第2章 裏切りの街ゴモンの暗黒騎士団 2

 いないと言われても、ついマロとの散歩コースをたどりながら歩いて、家に帰る。

「ただいま」

「お帰りなさい」

 洗脳は解けているらしい。いつも通りの母の声だし、最近分かるようになってきた魔力の流れが正常になっているからそう思った。

 でも、問題はない。

 今朝見たニュースでも、自分が一晩行方不明になっていたという内容はなかったし、警察の人が歩いている様子もなかった。

 警察の人にかけた洗脳が、うまくその人づてで他の警察の人たちにかかってくれた証拠だ。

「マロはいた?」

「ううん」

「やっぱり保健所かしら……」

「今、探してもらってる」

「もらってる? 誰に?」

 鉄平はどう説明したものかと悩んだ。だって、異世界にマロがいてそれを魔物が探しているなんて言ったら、絶対お母さんは自分を病院に連れて行く。

「……知り合い」

 思い切りはしょった言い方では、お母さんは納得してくれなかった。

「知り合いって? 学校の? どこの?」

 おやつとホットミルクを運んできて、お母さんは鉄平を覗き込んだ。

「誰か知らない人に頼んだとか、ペット探偵とか、そういうわけ?」

 答えるのが面倒になって来た。それにこのまま追及されればややこしいことになる。

 ともだち、と答えればよかったか? と一瞬鉄平はそう思い、続いて心の中で首を横に振った。マロしかともだちがいない自分がいきなりマロを探してくれるともだちができたと聞いたら、お母さんはなんて反応するだろう。

 多分こうなる。

(友達? 同級生? いつの間に?)

 追及をたたみかけてくること間違いなし。それで勝手に脳みそ暴走されてややこしい話になること確実。

 だから鉄平は再び魔王の力に頼った。

 目に意識を集中して、お母さんを見る。

「……え?」

 目に魔力が集中しているのが分かる。机の下で印を結ぶと、部屋の電気がぱしん、ぱしんと点滅した。つけっぱなしだったテレビのニュースに、ザザッと黒い砂嵐が起きる。ズズズ……と何処かから地鳴りのような音がした。

 そんなことが起きているけど、お母さんは反応しない。お母さんの目は鉄平から離れない。焦点の合わない、でもそらせない視線。

「…………」

「だいじょうぶ。ぼくの知り合いだから。お母さんは知らないけど、頼りになるともだちがいるから。だから、これ以上は聞かなくてもいい。だいじょうぶだから」

「大丈夫……なのよね、大丈夫」

 お母さんはぼんやりとした目で繰り返す。

「うん、だからお母さんはぼくのことを心配しないでいい」

「……わかったわ……」

 もっと強い洗脳をかければ、ある程度状態が戻っても心の奥底で大丈夫だと信じ込ませることができる。だけど鉄平は知っている。あまり心の奥深くまで入る洗脳をすると、相手の心が壊れる可能性があるのだと。

 お母さんはしつこい。でも、心が壊れるお母さんを見るのはもっとイヤだ。

 だから鉄平は、その場しのぎの催眠でお母さんの興味をそらして、おやつのドーナツを手に取った。

 半分にちぎって、もう三分の一にちぎって、右肩の辺りに持っていく。

「テッペー様?」

「お腹、空いてない?」

「しかしそれはテッペー様のものでは」

「ともだちだから」

「あ、ありがたき幸せ」

 鉄平の視界の端で、鉄平にだけ見えるハーンが大きく口を開いた。

 舌が伸びる。

 ドーナツのかけらを巻き込んで、口が閉まる直前、もう一つの舌が見えた。

「ハーン、君、舌が二枚あるの?」

「ああ、魔王様はマネイロトカゲをご存じなかったのですね」

 ハーンはドーナツをひとのみにすると、小声で答えた。

「マネイロトカゲは二枚の舌を持っています。一枚は普通に食べたりする舌。もう一枚は魔力の舌。魔力の源にして麻痺毒を持ち、獲物を捕らえる舌でございます」

「へえ」

「魔族と呼ばれる種族は、必ず魔力の源を体の一部に持ってます。魔力をそこに集中させて知識や言葉などを使うんです。逆に言えば、魔力の源がない魔物は、どんなに強くても動物並みの知性で、しかも喋れない。あとは、魔族として源を持っていても、源になる部位を失ったら、同じ。言葉も使えない、動物並みの知性になる……魔物と呼ばれる存在になります。人間と動物より魔族と魔物は近いんですね」

