第23話 誰の娘か

「……お前は、なんのために生きている?」


「……へ?」


 夢の中のアテネは、一人の男と向かい合っていた。その男はどこまでも恐ろしく、どこまでも冷たく……どこまでも憎悪に満ち溢れ、そこにいるだけでアテネの心臓の鼓動を破裂させんばかりのプレッシャーを与えてくる。


 そう。彼は魔王。エンニーがアテネの記憶の中の僅かな思い出から作り出した、彼女の父親である。


「……答えろ。お前が生きる理由はなんだ、アテネ」


「……私……の……生きる理由って、そんなの……」


 そもそも生きる理由とはなんなのか? アテネはそこから考える。が、考えても考えても、出てくる答えは一つだけ。毎日を生きるだけで精一杯であり、自分のエゴを全て生きるためだけに使ってきた彼女の生きる理由は……


「……生きるために、生きています……だって私は、死にたくないから……」


 震える声でそう答えた娘の言葉を聞いた魔王。しかし、彼はアテネの勇気を踏みにじるかのように大きなため息をつくと……


「……つまらん」


「……いっ……ガアァッ! ああっ!!!」


 アテネの足下から棘を生やし、アテネの体を貫かせた。


「……お前は本当につまらん。母親も魔力があるばかりで臆病なつまらん女だったが……お前はあの女に似てしまったようだ」


「……お、かぁ、さんの……」


「生きるために生きる。そんなことは当たり前だ。そんな目的を達成するためなら、世界の片隅の誰にも見られないような場所で、ひっそりと呼吸をしているだけでいい。もっともそんな者は、この世界にとって何も有益ではない、むしろ何も生み出すことなく消費するだけの有害な存在でしかない。……お前もどうやら、存在自体が有害な者のようだ」


「……そん、な……こと……」


「アテネ。お前はその生きるためとかいう程度の低い目的のために、今誰を頼っているのだ? ……お前は自分の目的のために、父親である私を殺した者を頼っているのだぞ? ……情けない。崇高な目的のためならともかく、程度の低い目的のために己が父の敵に庇護を求めるとは……」


 怒りに任せるがまま、魔王はさらに棘でアテネを突き刺す。腹が、首が、左目が棘によって串刺しにされ、彼女の体は心臓だけが無事な状態となっていた。


「……私は……必要、ないんですか……?」


 早くも、アテネの心は折れてしまっていた。実の父親から肉体だけでなく心をも痛めつけられ、彼女はもう精神崩壊の直前にまで追い込まれている。


 そしてその時を待っていたかのように、魔王はアテネへと一歩踏み出した。


「……今のままでは、な。だが、今からでもお前が私の役に立つ子供になれる方法も残されている」


「……それは……なん、ですか……」


「……勇者を殺せ」


「……え……」


「私を殺した憎き勇者を殺せ。お前がただ一人勇者のもとに潜り込んだ理由は、生きるためではなく勇者を殺すためなのだ。……お前は私の敵をとり、私の意思を継ぐ存在となるのだ!」


 魔王の、父親の言葉が、アテネの耳の中で暴れまわる。追い出そうとして手を振るっても、その手を悉くすり抜けて奥へ奥へと進み……アテネの脳の中に、住み着いた。


「……殺す……勇者を……」


「勇者を、ではない。人間を、だ」


「……人間を殺せば……あなたは、私を認めてくれますか……?」


「……もちろんだ。私の血を得ずとも、人間への憎悪によってお前がを継げば……お前は私と同じになれる。私が私を否定するはずがないだろう?」


「……魔王……に……私は……魔王に……」


「なれ。ならねばならんのだ。魔王の後継者となることだけが、お前に残された唯一の存在価値なのだから」


 魔王が人間に抱く憎悪が、アテネの体の穴という穴から彼女の中に入り込む。魔王の憎悪はアテネの体を燃やし、凍えさせ、心身共に疲弊しきったアテネは……とうとう、自分の思いを口に出した。


「………………す……」


「……聞こえん。もっとハッキリ喋れ」


「………………いや……です……」


 そのアテネの言葉を聞いた瞬間、魔王は再び棘でアテネの体を滅多刺しにする。最早アテネの四肢には彼女の意識は通っておらず、力なくダランとぶら下がるだけである。しかし、彼女の強い意志が込められたその目は、しっかりと父親を睨んでいた。


「……どうやらお前は自殺志願者だったようだな。誰にも認められず、これからも認められることを諦めたか」


「……違う……私はもう、認められてる……、から……!」


 アテネは魔王を煽るかのように、わざわざ人間という部分を強調して父親に反抗する。当然それを聞いた魔王も露骨に眉をひそめ、アテネの喉を棘で貫いた。


「……あな、たが……欲しいのは……娘じゃ、なくて……魔王の後継者……私のこと、なんて……魔王の器としか……見て、いない……!」


「それの何が不満なのだ? まさかお前は、自分に真っ当に愛される価値があるとでも思い上がっているのか?」


「……そう思って……何が悪いの……! あなたと違って、ジークとエマは私のことを娘だって言ってくれた! 私はもう、あなたのためじゃなくてあの二人のために生きるの!!!」


 どれだけ魔王の憎悪に体を蝕まれそうになっても、ジークとエマがアテネの心に灯した光は憎悪を受け入れることを拒み続けた。魔王を殺した勇者の力は魔王の憎悪を容易く祓い、力を与えられたエマは恐怖に打ち勝ち自分の意志をはっきりと父親に伝える。


「……生きるために生きるというのは、撤回します。……私は、ジークとエマに恩を返すために生きる」


「……そうか。……それは残念だ」


 これまでの生涯で一番の自信と勇気に満ち溢れた表情をしたアテネの顔は、一瞬で血に染められた。

 脳天と心臓を無慈悲に貫かれたアテネの視界に映る世界は段々と赤から黒へとその色を変え、夢の世界の彼女は息絶えたのである。

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