第1章 消えたともだち、消えたかけら 6

 ◇     ◇     ◇     ◇


 目を開ける。

 太陽のまぶしさが、魔王城の暗闇に慣れた目に突き刺さる。

「……え?」

 鉄平は起き上がった。

 ゼニばあの家の前。

 空気が少しひんやりしている。

(ぼくは、ゼニばあの家のぶつだんからココッロに行って、そして……)

 夢のような話だけど、ココッロに行く前はまだ南の方にあった太陽が東の空にある。

 ということは、これは朝日だ。ゼニばあの家に入ってからココッロで一ヶ月を過ごして、また戻って来たんだ。

「夢じゃ……ない?」

「夢じゃ、ありませんです」

 肩から聞こえた小さな声に、鉄平はあわててそちらを向いた。

 助けたカメレオンが、こちらの世界のカメレオンとほぼ同じ姿で肩に止まっていた。

 慌てて掴んで、両手でカメレオンを包み目の前に持ってくる。

「あの時の……!」

「はい! おいらです! マネイロトカゲのハーンです!」

「マネイロトカゲ?」

「はい。それがおいらの種族名です。色を真似ることができるからマネイロトカゲ」

「でも、あちら……ココッロの世界にいるモンスターがこっちの世界に来ることができるの?」

「あの時、おいらは魔王様の血を浴びました」

 かんぬきに血を捧げたあの時だろう。

「魔王様の血の御力で、おいらは魔王様のそばにいるなら一緒にいられるようになりました。魔王様のお慈悲に報いるため、全力を尽くします!」

「そんなこと、しなくても」

「おいらは、魔王様の血を浴びたから。だから魔王様の使い魔になったんです」

 ハーンの言葉に、鉄平は目を丸くした。

 右の袖をめくると、そこには確かにじくじくと痛む大きな切り傷がしっかりと残っている。

 扉を開けるために自らの魔法で切り裂いた傷。

「ぼくの血を浴びると、どうなるの?」

「言った通りです。格上の魔の者の血を浴びた魔の者は、その血のしもべになります。おいらは魔王様の血を浴びた。だからおいらは魔王様の使い魔、魔王様のしもべです!」

 しもべ、という言葉に、何か違う感じを受けた。

 ハーンは鉄平の血を浴びた。だから使い魔になった。

 だけど、自分はハーンを使い魔にするために血を出したんじゃない。

 ハーンを助けたかったからだ。

 しもべが欲しいとか、そういう理由があったんじゃない。

 ぼくが欲しいのは……。

「君はぼくのしもべじゃないよ」

「魔王様?」

 何か機嫌でも損ねたか、と不安そうに見返すハーンに、鉄平は言った。

「ぼく、しもべとかそういうのはよく分からないけど、これから一緒にいてくれるんだろ?」

「はい、もちろんです、魔王様!」

「じゃあ、ぼくのお願いを聞いて」

 せわしなくぐりぐりと動く目が、鉄平の方を向いて、ぴたりと止まった。

「魔王様?」

「魔王も、様もいらないよ。ぼくは鉄平。鉄平でいい」

「しかし、そんな。御命令とあれど、ケルベロス様が許しますまい」

「構わない。それに、命令じゃなくて、お願いだ」

 またせわしなくぐりぐりと動く目を、鉄平は真正面から見返す。

「ぼくが君にとって特別な相手なら、しもべじゃなくて、友達だ」

「友達!」

 飛び出た眼球から透明な液体があふれて流れていく。

「魔王様の! 友達!」

「だから鉄平だって」

「て、テッペー、様」

 ハーンはあふれてくる涙を長い舌でぺろりと拭ってから、頷いた。

「テッペー様は、おいらを友達と言ってくれた。こんな何の力もない、低級魔物を助けて下さったばかりか、使い魔にして、あまつさえ友達と言ってくれる」

 ひっくひっくとハーンの喉の辺りが震えている。

「はい、テッペー様。おいらには大した力はないけれど、テッペー様の為にこの命、捧げます。テッペー様がおいらの為に血を捧げて下すったように」

「生きていてよ。せっかく助かったんだから」

 そして、マロのリードを握っていたはずの手には、二つの物が握られていた。

 黒い羽のストラップ。

 鉄平にしか分からない文字で書かれた闇魔法の本。

 二つとも、ケルベロスが渡してくれたもの。

 夢じゃない、なら。

 鉄平は右手を伸ばした。

 空気をつかむ。

 ぐにゃり、と空気がゆがんで、三人組が一室でおにぎりを食べている姿が映った。

(こっちでも、魔王の力を使えるんだ……!)

 ぐい、ともう一度空気をつかんで、まぼろしを消す。

 鉄平の口のはしが持ち上がった。

 だけど、すぐ我に返る。

(ううん、ぼくが魔王の力を使えるなら、あいつらも勇者の力を使えるかもしれないんだ)

 でも、行く前……昨日、鉄平を追いかけてきた三人は、それほど体力が変わっているとは見えなかった。太と光男はあっと言う間に遠くなったし、はじめも最後まで自分には追い付けなかった。もしかしたらわざとゆっくり走っていたかもしれないけれど、油断しちゃいけない。

(まだ、あいつらは、ぼくが本当に魔王になったかどうかを知らない)

 あちらの世界で顔を合わせない限り、三人組が、鉄平が魔王になったと確実に知る方法はないはずだ。魔王はまぼろしを使って世界のあちこちや勇者を見られるけど、勇者が魔王の様子を見る方法はなかった。どんな話でも、魔王は戦いになるまで姿を見せることはなかった。