「へえ」

「ところで、この食べ物」

「ん?」

「甘いですねえ」

「あ、甘すぎた? お水、いる?」

「いいえ。何と言うか……」

 ハーンはぽつりとつぶやいた。

「幸せな味だなあ、と」


 お父さんが帰って来て、一緒に食事をとる。

 今日こそは誰かとしゃべれたか、と聞いてくるお父さんは、それが鉄平の心に痛い質問だと分かっていない。だから洗脳してそれ以上興味を持たせないようにする。

 お風呂に入って、パジャマに着替えて、部屋に鍵をかけて、ベッドの下に隠していたものをかき集める。

 そして、スマホに見えない魔法をかけてぶら下げていた『飛翔の羽』を手に取る。

「これを、空中に掲げるだけでいいんだよね」

「はい、その通りです」

「よし、じゃあ……行こう」

 黒い羽を掲げる。

 黒い羽は、あの時ゼニばあのぶつだんから差し込んだのと同じ、黒い光を四方八方にまき散らした。

 奥田家の前を千鳥足で通りかかったサラリーマンが、空を見上げた。

「ん、だあ?」

 それまで夜道を照らしていた街灯がすべて点滅を始め、空では雲が沸き起こり、満月に近い月を隠す。

 ざわざわ……と、ざわめくような音がする。

 それが、向こうの墓地公園のある林の方からだと知ったサラリーマンは、一気に酔いがさめた。

 まだ街灯は点滅している。場所によっては消えてしまったところもあった。

 点滅する光の中に、何かが駆け回っているような気がして、サラリーマンは走り出した。

 その足元を、す、とこするような何かがいて、サラリーマンはひっくり返る。が、すぐに起きて駆け出した。

 ここにいてはいけない。ここは入ってはいけない場所だ。

 サラリーマンは鼻の頭から血を流しながら逃げて行った。


 一旦は外に溢れた黒い光が再び集中し、鉄平を包み込む。

 鉄平の意識が遠くなった。


 ◇     ◇     ◇     ◇


 遠ざかった意識がゆっくりと戻ってくる。

 強く荒れ狂う、魔力の流れが頭の中をかき回す。内臓が引っ掻き回されるような感覚がする。

 それを落ち着けて、ほう、と息をついて目を開ける。

 服はあのズルズルローブになっていたし、王笏も鎧も剣も盾もマントもある。

 ココッロに戻ってきた。

「お帰りをお待ちしておりました、魔王様」

 ケルベロスが玉座の前で、三つの首を垂れた。

「もしかすると、二度とこの世界に来ないと決められたかと、そう思っておりました」

「……なんで?」

「魔王様は慈悲深い」

 ケルベロスの視線は鉄平の右肩に移る。ハーンが慌てて鉄平の首の後ろに隠れた。

「勇者が攻めてきた時の最後の砦であるこの広間を封じる、生きたかんぬきを拒絶なされた。低級な魔物にまで慈悲深い魔王様ならば、勇者とは戦いたくないと、そう仰るかと思っておりました」

 鉄平は広間の遠い扉を見た。

 それは開けられたまま。血の跡も見えない。

「そりゃ、戦わなくて済むならそれでいいけど」

 鉄平は呟くように返事する。

「マロはこの世界のどこかにいるはずだし、タイムリミットはあと六か月だし。ハーンはここにいるし。この世界に来ない理由がないよ」

「その、マロとかいう子犬のことでございますが」

「見つかった?」

 思わず鉄平は立ち上がる。

「ご説明いたしますので、お座りになってください」

「別にいいじゃないか、立っていたって座ってたって」

「いいえ、魔王様とあろうものが報告でいちいち立ち上がったりしていれば、報告をする側が不安になります。魔王様は常に冷静でいてもらわねば」

 そういうもの、なんだろうかと思いながら鉄平は座り直す。

「では。ゴモンの街で、それらしき犬を見かけたとの報告が入っております」

「ゴモンの街って……?」

「魔王軍支配下にある人間の街でございます」

「つまり、魔物しかいない?」

「いいえ、人間はいます」

「???」

 きょとんとした鉄平に、ケルベロスは上を向いて、ぼう、と火を吐いた。

 地獄の硫黄の匂いが広間に立ち込める。

 火で空気がゆがんで、ぼんやりとまぼろしが見える。鉄平のまぼろし……遠見の魔法と同じものだ。

 そこには、頭のてっぺんから足の先まで真っ黒い鎧に包まれた人たちと、その人たちに土下座している人たちがいた。

「あの鎧の人は魔族?」

「いいえ、人間でございます」

「人間?」

「ゴモン暗黒騎士団。魔王軍に寝返るまでは光の女神に仕える守護騎士団でした」

「光の女神……つまり、勇者に力を与える神様だね」

「はい。騎士団はゴモンの街を捧げると魔王軍につき、ゴモンを落とすのにそれは非常に役に立ちました。そのため、褒美として総督の配下として人間を取りまとめ、ゴモンを守る任務を与えたのでございます」

「ぼくは知らない」

「申し訳ありません。魔王様の降臨する以前の話でしたから。魔王様のいない間の魔王軍はわたくしめが取りまとめております。……ゴモンを人間に任せたのがご不満ですか?」

「そう言うわけじゃない」

「今の魔王軍は魔王様の指揮下。魔王様が望むなら騎士団とゴモンの街を潰すこともできますが」

「そうじゃなくて」

 慌てて鉄平は止めた。

「では、何が……」

「騎士って誇り高い人たちだよね」

 言われ、ケルベロスは三つの首を同時にひねった。

「プライドが異常に高いのは間違いありませんが」

「しかも光の女神に仕える守護騎士団なんて、すっごい人たちぞろいなんだろう? ならなんで、魔王軍に寝返ったんだろう……」

「さて、それは人間の考えることなれば」

 ケルベロスはふむ、と考え込むように息をついて、顔を起こした。

「そのゴモンで、小さな小さな犬を見かけたという情報が入りました。子犬とは言え、魔王様の膝にも届かない大きさの犬はココッロにはいません。恐らくは魔王様がお探しの犬であろう、と」

「行く!」

 鉄平はさっきケルベロスに止められたばかりなのに、立ち上がって宣言した。

「マロを見かけたって言うなら、ぼくは行く! ケルベロス、止めないで!」

「お止めはいたしません。魔王様の命令が魔物魔族、魔の者にとっての法律であるからには」

 ケルベロスは頭を下げてから、しかし、と蛇の尾を絡みつけて持っていた箱を出した。

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