勇者ですが、魔王の娘を拾いました

竹腰美濃

第1話 全ては終わり、平和は始まる

 人間と魔族は、五百年以上にも渡る長い長い戦争を続けていた。全ての人間を統べる大帝が、全ての魔族を統べる魔王が、何代も何代も代替わりしようとも、目の前の憎むべき相手を殲滅するまでは決してその戦争を止めようとしなかった。


 ……しかし、その戦争は十五代目の魔王の死によって遂に終結した。

 その魔王を殺したのは、人類最高の魔術師と呼ばれる三人の英雄、ジーク・フリードリヒ、エマ・ディーデリク、ダニー・マートンの三人。三人によって魔王が殺されたことにより、魔王の支配から外れた生き残りの魔族は揃って人間に降伏。この瞬間、途方もなく長い間続いた人間と魔族の戦争に終止符が打たれ、その立役者となった三人の英雄は全ての人間から称えられて『勇者』の称号を与えられたのである。






「……それじゃあ、これまでの俺達の戦いに、乾杯」


「「乾杯」」


 戦争が終結して以来、三人の英雄は全国各地を巡り、戦争の終結を祝う式典に休みなく駆り出されていた。

 今はもう既に、魔王を討伐したあの日から一ヶ月が経っている。戦争が終結して一ヶ月が経ってようやく三人にも平穏な日々が訪れ、リーダーであるジークの自宅にて互いの苦労を労うささやかな宴会を行っていた。


「……なんつーか、ようやく実感湧いてきたよな。もう戦わなくてもいいんだって、この世界は平和になったんだって」


 グラスに注がれた酒を勢いよく飲み干してから、ダニーがそう言って口を開いた。


「……確かに。一ヶ月も戦わないなんて本当に久しぶり。……なんというか、達成感とか充実感は凄いけど、これから先どうやって過ごそうか不安にもなっちゃうな……」


 グラスの中の酒を物憂げに見つめながら、エマは小さな口からそう言葉をこぼした。


「……俺達が作った平和な世界でこれからどう生きるかは、じっくり時間をかけて決めればいい。俺達みんな、まだ十代の若者なんだ。枯れるには早すぎるだろ?」


 綺羅星のように輝く両の目でエマとダニーを見つめるジークのそんな問いかけに、二人は揃って頷くのであった。


「そうだな。俺達には時間も金もたっぷりある。これからの長い人生、自分のやりたいことも、親孝行も好きなだけ出来るだろうよ」


「うん。これからはやりたいことをやってのんびり生きる……私達は魔王を倒したんだから、そのくらいの生活はしても許されるよね?」


「もちろんだろ。……俺は、とりあえず子供相手の仕事でもしてみようかな? 故郷に帰るか、王都に残るかまではまだ決めてないけど……」


「子供相手か……フフッ、ジークって子供好きだもんね。凄く似合うと思うよ」


「おいおいジーク君よ、子供の面倒見るのもいいが、その前にお前にはやることあるんじゃねーのか?」


「……やること?」


 ダニーの言葉がピンとこないのか、ジークは首を傾けて怪訝な表情をダニーに向ける。

 そんなジークにダニーは心底呆れたような顔を見せ、小さく溜め息をついてからジークとエマを交互に指差す。


「……もう戦いは終わった。世の中は平和になったんだ。……んじゃ、そろそろ男としての責任もとるべきじゃねーのか?」


「……そうだな。別に忘れていたわけじゃないけど、伝えとくんなら早いうちがいいか」


 ダニーの言葉を聞いて覚悟を決めたジークは、姿勢を正してエマと向かい合う。エマもこれからジークが何を言うつもりなのかを察し、既にグラスをテーブルに置いてその黒曜石のような瞳をまっすぐジークに向ける。


「……俺はここでお暇した方がいいかい?」


「いや、お前だけを除け者にはしないよ、ダニー。……嫌じゃないなら、ここにいてほしい」


「……嫌じゃねぇよ。むしろ待ってたぜ」


「……私も、待ってたよ、ジーク」


「……そうか。みんな、待たせて悪かったな。……でももう、待ちぼうけはさせないから」


 ジークは生まれたての赤子相手のように丁寧に、決して傷つけないように優しくエマを手をとった。


「エマ……ずっと、ずっと、こんな俺のことを支えてくれてありがとう。……俺はもう、エマがいなきゃ生きていけない自信があるし、何があってもエマを守る自信もある。……だから……俺と、結婚して下さい」


