタチも怯まない。こちらの喉をめがけて噛みついてくる。避けようとして、相手のからだと絡まり、暴れ、おたがいの体を爪で傷つけあう。


目に痛みが走った。かまわず、イタチの首筋を思い切り噛む。

イタチが悲鳴を上げた。暴れて、飛び退くと、あわてて暗闇のなかへ逃げ去っていった。


静かな夜がもどってくる。

赤い屋根を見上げると、細い月が赤く滲んで、よく見えなかった──


ニャー。

目が覚めると、わたしのお腹のうえでクロが朝食をさいそくしていました。彼女は片目で、笑っているようでした。



わたしは、あの赤い屋根の家がほんとうにあるのか確かめたいと思いました。


日曜日、クロのあとをつけてみることにしました。


お昼前に散歩にでた彼女は、しばらく家の近所の小路をうろうろして、プランターの花の匂いをかいだり、べつの町猫にあいさつをしたりしながら、すこし離れた緑地公園にたどり着きました。そして、緑地の藪のなかに消えてしまったのです。


人は通り抜けることができなかったので、わたしは公園をおおまわりして、藪のむこうにある住宅街に出ました。


あまり来たことのない場所でした。


わたしはクロが消えたちょうど反対側の藪をさがしました。すると、空き地がありました。一軒家が取り壊されたあとのような更地です。でも、なんとなく広い庭と、建物があったのだろうな、という場所はわかりました。


一本だけ、木が立っていました。なんとなく見覚えがありました。


「柿の木?」


足元を見ると、赤い陶器のかけらのようなものが落ちています。拾ってみると、それは赤い瓦のかけらのようでした。


もしかしたら──


その時、声がしました。「クロ!」


振りかえると、男の人が立っていて、足元に黒猫がいました。


「おまえ、やっぱりここにいたのか」


男の人が黒猫を抱き上げました。

そして、こちらを見ました。


「あれ、きみは、三年二組の人かな」


わたしは、驚いて、というか混乱していて、うまくこたえられずに、ただ、うなづきました。その男の人は教育実習の先生だったのです。


「あっ」先生の手からクロが飛び降りて、わたしのところに来ました。そして、足にすり寄ります。わたしはクロを抱き上げました。


「クロとは友だちなの?」先生が言いました。

「はい。いま、うちにいるんです」

「そうか、お世話になってたんだね。ありがとう」

「いえ」

「一年くらい前に、うちからいなくなっちゃってね。心配してたんだ」

「ここが、お家だったんですか?」

「いや。ここは僕の家じゃなくて、おばあちゃんの家だったんだ。クロもおばあちゃんの家にいたんだけど──」


先生のおばあちゃんは三年ほど前に亡くなったそうです。クロは先生が引き取って、隣町の家でいっしょに暮らしていました。でも、一年前、クロはいなくなってしまいました。ちょうど、おばあちゃんの家の取り壊しがはじまったころです。半年前、この場所は完全な更地になりました。


「あの柿の木だけはお願いして残してもらったんだ。おいしい柿がなるんだよ。切っちゃったら、それでもう終わりだからね。でも、新しい持ち主が決まったらどうなるか。もったいないよね」


「花壇もなくなっちゃいましたね」


えっ、という顔を先生はしました。でも、すぐに笑顔で、「そうなんだ。おばあちゃんが大切にしていて、僕も大好きだったんだけど」


クロもわたしも大好きだった、と思いました。


「でも、クロが元気でいてくれて良かった。きみはクロのことなんて呼んでるの?」

「クロです」

「あ、やっぱり」先生は笑いました。


「ずっとクロに会いたいと思ってたんだ。いなくなって寂しかったのもあるけど、クロがいなくなってから、おばあちゃんの夢を見なくなってね。クロといっしょに寝てるときは、いろんな、おばあちゃんとの思い出を夢に見たんだ。でも、いなくなってからは、ぜんぜん、おばあちゃんにも会えなくなってね。それが、残念だったんだ」


「先生もクロの夢を見たんですか?」

「クロの夢? そうだね、あれはクロの見ていた夢だったのかもしれないね」

「先生はどうして、クロが片目をケガしたのか、知っていますか?」

「いや、ほかの猫とケンカでもしたのかと思ってたけど」

「ちがうんです。クロは、おばあちゃんの花壇が大好きだったから。おばあちゃんの花壇を守ったんです」


先生はちょっと不思議そうな顔をしてから、笑顔になりました。


「そうか。そうだったんだね」


わたしは先生にすべて話してみようと思いました。

彼ならきっと信じてくれる。

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