第1章 消えたともだち、消えたかけら 5
鉄平は広げていた右手をぎゅっとにぎった。
それで、空気に映し出されていたまぼろしはくしゃりと消える。
「ああ、やっぱり勇者は魔物を倒すものだ……」
カメレオンは落ち込んだように俯く。
「扉を開く方法は二つ。魔族が開くか、勇者が開くか。どちらにしてもおいらたちは……」
「諦めないで」
鉄平はカメレオンに声をかける。
鉄平が一番最初にケルベロスに言われて使ったまぼろしの魔法。
自分とつながりのあるものは映し出しやすいと本には書いてあったけど、この魔法は一度もマロを映してくれなかった。代わりに映すのは、自分とつながりのある……同じ世界から来た、自分を倒す勇者の役目を持ったあの三人組だけ。
それから、色々な魔法や力を覚えたけれど、まだドアのかんぬきを外せていない。
カメレオンを浮かせたりしようと思ったけど、その体はがんとして動かなかった。
カメレオンはその度に痛がり、泣き叫び、お慈悲をと繰り返す。それ以上何もできないまま一ヶ月。
だから、勇者の様子を調べるためにまたまぼろしを見ていたのだけれど。
「確かに、ゲームだったら勇者はレベル上げの為にザコを倒す」
鉄平は拳を握りしめた。
「でも、ここで、ココッロって世界で、君は生きている」
「魔王様……」
「ぼくが魔王って言うのなら、君を助けなきゃいけない。魔王は勇者にたおされるだけじゃなくて、闇の世界を守るってあのケルベロスも言ってた」
「おお……魔王様……」
自分が魔王なのはどうでもいい。というか、あれだけ歓迎してくれたみんながいる。
勇者は村人に手伝ってもらえないけど、魔王は魔物や魔族がいっしょうけんめい自分のために働いてくれるから、反対にうれしい。
だけど。
そのためにこの小さな魔物が死ぬのは、イヤだと、鉄平は真剣に思った。
殺すのがこわいんじゃない。
こわいのは、マロをなくすることだけ。
だけど、そのために目の前のカメレオンを犠牲にしていいのか?
答えは出ている。
マロの為に彼を殺したら、きっと、自分は、二度とマロに会えない。
(落ち着け……)
「魔王様」
扉の向こうから声がして、鉄平は飛び上がったし、カメレオンは目玉を忙しく動かした。
ケルベロスだ。
「試験中申し訳ございませんが、失礼します」
「だ、ダメだ!」
鉄平は咄嗟に応えた。
「今、試験の途中なんだろ! 邪魔するな!」
「いいえ、どうしても申し述べなければならないことができましたので、失礼をば」
ぎしっと扉が動き、カメレオンが悲鳴を上げる。
あれだけ鉄平の魔法に耐えたカメレオンの体がのけぞる。
(ダメだ、今すぐ助けないと! ケルベロスは彼を簡単に殺しちゃう!)
思い出せ。
小さな小さな魔の。
小さな小さな命の。
小さな小さな証を。
「ビッ!」
カメレオンの右前足が裂け、血が飛ぶ。
ぴしゃ、と血が鉄平の頬に当たる。
命の、証。
「血だ!」
鉄平は気付いた。
魔物の血。それがあの板にかかることで、扉は開かれるのだ。
でも、このままケルベロスが開けてしまえば、カメレオンの、命が。
ケルベロスは、何と、言っていた?