 魔王と戦った時以上の勇気振り絞って放ったジークの言葉が、この時をずっと待っていたエマの心に少しずつ染み渡る。無意識に彼女の瞳から溢れ落ちていた涙が、彼女の服を濡らすように。


「……はい。不束者ですが、どうか宜しくお願いします」


 エマの返答を聞いた時、心に秘めようと思っていた喜びが溢れたジークは、思わずエマに抱きついた。そんなジークの思いをエマは余すことなく受け止め、ダニーはニヤニヤしながらジークのグラスの酒もグイッと一気に飲み干した。


「よっしゃあ! 今日は実に目出度い日だ! 三人だけで祝うなんてもったいないことしないで、世話になった人みんな呼んで盛大に祝おうぜ!」


「いやっ、おいおいダニー! 呼ぶってどれだけの……」


「フフッ、いいじゃんジーク。私達これからずっと一緒にいるんだから……今日くらいは、みんなで盛大に騒いでもさ」


「……仕方ない。いいぜダニー! 金と酒ならたんまりある! 呼べるだけウチに呼んじまえ!」


 結局、その日はジークの家から灯りが消えることはなかった。長い長いジーク達の戦いを支えた人間が、彼らに恩を持つ人間が、果ては特に関係のない近所の人間まで、ジークの家に入りきらないほどの大人数がやってきては、ジークとエマの結婚祝いの名目で飲めや食えやの大騒ぎをしたのであった……






「……うう……流石に飲み過ぎた……外の風に当たろう……」


 翌日早朝、部屋に充満する酒臭い匂いに鼻をやられて目が覚めたジークは、二日酔いのせいか重くなった体を持ち上げて家の庭に出る。外に出てみると周囲はまだ薄暗かったが、そんな庭の中に立つ一つの人影にジークは目を惹かれていた。


「……エマ。ずいぶん朝早いな」


「……ジーク、おはよう。酔いは覚めてる?」


「微妙だ……俺はお前やダニーほど酒には強くないからな……」


「だろうね。まあ、酔いが覚めるまではゆっくりしてなよ。時間はたっぷりあるんだし、のんびりいこう」


「ああ、そうさせてもらう。……けど……のんびりするのは、お前の隣にさせてくれ」


 ジークがそう言ってエマの隣に腰を下ろすと、エマもその場に座り込んでジークにもたれかかった。


「……私、幸せだよ? もう魔族と戦うこともなく、こうして好きな人と穏やかに過ごせるってだけで、もう充分……」


「……俺もだよ。もう魔族と戦わなくていい……大勢の人を殺してきた存在の前にお前を出さなくてもいいってことが、どれだけ俺を安心させてくれるか……」


ガサゴソッ……!


 ジークがエマの肩を抱き寄せ、エマもジークに自分の全てを委ねようとしたその時、庭の端の方から何かがこちらに近寄ってくる物音が聞こえた。


「……やれやれ、まだこういう気配に敏感なのは、いいことなのか悪いことなのか……」


「まあまあ。多分、獣か何かが庭に入り込んだんだとおも……う……?」


 薄暗い庭の木陰からジーク達に向けて近づいてくる影の形は、間違いなく獣ではなく人のそれだった。

 やがて、東の空から少しずつ太陽の光が差し込み、その影の正体が明らかになっていくにつれて……二人の顔は、驚きの色を隠せなくなっていったのだ。


 その『少女』の目の色は紅く、耳は鋭利に尖った形をしている。他にも見た目の特徴はあるが、真っ先に二人の頭に情報として入ってきたのはその二つである。

 ……その理由は、それが人間にはない、魔族のみの持つ特徴だからということに他ならない。


「……魔族……どうしてここに……」


「……あなたが……『ジーク』さん……ですか?」


 少女の発した声は、あまりにもか細く生命力に欠けていた。彼女のふらついた足どりと、ボロボロで傷だらけの身なりと併せて見れば更にその見た目から感じられる弱々しさには拍車がかかり、そればかりに注意を奪われたジークの頭からは、彼女が自分の名前を知っていることへの疑問はすっかり消えていた。


「……た……す…………け」


 精一杯の力を振り絞って出したその声を最後に、彼女は意識を失ってその場に倒れこんだ。

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