(なら、できる)

 黒い羽のストラップと魔法の本に、他人には見えなくなる魔法をかける。

「ハーン、ここにいる間は、言葉を使わないでほしい」

「何故でしょう」

「君に似た生き物がこの世界にもいるけど、そいつは喋らない。って言うか人間以外はこの世界は喋らないんだけど」

「言葉を使わなければいいんですね。ええ、ええ、テッペー様のお願いとあれば。内緒のお話を、誰もいない所でしか、喋りません」

「うん。あと、君の姿も隠すから」

「その心配はありません、テッペー様」

 ハーンは長い舌をせわしなく出したり入れたりしていたけど、スゥッとその姿が消えた。

「マネイロトカゲの一番の力です。背景に同化して普通の人間なら全く見えなくなってしまう。テッペー様の御力を使わなくても大丈夫です!」

「そうか、よかった」

 鉄平が目に魔力を集中して見れば、その姿ははっきりと見える。だけど魔法を使わないこの世界でハーンを見ることができる人間などほとんどいないだろう。

 鉄平は透明になった黒い羽をそのまま携帯に引っかけて、本を服の下に入れる。落としたりしないようにだ。

 そして、急ぎ足で家へ向かう。

 こっちでの一晩はココッロの一ヶ月。

 一ヶ月、あの扉で手間取ったけど、こちらでは一晩しか経っていない。

 だけど、犬の散歩に行ったまま帰らない自分を、お父さんとお母さんはどう思っているだろうか。

 心配されても面倒なだけだけど。

 こどもが一晩帰らなかったら、警察に連絡が行っているかもしれない。

 この辺で自分のことを探している人と出くわしても厄介だ。

(どうすればいいかな)

 少し考えて、そうして思いつく。

(魔王の力があるじゃないか)

 まだ使ってはいないけど、やり方を覚えた魔法や力はたくさんある。

 他人には見えなくなっている本を開いて、やり方をもう一度確認する。

 うん、大丈夫。いける。

 鉄平は、足のつま先に力をいれて、強く自分の部屋を思い、魔力を足に集中して一歩踏み出した。

 びゅう、と早送りのように景色が流れて、踏み出した足が地面についた時には、鉄平は自分の部屋にいた。

「よし、大丈夫」

 小さく呟き、履いていたクツを脱いで部屋のドアを開けてそっと階段を下りる。

 親がいたら、次の魔法は……。

 考えながらクツを置きに玄関に向かう。

 知らないクツがある。大人の、男の人のクツだ。

 警察が自分を探していると判断したのは間違いなかったようだ。

 足音を忍ばせて、ゆっくりとクツを置いて、居間に行く。

 お父さんとお母さん。それから……警察の人。

 そっと居間に入ると、バッチリお母さんと目が合った。

「鉄平?」

 お父さんがこっちを向いて、警察の人と一緒に立ち上がって、小走りで鉄平の所に来る。

「鉄平、一体どこに行ってたんだ! どれだけ心配だったか……!」

「マロも見えないし、心配したのよ!」

 心配、心配とおしつけてくるお父さんとお母さんと、ついでにそこにいた警察の人をじっと見る。

 目に力を入れて三人を見つめると、全員の目がとろんとなった。

「何も、なかった」

 鉄平の言葉を、三人はくり返す。

「何も……なかった」

「そうだよ。何もなかったんだ」

 ぼんやりとした顔をするお父さんとお母さんと、警察の人に、言い聞かせるように、鉄平は言う。

「ぼくはちゃんと家に帰ってきた。マロが逃げちゃって探すのに帰るのは遅くなったけど、ちゃんと昨日のうちに帰ってた。何もなかった。何も心配いらない。何にも、何にもなかったんだ」

 ぼんやりとした目の警察の人は、うなずく。

「何もなかったんですな」

「何もなかった」

「何も、なかったのよね」

「ほかのひとにも伝えて。何もなかったんだ。心配することも、焦ることも、何にも。ただ、ぼくはマロを探しに行くから、ちょっと姿が見えなくなることがあるかも知れないけど、何も心配することはないんだ」

「ない」

「ないんだ」

「ないのよね」

 警察の人は頷いて出て行った。これで、あの人を通じて、鉄平を探していたであろう人たちに魔法がかかる。何もなかった。一晩寝ただけ。そう言った鉄平の言うことを信じさせる魔法。洗脳ともいう。

 魔法がうまくかかったことに満足して、鉄平はお母さんに命令した。

「お母さん、ぼくの朝ご飯」

「……朝ご飯」

 お母さんはエプロンをつけてフライパンを持つ。

「お父さんは会社に行く準備」

「……会社」

 お父さんはいつもの棚からスーツを取り出す。

「いつも通りに」

「いつも通りに」

 鉄平の言葉を繰り返して動き出すお父さんとお母さんを見て、鉄平はほっとした。

 ぼそりと、肩のあたりで「お見事」という声が聞こえた。

 これで、友達を作れと言われることも、強くなれと言われることもない。

 新しい友達もいるし、強くもなったけど、二人に言っても仕方がないから、しばらくああしてもらおう。

 いつも通りに日々を過ごすようにしておけば、夜の間鉄平がココッロに行っていても何の問題もない。

 勇者にはできないズル。

 魔王らしくなってきたのかな、と思って笑ってから、鉄平はお母さんの持ってきたハムエッグにソースをかけた。


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