魔王も、魔の者だと。
鉄平は咄嗟に自分の右腕を板に押し当てた。
そして、左の親指で右腕を押す。
鋭い痛みが鉄平の右腕を切り裂いた。
流れ出す、血。
カメレオンの体が浮いた。
鉄平は真っ二つになりかけていたカメレオンを、かんぬきから引き離した。
あれだけ動かなかった彼の体は、カンタンに引き抜かれ、あれだけ動かなかった扉も、重々しく開いていった。
◇ ◇ ◇ ◇
鉄平は肩で息をしていた。
「なんと、まあ」
カメレオンを背中に回し、血まみれの右手を突き出している鉄平を見て、ケルベロスは呆れたように言った。
「試験を受けた魔王様の中でも一番ずる賢い。これまでの魔王様はきちんと殺したというのに……」
黒い石の床で、つめをカツン、カツンと鳴らしながら、開いたとびらからケルベロスが入ってきた。
「ケルベロス……」
肩で息をしながら警戒する鉄平に、ケルベロスは一礼してから怪我を治すようにと言った。
魔王にも自分を癒す力があると鉄平は既に学んでいたから、鉄平は右手の切り傷を塞ぐ。
しかし、痛みは残った。
「痛いでしょう」
「痛いよ」
「魔王様が魔王ならざることをして負った傷は、完全には消えませぬ」
「でも、ぼくは扉を開いた」
鉄平は燃えるように熱い右腕を示して言った。
「ふつう、魔王じゃやらない方法で扉を開けたからって、ぼくが出て行っちゃいけないって理由にはならないよね?」
「はい。扉を開けろとしかわたくしは言いませんでしたから」
「これで、ぼくはマロを探しに外に出られるってことなんだね?」
「はい、魔王様の思うがままに」
立ち上がる。
ケルベロスを見上げる。
ケルベロスは床に飛び散った鉄平の血をペロペロと舐めて掃除している。
「扉を閉めちゃいけないよ」
「魔王様?」
「扉を閉めたら、また別の魔物がかんぬきになっちゃうんだろう?」
「魔王の間を開いたままにすると?」
「ぼくがその度に傷を作ったら困るよね?」
ケルベロスは重々しく溜め息をついた。
「分かりました。魔王様の御心のままに」
「で、何の用なの?」
「遠見の魔法を」
鉄平はまだ痛む右手で、空気をねじる。
最初はうまくねじれなかった空気がねじれて、まぼろしを映し出す。
魔物たちが血にまみれてたおれている。
勇者たちにたおされた魔物だ。
それだけで、再び怒りが沸き起こってくる。
勇者は魔物であるというだけで、その命を奪えるのか。
鉄平が見ているともしらず、三人組は魔物の集団を片付けると体を伸ばした。
『そろそろ帰ろうぜー。レベルも上がったし、そろそろ家にいないとまずい』
『次の町まで、行くんじゃ、なかった、のかよ』
『無理だって。時間が時間だ。一回でも学校に遅刻したら、僕ら二度とここ来られないぞ。こっちの世界で生きてくなら別だけど』
『あーあ、通いの勇者はつらいね』
三人組はキラキラ光る羽根のストラップのようなものを取り出して、高く掲げた。
次の瞬間、まぼろしの中から三人の姿が消えた。
「消えた?」
「勇者が、そして魔王様がいらした世界へ、帰ったのです」
ケルベロスに鉄平は説明を求める。
「ココッロと魔王様のいらした世界は、時の流れが違います。そうですね……あちらの世界の一晩なら、ココッロで一ヶ月くらい、ですか。勇者は世界を行き来して、魔王様をたおすつもりでいるらしい」
「帰らなかったら、どうなるの?」
「あちらの世界のことを良く知らないので何とも言えませんが、人が一人行方不明になる、それだけのことです」
その時、鉄平は思い出した。
(友達の一人や二人作れないのは、男じゃない)
お父さん。友達が作れないのは、三人組がジャマをするからなんだ。
(もっと強くならないと。弱いからいじめられるのよ)
お母さん。弱いからいじめられるのは分かってる。でも、あいつらとケンカして勝てってのは無理だよ。
無理なことを言うお父さんとお母さん。
先生も、クラスメイトも、無理な事ばかり言って、ぼくを困らせる。
味方してくれるのは、マロだけ。
マロがいないまま帰ったら、きっと、もっとつらいだろう。
「帰りたくない」
「わたくしも、お帰ししたくないというのが本音です。が、お帰りにならなければならない」
「どうして! マロのいない世界に帰って、何をしろって言うんだよ!」
「魔王様は闇の者でありますが、本質はあちらの世界に属する者」
ケルベロスは首を下げて言った。
「ココッロになじむまでは定期的に戻らなければ、闇の力が肉体を侵食して崩壊してしまうのです」
「ほうかい……って、崩れるってこと? 体が?」
「はい。特に魔王様は心の一部を失っておりますれば」
「魔王をやるのに、弱い心は必要ないんじゃ」
「しかし、そのような取り決めになっております。ご安心を、こちらに来た時に言ったように、魔王様はココッロに好きに来られます。あちらの世界の一晩は、こちらの世界の一ヶ月。一日我慢すれば、再び一ヶ月魔王として残虐の限りを尽くせるのです」
鉄平は唇をかんで考えたけど、顔をあげた。
「七日だ。あっちの世界で一週間経たない間に、マロを探すんだ。あと六ヶ月……大丈夫、見つかる。それに、弱い心のない今のぼくなら、あいつらも怖くない。……あいつらも……いつか、たおすんだ」
「では、魔王様、これを」
まぼろしで三人組の持っていたのとほぼ同じ、ただ色だけが真っ黒い羽のストラップみたいなそれを、鉄平はケルベロスから受け取った。
「戻って来れるんだね?」
「あちらの世界で、夜が来れば」
鉄平は一度頷いて、ストラップを空に掲げた。
黒い光が渦を巻いて上昇していく中で、鉄平は下から聞こえるぴちゃ、ぴちゃと粘り気のある水音を聞いていた。
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